Gazing on you
るりたちの待つ座席に戻ると、顔を上げた彼女が不満そうな声音を滲ませた。
「遅いよ~」
「ご、ごめん。ちょっといろいろ取り過ぎちゃって……」
言いつつ、取り皿をテーブルに置き、るりの隣に腰を下ろす。
皿の中身を見たるりが目を真ん丸にした。
「それ、全部、食べるの? 藍ちゃん」
「……そのつもりだったけど、やっぱり多いかな?」
「普通の女子なら、ぎりぎりいけないこともない気がするけど、藍ちゃんって身体が小さいし、そんなにたくさん食べるわけでもないし」
「……うーん」
実を言うと、どちらかと言えば、るりの方がわたしよりも小食なきらいがあるのだけど、それでも、皿をはみ出しかねないこの量は多いようだった。
「ちゃんと考えて取らないと、だよ。藍ちゃん」
言ってるりがいたずらっぽく笑う。
――クラスのみんなが一緒にいるとき、るりはわたしのことを藍ちゃんと呼ぶ。彼女と打ち解けるようになって、お互いの名前だけの、距離を置かない呼び方をするようになったわたしたちだけれど、涼やももちゃんを別として、クラスメイトの前ではそういう風に呼ぶ。それは、るりとわたしが実はとっても仲が良いことをみんなに知られたくないから、という理由よりかは、それを秘密にすることにひそかな満足感を覚えているから、という理由の方が主だった。
クラスで中心にいるるりと、入学当初ずっとつんけんしたままだったわたしがとても仲が良いということはクラスメイトにとってみれば意外に覚えるはずで、その意外性を二人の胸にうちのしまっておくことは、いたずらを働いているようで、大切なものを胸に抱いているようで、とても心地が良いのだ。
だから、るりはわたしのことを藍ちゃんと呼ぶし、わたしはるりのことをるりちゃんと呼ぶ。
それが自然なように見えて、実のところ、もっと打ち解けているのがわたしとるり。
そのことが、心の片隅を摘ままれるようにくすぐったくて、そして何より喜ばしい。
それがわたしの独りよがりな認識ではないことは、わたしに少し他人行儀に接するときに見せるるりのいたずらっぽい笑みからも明白だった。
「えっと……、よかったら、わたしが食べよっか?」
「あ、悠里食べてくれる? 藍ちゃんだけだと厳しそうだし」
「……うん、さすがにサラダだけっていうのも飽きてくるし」
「あ、ありがとう」
絹川さんにお礼を言いつつ、じゃあ、何であんなにいっぱいシーザーサラダを盛り付けていたんだろう、と首を傾げる。
「……僕も良ければ……」
正面の席に座る日和君が控えめに手を挙げた。
「えっと……大丈夫? その……」
伏し目がちに彼の目前のお皿に目をやる。
彼の取り皿の上には、ショートケーキやチーズケーキ、カボチャのタルトなど、所狭しとスイーツが並んでいる。デザートの類がメインどころか、それ以外が一つも乗っていなかった。
ケーキばかりを選択しているから食が細いんじゃないか、みたいなことをどう口にしたものか迷うように言葉を選んでいると、彼が小さく首を振った。
「あ、いえ、僕は大丈夫なので」
「大丈夫って……」
「甘いものだけを先に集めてきたのは単にスイーツに目がなくて、みんなに取られる前に確保しておこうっていう腹積もりなだけなので、見た目よりもけっこう食べるんですよ、僕」
「あ、そうなんだ……」
大きな四角い眼鏡の位置をちょっとだけ直すようにして、彼が言う。
男子にしては小柄で、多分、百六十センチないくらいだと思うんだけど、人は見かけによらないということみたいだ。
「じゃあ、えっと、お願いします」
「はい!」
元気よく、彼は頷いた。
そのかしこまるような様子に、少しだけ唇の端を緩める。
しばらく四人で話をした。
「悠里ってけっこう、変わってるよね」
「え、どこが?」
「ほら、さっきもサラダ山盛りにしてきたりとか、それなのに途中で飽きたって言って、わたしに半分食べさせたりするし……。日によってものすごくスカート短くしてきたりとか、逆に急に下にジャージ履いてきたりとか……。話していて落ち着くのに、行動はけっこうはじけてるんだよね。まあ、それが悠里の面白いところなんだけど……」
「そ、そうかな……」
「日和君もそう思わない?」
「……え、僕ですか? そ、そうですね……、あまり知ったようなことは言えませんが、それくらいなら個性の範疇でいいんじゃないでしょうか……」
「……個性の範疇?」
「いえ、あの、ほら、別にそれで誰かに迷惑をかけるわけじゃないですし、受け入れてあげるのも友達の甲斐性、というか……」
「うん。まあ、わたしも責めてるわけじゃないんだけどね……。ただ、サラダ食べさせられたのは迷惑には入らないんだね……」
「ご、ごめん! るり!」
「あー、いいよいいよ、大丈夫。ダイエット中のわたしに残り物の処理を要求する悠里が鬼だってことはじゅーぶん、わかったから」
「る、るり~」
「あはは、じょーだんじょーだん」
※
「じゃあ、日和君はお父さんが大学教授で、お母さんが保育士さんなんだ?」
「はい。まったく違う職種ですけど、一応教育に携わっているっていう共通点もあるからか、けっこう性格は合うみたいで。亭主関白みたいに思われることも多いみたいなんですけど、むしろ、お父さんの方が怒ったお母さんの剣幕にたじたじになっていることも多いんですよ」
「へえ、意外。大学の先生なんて、家でももっと威張ってるイメージだった」
