彼女のやり方
呼ばれて飛び出てじゃじゃじゃ~ん!
百日ダリアだよ!
呼んでないって? 飛び出てないって? でも、読んではいるから安心してー。
十月十六日。
その日の朝、登校したボクはまず情報集めから入ることにした。
自席でお仲間と雑談に勤しむ藍ちゃんに手を振り振り、教室を後にする。
初めての文化祭を迎えるに当たってのクラスの団結を深めるためのクラス会、そういう名目での集まりが明日開かれて、相田と同じくボクは参加しないんだけれど、そこから派生するイベントとして藍ちゃんやるりが何を企んでいるのか興味がある。
大体のところは察しが付くし、あの二人が一緒に何かをしようというのなら、それは間違いなく、彼女ら自身のためかもしくは相田のためなのだろうから、さして情報を集める必要もないんだけど、一応ね。
どちらかと言えば、あの二人が何をするのか、ということよりも、それでクラスがどう動くかといったところに焦点を置いて情報を集める気でいる。その方がいろいろと大局的に動ける。
クラス内での人間関係についての情報を集めるにしても、なぜクラスを後にするのか。
その疑問はもっともだけれど、ボクの動き方としては違う。
ボクは逆に考える。クラス内にいれば、クラスの情報なんて嫌でも入ってくるし、情報を集めようと思えば、口の軽い奴からでも、色目の利く奴からでもいくらでも訊き出せばいい。
けれど、それより遠い立場にいる人間からみたクラスの状況、クラスにいる人間の状況、そういうものは放っておいても勝手に集まるものじゃない。
同じクラスに所属するという共通点を持つ数十人であっても、住んでいるところが違えば、出身中学が違えば、所属する部活が違えば、関わっている人間の部類も違う。クラスの中でのその人間の振る舞いはクラスの中にいるだけでも集まるが、その外にいるときそいつが何をしているかは意外と知らないものだ。
少なくとも、いつも一緒に遊んでいるような本当に仲のいい数人を除いて。
「……ゆ、弓広さん?」
「そう。剣道部にいますよね? 弓広彼方さん。あの人って、普段どんな感じなんですか?」
とりあえずまあ、藍ちゃんの周囲から改めて探っていこうと、まずは剣道部を訪れて、そこでちょうど一人で自分の防具を磨いていたらしい先輩男子に声をかける。誰もいない可能性も大いにあったが、無駄足にならなくて幸運だ。
適当に名乗り合ったところによれば、五木健という名らしいあまりぱっとしないその先輩。
ボクみたいな外見がきれいな女子への耐性がないらしく、若干言葉につかえながら聞き返してきた。
「ど、どんな感じって、い、言うと?」
「わたし同じクラスなんですけどー、いつも彼女ちょっと孤立してるような感じでー、クラスにぜんぜんなじもうとしないんですよー。話しかけても睨まれちゃったりとかー……。やっぱり一人ぼっちってかわいそうだと思うんです! 何か力になれないかなーって思ってて。クラスの子に訊いてもあんまり深く知ってる子とかいなくて、剣道部の人ならどうかなーって……」
明るい元気な女子高生のふりをして、しっかりと目を合わせて上目遣いで迫るボクに、五木先輩はあからさまにうろたえて視線を逸らした。
「え、いや、あの、えっと、ぼ、ぼ、僕はあまり話したことないけど、たしかに剣道部でもちょっと浮き気味かな?」
「あ、やっぱりそうなんですかー」
「……う、うん。め、目つきがちょっと……。あ、僕はそういうのあんまり気にしないんだけど、怖い人は怖いらしくて……」
それからボクの視線から逃げるように目線を胸元に固定した先輩は、どうにか落ち着きを取り戻して語る。目つきを気にしないとか言いつつ、ボクの視線からは逃げるのかよ。……ていうか、いくら目が合うのが苦手だからって、女子の胸を一心に見つめるのはどうよ。
「ふむふむ、なるほど……」
そんな冷めた心持を表には出さず、丁寧に相槌を打ってあげるボクは超優しくて超かわいい女の子。
「あ、あとはそうだなあ。……あ、ああ、でも、剣道の方は筋がいいって顧問の先生に褒められてるところを見かけたよ」
「そうなんですね……」
「僕が知ってるのはそれぐらいかなぁ」
「ありがとうございます!」
元気いっぱいに頭を下げてみせると、恐縮したように先輩は首を振った。
「い、いや、別に僕は何も……」
「あ、あと、もう一つ! 同級生の子たちとはどうですか?」
「……え、えーっと、練習中に一言二言しゃべってるぐらいかなあ、たぶん……」
「重ね重ねありがとうございます! 先輩!」
「あ、い、いやえっとうん。だ、だ大丈夫」
つっかえながら答える先輩男子に、また何かあればお願いします、ともう一度頭を下げる。
う、うん、できることがあれば、と頼りなく頷く彼を尻目に、剣道場を立ち去った。
なかなか扱いやすそうな人物だ。また機会があれば利用させてもらおう。
お礼に手でも握ってあげれば、卒倒してくれるかもしれない。まあ、ボクとの握手なんかに価値を見出してくれるのならば、だけど。
「さて……」
剣道場を去った足を今度は茶道部の方に向けながらつぶやく。
どうやら弓広彼方はクラスの方とそんなにギャップがないらしい。
目つきの悪さで周囲から怖がられ、同級生とはたまにぽつぽつと会話を交わす程度。
