変人正義
彼女からメッセージが送られてきたのを確認して、ボクは席を立った。
「どこに行くんだ?」
相田が問う。
尾行しているとは言っても、クラスメイトたちが入っているパーティルームの中に入り込めるわけもなく、ボクと相田は仕方なく別の個室に入って適当に時間を潰していた。
未だボクにカラオケで歌える歌のレパートリーなどなく、相田も相田でボクと二人きりでカラオケなど楽しもうという気にはならないようだった。
「クラス会終わったみたいだし、るりを呼び出して詳しい事情でも聴こうかと思って。なんとなく状況が動いたような気もするし、その顛末とかも含めてね」
「なんとなくでわかるものなのか? それ」
「さあてね」
さすがのボクでも遠隔視などの超能力はもっていないので、そう遠くない位置ではあるにしろ、別の部屋で行われていたところのクラス会の最終段について直接目にするすすべはない。
――直接はね。
「近くの喫茶店に待ち合わせってことになったけど、相田も来る?」
「栗原にはなんて説明したんだ?」
「今日一日、相田と尾行してたんだけど、詳しい事情が訊きたいから、少し会って話さない? って」
「……正直に言いすぎだろ。尾行の意味とは」
「別にいいじゃん。藍ちゃんにさえばれなけりゃ。それに、ばれたところで君もボクも痛くもかゆくもないわけだし。彼女たちはボクらに事情を探られるのをあまりいい顔はしないかもしれないけど、そんなことはボクや君の知ったことではないしね」
「……まあな」
実際、ボクと相田のように、人の気持ちは推し量れても、人の気持ちを忖度しない人間からしてみれば、自分の行動がどう思われるかなど些細な話なのだ。
ボクらのような人間にとってみれば、毒にも薬にもならないのなら、あるいはなったとしても、他人の気持ちなんてどうでもよく、ただ自分の中の優先順位の下に行動するだけなのだ。
世間では、そういうのをアスペとか言ったりするのかもしれないが、そんなカテゴライズはどうだっていい。偏った主観に基づいたラベルを貼って、組み分けして、型分けして、それで何もかもを理解した気になって悦に浸っているのだとしたら、そういう人間にこそ自己満足の自己陶酔だというラベルを貼ってやろう。マクロ的にみることだけがものの見方じゃない。ミクロにも見ろ。ミクロにも。
なんて、息をするように毒を吐きたくなるボクの心根を押さえつける。
はい。そんな話はどうでもよくて、移動。
喫茶店というか、まあ、なんたらバックスなんだけど、コーヒー一杯注文しつつ、コーヒー一杯数百円ってやっぱりたけえな、と思いつつ、お金持ちのボクが彼らの分にもおごってやりつつ、ボクとるりが並んで、ボクの正面に相田の位置関係で座る。
「とりあえず、ボウリングとバイキングは見てたから、カラオケで何があったのかだけ、教えてくれる?」
フラペチーノを飲んでいる――食べている? るりに小首を傾げて尋ねると、彼女は呆れたようにやれやれと額に手をやった。
「尾行してたとか悪びれることなく言ってきたかとも思えば、今度は悪びれることなくそういうこと言っちゃうんだ?」
「悪びれることなく人を省いて平気な顔をしているるりもそういうこと言っちゃうんだ?」
「……む」
「……むむ?」
「……むむぅ」
「……むむにゅぅ?」
皮肉を言われると皮肉で返したくなるボクの心情。かわいくうなられると、対抗してあざとくうなり返してしまうボクの心情。……うなり返すという日本語のおかしさ。
「……二人とも、僕もいるってことを忘れないでほしいんだが」
るりと額をくっつけ合っていると、所在なさげな顔で相田が言った。
奴にはキャラメルマキアートを与えている。ボクは普通のドリップコーヒー。
ボクとるりがいちゃついている間、キャラメルの甘さにやられてろ、と思ったが、そう上手くは行かないようだ。
奴はすでにカップを平らげている。ばかな、甘すぎる。
「相田君も相田君だよ。どうしてダリアに付き合っちゃうの?」
「……いや、気になるじゃん。普通に」
「それなら、参加すれば……ってそっか、藍ちゃんに何か言われた?」