「少なくとも、僕の家では違いますね。母の次に姉が来て、その次に僕とお父さんという上下関係になっています」
「あ、お姉さんいるんだ? いくつ?」
「高三です。学校は別ですけどね」
「君に似てかわいい顔してる?」
「……あー、えー、えっと……」
「あ、真っ赤になったね。かーわいー」
※
「九々葉さんって相田君と付き合ってるんだよね?」
「あ、うん、そうだよ」
「……あの人、普段どんな感じなの? しゃべったことないから、行動が謎っていうイメージしかないんだけど……」
「あ、あはは……、別に普通だよ。普通に優しいよ、わたしには……」
「それ以外の人には?」
「……人によりけり、かな?」
「……ど、どういう意味?」
「え、ええと、まあ、その、興味のあるなしがはっきりしているので、興味のない人にはほんとうに興味がない、というか……」
「はい、その点どう思われますか? 日和君」
「……え、えっと、個性の範疇かな、と……」
「出た! 個性の範疇! そのフレーズ好きだね」
「……ま、まあ、人それぞれいろいろあると思うので」
女子が三人の中に、男子一人ということで、日和君に居心地が悪そうな面は見られたものの、るりが話を振ったり、ときに彼自身が会話に混ざってきたりして、概ね雰囲気は良好だった。
その中でわかってきたところによると、日和君は温厚そうな外見に反して、意外と自己主張をする、ということだった。
嫌なものには嫌というし、嫌いなものに嫌いと言う。
話を合わせるために他愛のないことに頷くことはあっても、どうあっても譲れない一線は存在する。
そんな雰囲気が感じ取れた。
彼の性格について深く知る。
そんな目的があるお昼の時間だったけれど、その目的は概ね達成できたというところだろうか。
「九々葉さん」
料理を取りに行くのも料理を口にするのもおしゃべりをするのも幾分か落ち着き、そろそろ、デザートでも食べようかという頃合いになって、るりと絹川さんの双方が席を立ったタイミングで、同じように席を立とうとしていたわたしを日和君が呼び止めた。
「……なに?」
目的は達成したなんてまだ気の早いことを考えていたせいで、不意に呼び止められると驚いてしまう。
強張った声で訊き返すと、彼は照れ隠しをするように、口元だけで笑ってみせた。
「えっと……、少しお話をしてもいいでしょうか?」
「え、あ、うん。いいけど……」
なんだろう。
大分、かしこまった態度で言われ、上げかけた腰をそっと下ろす。
「あの、ですね……」
「うん」
「相田君について教えてほしいんですけど……」
「涼について?」
「はい」
出てきた言葉はそんなもので、少しだけ息を呑む。
意外だった。
まさか向こうからそんな言葉が出てくるなんて、と。
「どんなことを教えてほしいの?」
「えっと……、九々葉さんから見た相田君ってどんな人なのかなって……」
「……さっきも似たようなことを言ったと思うけど、もっと別の言葉が聞きたいっていうこと?」
「は、はい。そうですね。なんていうか……その、九々葉さんからみた相田君の魅力、というか……、どういうところに惹かれるか、とか」
「……惹かれるって……」
頬が熱くなっていくのを自覚する。涼以外の異性に対して彼の魅力なんて語ったことがなかったから、正直に答えることに少しためらいを覚える。
はたまた予想だにしないことを訊かれたものだと思う。
「そ、それは言わないとだめ、なのかな?」
「……差し支えなければ教えてほしい、です……」
「…………ん、ん~、一番の魅力は……」
「はい」
真剣な瞳で見つめられて、羞恥がかさむ。
そ、そんなに気になるようなことなの……?
「ほ、包容力……かな?」
「包容力、ですか? 具体的には?」
「ぐ、具体的って……、言われても」
さまざまなエピソードが頭の中に浮かぶけれど、そのどれもがあまり他人に聞かせたいような代物ではなかった。というか、わたしだけの胸の中にしまっておきたいものばかりだった。
だから、答えるのは具体性には少し欠ける内容だけ。
「わたしのことを受け入れてくれる、ということ。頑なだったときのわたしでも、一つも否定しないで、わたしの……なんていうか、冷たい表面を見ないで、温度のある内実を見つめてくれたこと、かな……?」
「なるほど」
重々しい声音で相槌を打つ彼は今日一番真剣な表情をしていた。
「ありがとうございます。真面目に答えてくれて」
「どういたしまして……で、いいのかな?」
「はい。とても参考になりました」
参考って……一体、何の?
「僕もまたケーキ取ってきますね」
そう言って立ち上がった彼の足取りは軽やかだった。
一人残されるわたし。
首を傾げるところがないでもなかったけれど、日和君が涼に興味を持ってくれているということは吉報だった。
きっとちゃんと上手くいく。
全部、上手く運んでみせる。
「……?」
ふと視線を感じて、振り返る。
刹那にガスンという鈍い音。
まるでわたしの視線から隠れようとして、慌ててテーブルに膝でもぶつけたみたいな音だった。
辺りを見渡してみるけれど、こちらの様子を窺っているような人は誰もいない。クラスメイトたちがそれなりに打ち解けて楽しそうに話していたりする様子とか、家族連れのお客さんが和やかに談笑している様子があるだけだ。
「気のせい……かな?」
首を傾げてそっと席を立つ。
ふとどこかで、あははっ、という甲高い笑い声が聞こえた気がした。