淡々
週明けの月曜。午後。文化祭準備本番。
「先週の金曜日のミーティングで、第一希望は通りました」
「抽選にはならなかったの?」
「えっと、模擬店の枠が八クラス分で、希望が十でした」
「じゃあ、抽選勝ったんだ」
「……平たく言えばそうなります」
前に出た藍がまず先週の金曜日の会議の内容を説明し、栗原がそれに応じるように疑問を発する。
控えめに藍が答えたところで、隣の斎藤が付け足すように言った。
「抽選っていうかじゃんけんになったんだけど、一発目で九々葉が一人勝ちして、真っ先に決まったな」
「へえー! 藍ちゃん、じゃんけん強いんだ」
「……い、いや、それほどでも、ないけど……」
思わぬところで褒められて、藍が困ったように口ごもる。
単なる偶然でそんな結果を引き寄せて恐縮してしまっているのだろうか。クラスメイト的には希望が通って嫌な気はしないはずだが。
僕から言わせれば、ひたむきに頑張る藍の姿勢が運を引き寄せたのだろうと思う(たぶん)。
「というわけで、わたしたち一年三組はクレープ屋さんに本決定です」
「わーい!」
クレープ屋の提案者であるところの栗原が無邪気に喜びの声を上げて、ぱちぱちぱちとクラス内からまばらに拍手。
それが落ち着いたところで、そろそろみんなの前で話すのにも大分いつもの態度を保てるようになった藍がゆっくりと口を開いた。
「……今日からはその準備、ということになります。メニューの細かいところを決めたりとか、二日間のうち、誰がお店を担当するのかを決めたり、という感じです」
「オリジナルメニューとか、作ったりするー?」
「あー、いいね、それ!」
見ようによってはテンションが低いように見える藍の態度に彩りを加えるように、珠洲がことさらに明るい声で提案し、栗原がそれに大げさに賛同する。
相変わらず、あの辺は藍のサポートに余念がないらしい。
けっこうなことだ。
「模擬店の大枠、設備等については、毎年使っているものがあるそうなので、それを貸してもらえるようです。看板や飾りつけは自分たちで作る必要がありますね」
「じゃあ、いくつかグループに分かれて作業する感じだよね」
「……そうなりますね」
落ち着きを持って応対できるようになったのはいいが、敬語が妙に堅苦しい印象を与えてどうなんだろうか、とも思うが、まあ、その辺は生温かい目で見てもらうことを期待するしかないか。
「一応、どういう役割分担にするかを考えてきたので、少し見ていただければ、と思います」
そう言って、藍はおもむろにチョークを手に取り、かつかつと黒板に書きつける。
・料理班
・装飾班
・当日班
「……と、おおまかにこの三つに分かれると動きやすいかなって思ったんですけど」
「……うーん」
やや不安そうにクラスの様子を窺う藍に、栗原が渋い声を上げる。
「そのほか、雑用係ってのを追加しない?」
「え? あ、うん、そうだね。その方がいいかもね」
栗原に言われて、なぜか一瞬だけ僕の方に視線を向けた藍が、敬語も忘れて素直に首肯する。
さらに雑用係と黒板に追加した藍に、今度は珠洲がやけにトーンの高い声を上げた。
「はいはーい。しつもんいいですかー?」
「……どうぞ、珠洲さん」
「その当日班の人っていうのは、つまり当日しか働かないってことですかー?」
「えっと、わたしが考えてたのは主に当日のための準備をするってことで、宣伝のためのポスターを作って貼って回ったりとか、当日着る衣装とかを考えてもらったりしたらいいんじゃないか、ってことです」
「あー、なるほどー」
「要するに、料理と店の外観と、それから当日の細々としたところを決める班に分かれるってことね。……あと雑用か」
ぽわんとした声で納得するようにつぶやいた珠洲に、末長が落ち着いた声で冷静に内容をまとめた。
「うん。わたしはいいと思うよ」
「あたしも」
それから二人して藍の案に賛同を示す。
クラスを見ても反対意見は出ず、その流れで行く雰囲気が形成されていた。
「売り子とかは今、決めないってこと?」
「あ、うん、そのつもり、です……緋凪さん」
そんな中、あえてその雰囲気に一石を投じるように、緋凪舞が口を開いた。
つっかえながら答えた藍は、緋凪に突っ込まれるのは二度目ということもあって、前よりは少し落ち着いているようだった。
それでも、表情に怯懦は見て取れる。
「先に決めといた方が後腐れなくてよくない? うちのクラス、そういうの苦手な奴多そうだし。なんせ、九々葉が実行委員やるくらいなんだから」
「言えてる」
ぽつりと彼女の近くの席の女子がつぶやき、くすくすと緋凪とその周辺で小さな笑い声。
竦むように彼女を見据える藍と、表情を険しくする栗原。
「そういう言い方、よくないと思うけど」
「そういう言い方って何? るり。もっとわかりやすく言えよ」
「……人を馬鹿にするような言い方」
「馬鹿にはしてないよ。事実を言っただけ。うちのクラスに大人しいの多いのも、九々葉が実行委員やってんのも事実でしょ。わたしは本当のことを言っただけ。勝手に勘違いして、勝手に突っかかってくんの、やめてね」
「……っ」
それに反駁しようと口を開こうとした栗原だったが、結局は返すべき言葉が見つからなかったか、何も言えずに口を閉じる。
「……たしかに緋凪さんの言う通り、先に決めてしまった方が後に苦労を残さずに済むかもしれないですね」
「……でしょ?」
藍の言葉に、意外そうに彼女を見返す緋凪。
怯えた色は少し窺えるが、藍に無理をしているような気勢は見られない。
それから彼女はクラス中を見渡すように目を向けて、用意してきた言葉を吐き出すように、淡泊に言った。
「……別にわたしは自分一人の考えややり方を押し付けようというつもりはないので、今の緋凪さんみたいにその都度いろいろ言ってくれると嬉しい、と思います」
「……ふぅん?」
「藍ちゃん……」
疑うように喉を鳴らす緋凪と、感動したように瞳を潤ませる栗原。
僕も少しだけ目を見張った。
「改めて、今の流れに……、先に当日の売り子を決めてしまおうという提案に反対の人はいますか?」
数秒の沈黙の下、意見も出ず、手が挙がらないことを確認して、藍が一つ頷く。
「それじゃあ、まず先にそちらの方から決めますね」
淡々と話を進めていく藍。
小さくも藍が始め、栗原や珠洲によって形を整えられ、緋凪によって閉ざされたかに見えたこの場の流れ。それでも、いつの間にか主導権を握っていたのは、感情をほとんど高ぶらせることのないままに、ぽつぽつとマイペースに言葉を発し続けた藍だった。
栗原のように優しさを旨とするでもなく、珠洲のように能天気に見えて場を盛り上げるでもなく、末長のように的確に話をまとめるでもなく、緋凪のように鋭い舌鋒を振り回すわけでもない。
ただその場で力を発揮したのは、勇気を出して自分の殻を破り続けた、九々葉藍という少女の不語の器だった。
「……すごいなぁ」
教室のどこかでぽつりと誰かがそうつぶやいたのが耳に残った。
多くを語らずとも伝わる無言の迫力というか、受け入れる懐の深さみたいな意味で、不語の器と表現してみました。造語です。