「……というか、まず参加する意思を確認されもしなかったな」
「……まあ、そっか。そうなるのか」
意味深に頷くるりに、相田が渋い顔をする。
「まあ、相田がハブられる話はいいから、何があったかの事情説明はよ」
「……あのさあ、ダリア。それが人に話を聞く態度?」
「はよ」
「……はあ、もういいけどね。諦めてるから」
ため息を吐きつつ、ペチーノをぺちぺちするるり。……ぺちぺちはしてないか、ちゅるちゅる? いや、ここはチーノチーノしてると言うべきか。何にしろ意味わからないことを言っている。ボクの思考の大半は意味不明だからね、仕方ないね。
「藍ちゃんがさ、みんなの前で宣言したの。文化祭実行委員をやらせてって」
ペチーノの甘さに頬をぺちぺちされて表情を緩めたるりはしばらくしてから口火を切った。ペチーノをぺちぺちって言いたいだけなのはご愛嬌。
その言葉に相田が軽く目を剥く。
「実行委員ねえ……」
小さく独り言つボク。
確かに意外ではあるかもね。
大人しく自分の席で本を読むことに楽しみを見出しているあの子が、そんなクラスの中心に、って。
彼女をよく知る相田なら、やはり驚くべきところなのだろう。
けれど、まあ、それなりに幼い頃からの彼女を知っているボクとしては、意外ではあっても、驚くことはない。
覚悟が決まれば大抵のことはやってのけてしまうのが九々葉藍という女だと、そういう印象をボクは持っている。
彼氏の相田には、恋人だからこそ見えている弱さがあって、だからこそ、そこまでして藍ちゃんが前に出て行くことが信じられないのかもしれない。
それでも実際、彼女はとても強い人間だ。
ボクなんかよりもずっとね。
「……それが僕のためだと?」
「……相田君のため、っていうのは間違いないけど、それももはやそれだけじゃないかもね」
「っていうと?」
「意地になってるんだよ、藍ちゃんも。引くに引けない、でもないけれど、わたしとかいろいろな人を巻き込んだんだから、自分がやらなきゃってね。やっぱり頑固だよ、あの子は」
「ふぅん」
適当そうに聞こえる相槌を打つと、ボクは二人の意識の間隙をついてスマホを触る。
別に隙をつく必要もないんだけど、なんとなく。
それから、幾度かのやり取りを幾人かと行って、スマホをしまった。
「言ってしまえば、それだけかな、カラオケであったことは」
「……そう、か……」
相田にとっては、自分のためにらしくないことを藍ちゃんにさせてしまうというのはどこか罪悪感でも抱いてしまうことなのかもしれない。表情を大分暗くしている。
ま、相田はそうなるか。
関係ないボクからすれば、冷静に状況を見つめるだけなんだけれど。
「るりはどう思ってるの?」
「え?」
「藍ちゃんといろいろと計画して、文化祭実行委員になるって彼女が言い出して、それで?」
「……あんまり無理しない方がいい、とは思うんだけど、彼女、言っても聞かないから」
「無理、ねえ」
彼女を慮るるりの気持ちももっともだが、無理しない方がいい、というのはボクとは相容れない意見だ。
「どこまでが無理なわけ?」
「え……?」
「たしかに前に出る立場になるってのは藍ちゃんにとってらしくないことだとはボクも思う。でも、らしくないことをしたからといって、なんだっていうの? ていうか、らしくないって何? らしい、らしくないって誰が決めるの? イメージ? 雰囲気? くだらないよね。自分らしいことをしないといけないルールなんてどこあるの? そして、なんでそれをるりや相田が決めつけてるわけ? 藍ちゃんは藍ちゃんらしく、ただかわいらしく守られるだけの弱い子羊でいろって? 君ら、何様なの?」
やや声を荒げるように言ったボクに、るりと相田は驚いた顔をしている。
が、ボクはそれに頓着しない。
イメージを押し付けられるみたいなことに対して、ボクはひどく敏感で、ひどく苛立つ傾向にあるのだ。
たとえ、恩のあるるりと相田相手だとしても、それは変わらない。
人が誰かの望む誰かでいなければならない理由はないのだ。
