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あいだけに  作者: huyukyu
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それでも、彼女はそのようにあることを望んだ

 羞恥に堪えるような場面はあったものの、クラスのみんなとのカラオケは淀みなく進み、一人一人が順番に歌うような段階は通り過ぎて、今は歌いたい人が好きに曲を入れて好きに歌っている。(なお、あの後、きちんと唯ちゃんにはアニソンを歌ってもらった。)

 その傍らでみんな好き好きにおしゃべりをしていたり、一人でスマホをいじったりしている。

 わたしのそばには、友人の珠洲紗友里(すずさゆり)さんとともにるりの姿があった。


「さて、藍ちゃん」

「……うん」

「もうすぐ君の出番なわけなんだけれど」


 そう言ってるりは一拍言葉を区切り、窺い知るようにわたしの顔を覗き込んだ。


「本当に大丈夫?」

「……だ、大丈夫。わたしはできる。できるから」

「……とてもそうは見えないけど」


 るりに言われるまでもなく、いつになく表情は強張っていて、手も少し震えているのは自覚している。心臓はさっきからずっとばくばく言っているし、視界もどこかぼんやりとしていて、わずかに白みがかっている気さえした。

 何なら、いつ倒れても仕方のないような状態。

 ずっと閉じた世界で生きてきたわたしが、みんなの前に出て、みんなの注目を受けて、とある意思を言葉にする。

 言ってしまえばそれだけのことで、それだけのことが人並みにもできない自分がわたしだった。


 それでも――。


「――やるって決めたからやる」

「……そう。藍ちゃんが、藍がそう言うのなら、わたしはもう止めないけど。代わってほしくなったら、いつでも言ってね」

「ありがとう。るり」


 努めて気丈な態度を心がけてるりと目を合わせると、わたしのそんな心根を見透かしたように彼女がにっこりと笑った。

 その温かな微笑みに少しだけ落ち着きを取り戻す。

 ほっと一つ、深い息を吐いた。


 そんなわたしの様子に、そばでずっとわたしとるりのやり取りを見ていた珠洲さんが口を開いた。


「……一応、事情はるりから聞いてるし、そういうの嫌いじゃないから、あたしも協力してるんだけどさ。九々葉さん、めっちゃがんばる人なんだね」

「……うん。わたし、いろんな人に迷惑かけたりとか、いろんな人に恩があったりとかするから、がんばって恩返ししないと……」

「……そっかー」


 少し茶に染まったウェーブの髪をかき上げるようにしながら、一つ、頷きを返し、それから彼女は「んー、でもさー」と言葉を紡ぐ。


「気負いすぎると上手くいかないよ」

「……そ、それはそうかもだけど」

「九々葉さん、こういうの初めてなんでしょ? クラスでもあんまり目立つ方じゃないもんね」

「……うん」

 気遣うように口にする彼女に、素直に頷きを返す。


「誰でも初めてやることは緊張するし、上手くいかないし、気負うとは思うんだけどさ。もっと、気楽にやった方がいいと思うよ。失敗してもいいやー、みたいな」

「で、でもっ……っ……」

 咄嗟に言い募ろうとして顔を上げると、彼女の細長い指先を下唇に当てられる。

 思ってもいない場所に感じた刺激に、びっくりして思わず口を噤むと、彼女がそっと指を離す。


「でもも何もないの。慣れないことを上手くやるなんて不可能だよ」

「……そう、かな」

「そうだよ」

 力強く頷いた彼女に少したじろぐ。

 それから珠洲さんはすっと目を細めて記憶を探るように口にする。 


「あたしさ。家がちょっとばっかし田舎でね。もう少し都会の方に出て行きたくて、高校入学と同時に一人暮らしとかしてるんだけどさ」

「そ、そうなんだ」

「うん、そうなの。両親が理解ある人でね。紗友里がやりたいんならやってみなさいって、できる限りのサポートはするからって……。で、一人暮らしとかしてみるとさ。掃除から洗濯から、何から何まで一人でやらないといけなくて、最初はめっちゃ苦労したんだ。料理とか一人分以上に作り過ぎちゃったり、掃除サボって部屋汚したりさ。一人で暮らす前は全部自分一人でできるって思ってたことが全然上手くできなくて、唖然とした」

