ぶちまける
注文したのはカツ丼。百日は日替わりのA定食(今日はアジのフライに味噌汁漬物)。園田はB定食(唐揚げコロッケ味噌汁)。天城は豚骨ラーメン。
ごった返しつつある食堂の中、左隣に百日、正面に園田、斜め向かいに天城という位置取りで陣取る。
手を合わせ、「いただきます」を口にするのもそこそこに、早々に僕はカツ丼にがっつく。
この連中との意味不明な相席をさっさと終わらせてしまいたい。ある程度は昼ご飯を日々の楽しみにしている僕ではあっても、それを楽しみに思う気持ちよりも彼らと顔を合わせて食事など取りたくないという気持ちの方が強い。
ならば、さっさと食べ終えて席を立ってしまう方が楽だ。
天城や園田も僕と同席するより、体面取り繕う百日と楽しく雑談していた方がまだしもましだろう。
そんな思いが同席する三人にも伝わったのか、カツ丼に一心に目を向け俯く頭に妙に視線を感じる。
けれど、どうせ誰も僕に何も言いやしないだろう。
触れれば空気を乱す可能性のある爆弾の導火線にわざわざ近づこうという気概のあるものはいない。
「――相田。はい、あ~ん……」
そう。己自身が爆弾であるこの女を除けば。
「……いや、なんだよ」
「なんだよってなに。あ~んだって、あ~ん」
「……お前が僕にそんな行為をする意味がわからない」
「またまた~。ボクらの仲じゃないか~」
「お前と僕の間にどんな仲があるっていうんだよ」
「え? 深夜に肌着姿のボクと一緒に夜を深めるぐらいの仲でしょ?」
「……おまえっ」
唐突にふざけたことを抜かした金髪に、背筋が凍る。
もはや気まずいとか以前に慄然とする面持ちで、向かい合う二人の顔色を窺うと、天城は呆然と口を半開きにし、園田は目を見開いてどういう顔をしていいかわからないというように曖昧な笑みを浮かべている。
「……え? 何? 相田と百日さんってそういう関係だったわけ? でも、たしか相田って九々葉さんと付き合ってなかったっけ?」
それでも、困惑したままでもどうにか会話を繋げようという意思を見せる園田は十二分に立派だろう。と、この金髪蒼眼変人に困惑させられることに慣れ切ってしまった身の上としては、同情に近い感情を抱く。
「いや、違うから。こいつの言っているのは、ちょっとその……あれだ。僕や藍を含めて何人かでこいつの家に泊まりに行ったときの話で、だな」
「……あはっ。そうそう。藍ちゃんとるりと相田をボクの住んでる部屋まで呼んでさ。四人で濃厚な夜を過ごしたわけなの」
他人にどう思われようとそこまで深く気にしない僕でもこのレベルの誤解はさすがに許容できない。必死になって説明をしようと試みるが、試みた後に顔面中身反比例女に澄ました顔で台無しにされる。
睨むように彼女を見つめると、目だけで笑って百日は見返す。
「……だからお前、誤解を招くような言い方をするなって」
「誤解ってなに? 夜まで一緒にいたのは本当でしょ? 中身もなかなかに濃かったじゃない」
「たしかにそうかもしれないけど、まるでなんかいかがわしいことでもしていたみたいな言い方だろ、それは」
「見解の相違だね。ボクは事実を正確に述べたまでだよ。表現に一部誤りがあったり、意図的に触れてない事実があったりするけどね。要はマスコミと同じさ。公共の電波を借りて情報を拡散する会社組織と同じなんだから、そりゃあ、間違っているわけがないでしょう? どんな間違いを報道しても誰も責任を取らなくてもいいんだから、ボクも別に反省なんかしなくてもいいよねぇ?」
「……」
会話のキャッチボールをしていたら、投げたはずの野球ボールが、百二十ミリの砲弾になって返ってきたような反論に、もはや二の句も継げなくなる。
質問を投げかけたはずの園田も何も言葉を発せなくなっている。
結果生じる空白に、天城が不機嫌そうな声音を隠そうともせずに、言葉を投げかけた。
「結局、お前と百日さんはどういう関係なんだよ」
「……まあ、藍がこいつと幼馴染という事情もあって、そういう面での縁が深まってのともだ……」
「愛人だよ」
「……おい」
平然と割り込んでくるな、状況をかき回すな、したり顔でほくそえむな。
天城が口を大開きにして完全に硬直しているじゃないか。純情な男心を弄ぶなよ。
やったことはいろいろひどかったところではあるのだが、その被害者という立場から見ても、なんだかこの男がかわいそうになってきた。
どうしてこんな女を好きになっちゃったんだろうねえ。かわいそうに。
「っていうのは冗談で、男女の仲を超えて仲のいい友達だよ。けっこう気が合うんだ。真面目にね」
「……そ、そうなんだ」
園田が目を白黒させながら、なんとか相槌を打つ。
そうだよね。ふざけた一秒後の次の瞬間に本音っぽくしみじみと語られたら、どう答えていいかわからなくなるよね。うん、そうだね。返事ができるだけ、きっとお前はすごい奴だよ。
それから気を取り直すように咳ばらいをした彼は、呆然自失といった状態の天城の肩にそっと手を置き、「ていうかさ」と、呆れたように苦笑する。