「藍ちゃんがやりたいって言ってるんでしょ? だったら、無理でもなんでもやらせればいいんだよ。それを何? 周りからぐちゃぐちゃと。無理したら死ぬの? 無茶したら死ぬの? 大怪我とか過労死とか、そのレベルなら止めりゃあいいけどさ。たかだか文化祭でリーダーシップを取るぐらいのことがどれだけ重労働なわけ? 慣れないことに心が傷つく? みんなからの重圧に精神が壊れる? はっ? 笑っちゃうよね。形のないものがどうやって壊れるっていうのさ。心のあるなしとか別にしても、どっちにしたって壊れるようなものかよ、それは。心が壊れることなんてないよ。壊れたと自分で思いたいだけか、単純に脳の機構に不具合が出たっていうだけのことでしょ? それ。逃げたいだけのチキンはずっと傷ついたふりをしていればいいのさ。
とにかく、藍ちゃんが傷つくとか、藍ちゃんが無理をするとか、そんなことを君らが心配して何になるのさ。彼女がやりたいことを彼女の責任の下にやるんでしょ? 責任を取るのは彼女であって、君らじゃない。君らは彼女の保護者でもなければ教師でもないんだから。対等な立場なんだよ。だから、手助けをすることはあっても、押しつけがましく外敵から守ってあげるとか意味わかんないから」
そこまでを口にして、コーヒーを一口。苦い。
さながら、彼らの表情と同じくらい苦く感じた。
「……」
「……」
「……っ」
何も言わずにペチーノをペチペチ、あるいは顎に手を当てる二人の様子に、口にした言葉を軽く後悔する。
背筋を冷たい汗が流れていった。
あまりにもあんまりなことを言ってしまったかもしれない。
内容はまだ良いにしても、言い方はひどかったかもしれない。
どうにも過保護なような彼らにひどくむかついて、いらついて、言わなくていいことまで言葉にしてしまった気がした。
あー、やってしまった。
ボクの悪い癖だ。こういうの。
言うべきでないことを平気で口にして、その後後悔するんだ。
口にした言葉は戻らない。
それが原因で、もし彼らを傷つけ、遠ざけてしまったとしたら、ボクは取り返しがつかないことをしてしまったということだ。
「……あ、あのさ」
せめて気まずくなる前に謝罪の言葉でも口にしようかと喉を震わせたところで、るりが顔を上げた。
「……ごめんね、ダリア」
「……え?」
なのに、謝られたのはむしろボクの方だった。
その態度に困惑する。
「たしかにそうだよね。わたし、藍ちゃんのこと、無意識のうちに見下してたのかもしれない。わたしが気を遣って、守ってあげないといけない子だって」
「……僕もちょっと、反省した。守るとかなんとか、何様だよって」
「え、え……?」
自分を省みるような二人の言葉に、目を白黒。まあ、目は蒼いんだけれど。
「……えっと、ボクはちょっと、言いすぎたかなって……」
「ううん。そんなことない。あんな風に言ってくれないとわからないことだってあるから」
「……まあ、それはな」
同意する相田の声に、胸を撫で下ろした。
友人に言う言葉ではなかったと思ったけど、二人は許容してくれたみたいだ。
安堵するとともに、たぶん、他の人だとそう上手くはいかないのかもしれないと、自分に戒める。
誰にでもこんなことを言うわけではないが、口を滑られてしまうことも十分あるのだから。
少なくとも、言い方は考えた方がいい、と思う。
「じゃあ、まあ、百日の言う通り、とりあえず、僕はしばらく見守ってみることにするかな。藍が何をするのかも興味があるし」
「わたしはわたしでやり過ぎない程度に手助け、かな」
「う、うん……」
なんだか二人がやけに物分かりがいい、というか、ボクの言った通りにしようとしているようなので、不気味に感じる。
なんか魂胆でもないだろうな……。
それとも、あれか。
もしかして、ボクって意外と信用されているのだろうか。
いつも言動がおかしい自覚はあるのだけど、たまにこうしてまともなことを口にすれば素直にうなずいてもらえるほどに。
だとすれば、本当にありがたい友人たちだった。
「おごり、ありがとな」
しばらくしてから、相田はそう言って消え、残ったるりともしばらく話して、家に帰った。
――さてさて、じゃあ、まあ、ボクも本気でやるべきことをやろうかな。