 頭の中にすでに構築されていた想いをその場で肉付けしていくように、滔々とそこまでを口にして、珠洲さんはわたしを見る。

 るりと少し似ているようで、それでいて全く違う優しさの籠った瞳がそこにあって、はっと鋭く息を呑んだ。

 彼女の面に浮かぶ憂慮に、わたしを見つめる気遣いと優しさの眼差し。

 どうやらわたしは普段深く関わっているわけでもない彼女に心配されているらしい。

 そのことをようやく理解した。


「でも、半年近く経った今はそれなりに上手くやれるようになってる。掃除も洗濯もめんどくさいけど、きちんとやってるし。料理もね。だからさ、何が言いたいかというとね」

「うん……」

「最初はなんでも失敗覚悟でやればいいと思うの。上手くいかないのが当たり前で、上手く行ったら儲けもの、ぐらいの感じで。慣れれば大抵のことはできるようになるんだからさ。そのぐらいの方がきっと気持ちが楽。……だってあたしは思うんだけど、違ったらごめん」

「あ、ううん。そんなことない。きっとそうなんだと思う」

「そう? じゃあ、藍ちゃんもさ、気負わずやろう? ね?」

「あ……、うん、そう、だね……」


 下の名前を呼ばれてわずかに反応が鈍くなり、ごまかすみたいに微笑みを浮かべた。

 わたしのことを気遣ってくれた彼女に対して、ちょっとぎこちない態度になってしまったかもしれない。

 それでも彼女の言葉にまた少しだけ気持ちが上向いたので、感謝を込めて珠洲さんを真摯に見返す。


「……」

「……」


 なんだかよくわからない沈黙が落ちて、彼女と見つめ合う。

 それに何を思ったのか、わたしの顔をじっと見つめていた珠洲さんは、


「……やば。藍ちゃん、超かわいい」


 とつぶやいて、いきなり抱き着いてきた。

 首の後ろに腕を回すようにして、思いっきり身を寄せられる。

 温かい体温が上半身に乗っかった。


「え? え……?」

「ねえ、るり! この子、笑うと超かわいいんだけど! やばい! 家持って帰りたい!」


 頬に頬をこすり付けるようにして声高に叫ぶ彼女に、耳の奥がキーンと鳴った。

 間近に感じる珠洲さんの息遣い。ほっぺたにかする彼女のふんわりウェーブと、フローラルで清潔感のある香水の匂い。

 突然の展開についていけずに、わたしは目を白黒させるしかない。


 ウェーブ髪の向こうで、るりが呆れた顔をしていた。


「こら! 藍ちゃん困惑してるでしょ。やめなさい。ゆり」

「えー。なんでー。藍ちゃんの頬すべすべだよ~。気持ちいいよ~。るりもやりなよー」

「やらないから」


 そう言って、また頬ずりをする珠洲さん。

 そういう風に触れられることに対して、突き放すのもなんだか悪い気がして、かといって、どうやって引き剥がすべきなのかもわからなくて、彼女の肩にかけようとした手の平を、閉じては開いてを繰り返す。


「すべすべー」

「あ、あの……」

「まじでこの頬食べたいくらい」


 そう言って珠洲さんが本当に頬をはむっとしてきたところで、頭上から声が降ってきた。


「いい加減にしろ」

「……いてっ」


 困惑するその状況からわたしを助けてくれたのはるりではなく、いつの間にか近くに来ていた彼女のもう一人の親友だった。末長朱美(すえながあけみ)さん。珠洲さんと同じく、るりと一緒に今日のクラス会を盛り上げてくれた立役者。