「百日さんってけっこうめちゃくちゃな人だったんだね」
「そうだよ。今まで猫被ってたの。もうめんどいからいいかなって」
「あはは……」
平然と答える百日に、笑うしかない園田。
渇いた笑いが痛々しい……。
「で、でもさ……、たしかに今の百日さんの方がとっつきやすいっていうか……、話しやすいっていうか……、そういうのは……」
「いや、ないだろ」
悩乱しているのかと思しき台詞を吐く園田に思わず突っ込んでしまい、口にした後に気安すぎたかと自戒する。
けれど、ぱちぱちと二度瞬きをした園田は僕を見て、「ま、まあ、そうだよな」と薄く笑った。
「そうそう。素のボクがしゃべりやすいとか、そんな軽薄な嘘を平気で口にしてたら、表面上はともかく心の底で園田君のこと軽蔑してたところだよ。危なかったね。相田に感謝しなよ」
「え、えー……」
「……こういう奴なんだよ、こいつは」
「あ、あー、うん。なんとなくわかってきた。相田と気が合うってのもなんとなく」
「……は?」
なんだこいつ。さっきの今の百日の言動の奇怪さを見てそんなことをほざくとか、喧嘩売ってんのか。
言い募る間もなく、どこか照れるように続けられた言葉に意外感を覚えた。
「でもまあ、ちょっと面白いかもな。相田も百日さんも」
「……え」
「慣れれば話すのなかなか楽しそう」
「お、おう」
予想外の感想に思わず、たじろぐ。
ここまでのやり取りを経てそんな結論に至るとか、根性据わってんな、こいつ。
「でしょでしょ」などと白々しく相槌を打つ百日が非常に腹立たしかった。
「で、雄哉はいつまで夢の世界に旅立ってるわけ?」
会話に取り残されて、微妙にぼんやりとしてラーメンをすする天城に園田が声をかける。
けれど、反応は鈍く、どうにも頭に入っていないようだった。
「……あ? あー、……ああ」
「だめだこりゃ」
気のない返事をする天城に呆れたように小さく漏らし、やれやれと首を振る園田。
「――そんなにボクのこと好きなんだ?」
にっこりと笑って口にした百日に、唖然として園田が目を見開くのがわかった。
その向こうでばね仕掛けの人形のように、ぎくりと天城が反応する。
呆然とした表情で百日を見据えた。
口を聞けない天城の代わりとばかりに、園田が戸惑う声音を滲ませる。
「き、気づいてたんだ?」
「そりゃあ、露骨すぎるくらいにボクに対する態度と他の子に対する態度に差がありすぎるからね。気づかない方が無理ってものだよ。言わないでいるのも優しさかと思ったけど、気づかないふりをするのもめんどくさいしね」
「……その様子だとなんとなく結論も見えるね」
「聞きたい?」
「え、えーと、それは……」
隣の天城を気遣うように見た園田が、表情を固めたままの天城を見て、唇の端を歪める。もはや笑うしかないといった様子だった。
「まあ、察してって感じ?」
最後だけどこか普通の女子のように言った彼女は、にっこりと笑って天城を見た。
その目線に、ぎくりと彼が顔を強張らせる。
「ごめんね。天城君」
媚びた声に媚びた笑顔、貼りつけた意思は徹底的な拒絶。
流れもムードも雰囲気も、ロマンも期待も希望もなく、唐突に生じた突風のように、彼の心に冷たい楔が打ち込まれた。
落ちる沈黙。
僕ですら軽々しく口を開けない重苦しい雰囲気。
けれど、そんなものにはまるで拘泥せず、お昼ご飯を楽しむように、それからしばらく、彼女は黙って目前の定食に舌鼓を打ち、
「ちょうどいい機会だし、それだけ言っておきたかったんだ。いつまでも期待を持たせるのもかわいそうだしね。じゃ」
ごちそうさま、と手を合わせ、気負いもなく席を立って、軽くこちらに手を振って、そのままさっさと食堂を出て行ってしまった。
「……」
「え、えーと……」
「……はあ」
残された男三人は、一人が呆然と天を仰ぎ、一人はどうしたらいいかわからないというように僕の顔色を伺い、もう一人はただため息を吐いた。
彼女が去った後に残るこの何とも言えない寂寞と荒涼。
砂嵐の去った砂漠みたいな。
氷の上に雪を敷き詰めたような。
不毛だ……。
「まあ、僕に言えることなんか何もないけどさ……」
それぞれの困惑を態度に表す二人の男に同情以下筆舌し難い感情を覚えた僕は、柄にもなく彼らに慰めのような言葉を口にする。
「あいつはああいう奴だから。あの女に普通の人間らしい感性を期待したところで無駄だし。とりあえず……、まあ、なんだ……。何がどうなっても、諦めた方が無難だよ。いろいろと」
しみじみとそう言って、僕もまた彼女と同時刻に食べ終えていたカツ丼の空の器とトレイを持って席を立つ。
「……お前も意外と大変なんだな」
つぶやくように口にした天城の言葉に、何も言えずに歩みを進める。
ああ、そうか。
唐突に理解した。
こいつも僕も、もしかしたら園田もきっと、あの女に振り回された被害者でしかないのだろうなあ、と。
はあ、あいつほんとこわ。