 珠洲さんの頭に強烈なチョップを食らわせた彼女は、冷たい視線で彼女を睥睨すると、その脇の下に手を入れて、わたしから引き離す。


「ひゃぅっ!?」

「変な声出すな。この変態」

「……わ、脇弱いんだってば、あたし……」

「知ってる。だからそこ掴んだんだし」

「……やっ、ひゃっ……、く、くすぐんなっ……って!」

「九々葉さん怖がらせた罰」

「こ、怖がってないじゃん!」

「言い訳無用ね」

「あっ、そこ……ひゃふふふっ!」

「あんた、笑い方おかしいから」


 なんだか仲のいい二人のやり取りが始まって、わたしはまた反応に困ってしまう。

 そんなところにるりが助け舟を出してくれた。


「はいはい。じゃれ合うのもそこまでね。藍ちゃん置いてきぼりだから、まじで」

「……おっとっと。ごめんね、藍ちゃん」

「ちっ……」


 笑顔で言う珠洲さんに、露骨に聞こえるように舌打ちをする末長さん。

 その二人をどこか微笑ましそうにるりが見つめていた。


「……藍ちゃんにはまだちゃんと紹介したことはなかったかもね。これとこれがわたしの自慢の親友たちです」

「これって……」

「そんなまるで物みたいな……」


 渋い顔をする二人に微笑みかけて、それからわたしに向き直ったるりが笑み崩れて言った。


「面白い二人でしょ?」

「うん……。そうだね」

「きっと藍ちゃんともなかなか気が合うと思うのです」

「……うん」


 素直に頷くのもなんだか照れくさかったけれど、否定するのも違ったので、すぐに頭を縦に振った。

 珠洲さんと末長さんもどこか所在なさげにお互いを見合っている。


「これから藍ちゃんがクラスの中でリーダーシップを取っていく中で、きっと二人の存在は重要になってくるから」


 るりがそう言って、また何とも言えない表情を二人がする。

 わたしもどういう顔をしていいのかわからなかった。

 それを見て、肩をすくめたるりが言う。


「もちろん、クラス一の人気者、この優しいるりちゃんもね」

「いやそれ自分で言うんだ?」


 珠洲さんが呆れたように突っ込みを入れて、末長さんが薄く笑う。

 釣られたようにわたしも頬が緩んだ。


「どう? 緊張は取れた?」

「あ……」


 ふと顔を上げれば、こちらを見据えるるりの優しい瞳があって、自分の心の変化を自覚した。

 彼女たちと話をしたことで、ピンと強く糸の張っていた心は緩み、ほぐれた緩みはもっとずっと別の強い形に結び直された気がした。

 そう。わたしの心は結ばれている。いろんな人たちと。

 わたしは一人じゃなく、だから、そう怖がる必要もなければ、強がる必要もなければ、気負う必要もない。

 失敗しても、るりや珠洲さんや末長さんが助けてくれる。

 芦原さんや唯ちゃんがいる。


 だから、そう。

 別にわたし一人だけで、自分一人だけで、すべての責任や状況が動いていくわけじゃない。

 自分一人ですべてやる。すべてをこなそうと考えることはきっと傲慢でしかないのだから。


 だから、わたしは緊張する必要はない。

 そう思った。




 カラオケに区切りのついた頃、すっかり緩んだ空気感に、雑然とした拡散する意識の雰囲気。

 みんなをまとめるように、「はーい! ちゅうーもーく!」と告げたるりの声はクラスメイトたちの言葉を塞ぎ、意識の方向はわたしとるりが立っているこちらへと収束される。


 るりが言った。


「もうそろそろこのクラス会もお開きなんだけど、最後に一つ、みなさんにお知らせというか、お願いがあります」


 クラスメイトたちの注目を集めるように意図した沈黙を場に落とした彼女は、微笑んで口を開く。


「クラス会グループの方でも言ったと思うけど、実を言うと、今回のクラス会の主催者はわたしじゃありませんでした。主に幹事みたいな役割をさせてもらったけど、企画したのは、主にここにいる藍ちゃんです。九々葉藍ちゃん」


 彼女の言葉に志向されたみんなの意識がわたしに向かう。

 強張った背をそっと彼女が優しく撫ぜた。


「彼女から少しみんなにお願いしたいことがあって、こういう場を企画したわけなの」


 るりは全員を見渡すように視線を向けて、それからわたしの瞳を一心に見つめた。「そのために、わたしとしてもこうしていろいろと気を回させてもらったんだけどね」


「……いきなりなんだって思うかもしれないし、どうしてこの子がなんて、感じてしまうかもしれない。けどね。彼女には本気でやりたいことがあって、だから、どうか真面目に話を聞いてくれると助かります」


 小さく頭を下げて、控えめに口元ではにかむるり。

 そうした彼女の温かい心根に背中を押されたような気持ちになる。


「まあ、それについては本人の口からどうぞ」


 るりが一歩わたしから距離を取り、クラスみんなの前にわたし一人が立たされる。

 緊張がほぐれても、不安が取り除かれても、わたしにとってその場に身を置くということは――クラスという一つの集団の前に己の身一つで向かうということは、とても恐ろしいことで、とても大変なことで、とても勇気がいることだった。けれど、それでも、そんな想いを乗り越えてでもわたしには通すべき意地があったので、強く強く拳を握りしめ、わたし――九々葉藍は顔を上げる。


 一様にこちらを見つめる知った顔やまだよく知らない顔はどこか不思議そうな顔で、どこか居心地の悪そうな顔でわたしに視線を送っていた。


 竦むわたしの心に依らず、わたしの唇はひどく穏やかに言葉を繋いだ。


「……るりからもあったように、わたしは今回クラス会をしようと提案させてもらいました。なんでわたしみたいな子がって思う人もいるだろうし、自分でも自分らしくないな、と思いますが、でも、一つ、みんなにお願いしたいことがあって、わたしはこういう会を企画させてもらいました」


 そこで言葉を切り、順繰りに周りに目を向ける。

 見据えたクラスメイトたちの視線の中で、芦原さんと目線が重なって、彼女は疑うような面持でこちらを見ていた。

 その隣で唯ちゃんが不安そうにわたしを見る。


「今度の文化祭で、文化祭実行委員をやりたいんです」


 口にした言葉。

 ただそれだけの意思。

 特段、大きなことではない。

 やりたいことをみんなの前で口にしただけのこと。


 みんなが面倒がるような仕事を、自分でこんな会を開いてまで、自分から引き受けようとした変わり者。

 そんな風に思われているかもしれない。


 でも、わたしにとっては大きなことだった。

 今までずっと誰かの陰に隠れるばかりだった。

 人とのつながりにだけ安住するわたしにはとても大きなことだった。


 誰にも理解されないかもしれない。

 わかってもらえないかもしれない。


 好きな人のために、クラスの先頭に立って、みんなをまとめてクラスの雰囲気を、人間関係を、ちょっとだけ変化させたい、なんて気持ちは誰にも共感されないものかもしれない。


 けれど、その気持ちは、相田涼のためにクラスを変えたいというわたしの気持ちは、九々葉藍にとって、自分自身に無理を強いる以上に、自分らしくない行動を取ってしまうほどに、当たり前のものだった。


「どうか協力してください」


 わたしは頭を下げる。

 真剣に、誠実に、愚直に、頭を垂れる。

 沈黙の下に、ただ誰かの衣擦れの音だけが耳に聞こえて、誰かが咳をする声がやけに大きく響いた。


「……よくやった」


 顔を上げたとき、みんなぽかんと唖然とした顔をしていたけれど、小さくるりだけは慈しむような優しい声音でわたしを励ましてくれた。


 そう。


 わたしは文化祭実行委員になる。


 そして、涼のためにクラスを変える。


 それがわたしの計画だった。




第103部分『好きという隙』での芦原さんとの会話の内容がようやくここで生きてくるという。(文化祭実行委員とかやらないの? 的な奴)

一応、家族問題解決+改めて感謝の思いを抱く→相田君への恩返しの想いが湧いてくる→その恩返しのために藍ちゃんが動く、的な感じで一連の藍ちゃんの思考のベクトルを合理的に考えた上で、この流れを想定してました。途中で思いついた二人の二日間をとても長くやったので、やけに間が空きましたが、ようやく当初の予定通りのラインに入ったという気がします。ここからはどこまでが予定通りに行って、どこからが想定のラインから外れていくかとかを楽しみにしつつ、書いていきます。

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