あの先輩の話だけを信用するのも間違いかもしれないが、何か違和感を持つことがあれば逐次調べ直せばいい。
「次」
芦原真優が幽霊部員だという、茶道部。
部室の和室にやってきてみるが、まあ、当然のように鍵がかかっている。朝から茶道もやらないだろうしね。
仕方ないので、職員室へ。
茶道部顧問の教師の名前は把握している。部活については転校した当初にいくらか興味を持って見てみたのでその関係で。結局、相田を追い詰めるのに忙しくて、どこにも入部しなかったのだが。
「佐々木先生」
「……何か用ですか? 百日さん」
佐々木清子という名の古典担当の先生。五十代くらいのおばさん。香水きつくてくさい。ボクらのクラスの古典も受け持っているので、比較的顔なじみ。ただし、地毛が金色で瞳が蒼色、なおかついろいろ派手なボクを何やら苦々しく思っているようで、時折、鋭い視線を向けられることがある。
表面上はにこやかにスルーしているが、むかついているときに顔を合わせると、まじで頭から黄色のペンキをぶっかけてやりたくなる。浴びて少しは金ぴかの苦しみを知れ。浮きまくりの外見ではあるが、それなりに気に入っているのだ。それなりに。同時にコンプレックスでもあるのだけれど。
「えっとぉ。この前の古典の授業でわからないところがあってぇ、教えてもらってもいいですかぁ?」
「……はあ。わからないところがあるのなら、そのときに言いなさい、まったく。で、どこですか?」
顔も頭も、はたまた股も緩そうなしゃべり方をしているのは、苦々しく向けられる視線へのせめてもの仕返しだ。この女とは何回か話したことがあるが、最初に話した時に注意されたので、「日本語にまだ慣れてなくてぇ……」みたいなことを言ったら、それ以上何も言われなくなった。頭が空っぽで助かる。
「……えっとぉ。……ここがぁ」
小道具の古典の教科書を取り出して、ページをめくる。
「ああ、これは……」
サ行変格活用についてひとしきり講義を受けたところで、何気なく切り出した。
「そういえばぁ、先生ってぇ、茶道部の顧問なんですよねぇ」
「……そうですが、なにか?」
「やっぱり立ち居振る舞いとか話し方に気品があるなぁって思ってぇ……」
「………当然です。幼い頃から茶道や華道など、さまざまな習い事を修めてきました」
「わあ、すっごい!」
ぱちぱちぱちと控えめに拍手をして見せると、おばさん教師の唇の端がわずかに緩んだのが目に入った。
そこで、本題に入る。
「うちのクラスだと芦原さんもぉ、茶道部なんですよねぇ?」
「芦原……? ああ、彼女はだめです。入学してわずか一か月で幽霊部員。見込み、ゼロです」
茶道部の見込みってなんだよ、とか思いつつも無視して続ける。
「そんなに不真面目だったんですか?」
「ええ。茶道部に来てもろくにお茶を点てないで、お茶菓子ばっかり食べて、ぺちゃくちゃとおしゃべりをしていました」
「叱らなかったんですか?」
「……真面目に茶道に向き合っている部員もいました。その子たちの姿を見て、考えを自分自身で改めてほしかったのですよ。ですが、一か月経っても変わる素振りがないので、声を大にしてお説教をしました」
「それで幽霊部員に?」
「……ええ。ちょっと指導の仕方を間違えたのかもしれない、と反省はしているのですけれどね」
「……」
……ふぅん。
「先生もいろいろ悩んでいるんですねぇ……」
「……生徒に言われることではありません」
「がんばってください」
「……っ。……ええ、言われるまでもありません」
そんなところで、職員室を後にする。
廊下を今度は漫研の方に向かいながら、自分に苦笑してしまう。
……あー、最近、だめだなあ、ほんと。
人のちょっとしたところに絆されて、優しい言葉とかかけちゃう。
あんまり好きな部類の人間ではなくても、なんだか不思議とその人にもいいところがあるんじゃないか、なんて思えてしまって、気づけば相手を思いやっていたり。
「キャラじゃないんだよなー……」
でも、悪くない。
相手を思いやるのはそれはそれでけっこう楽しいことだと思いますしねぇ。
それでも、むかつくときはむかつくのだが。
「次は漫研」
川端唯が所属している漫画研究会。
部員は女子だけで、主に男同士のくんずほぐれつを描いているらしいともっぱらの噂だ。
腐ってるなあ。
「……おじゃましま~す」
と声をかけて文化部の部室が集まっている一角に足を踏み入れ、漫研の部室の戸を開く。鍵はかかっておらず、中にはテーブルの上に所狭しと少女漫画タッチの原稿が散らばっているのが目に入った。
「……意外とまとも?」
BLだという噂だったが、中身はどれもこれも普通の恋愛ものばかりで男同士のくんずほぐれつなどどこにもない。
「ふむぅ?」
ボクからすれば甘すぎてまともに直視できないという点はあるものの、漫画の内容自体、特におかしなところはなかった。
原稿を漁っても漁っても、おかしな漫画は見つからない。
「……これはあれか? 印象操作とか……、あるいは単なる思い込み」
誰かが意図的に部員の印象を下げる目的で噂を流したのでなければ、たぶん、勘違いや思い込みが伝播したといったところだろう。
女子だけしか所属しない漫研なんて珍しい→女オタク=BL好き→漫研ではBLを描いているに違いない的な論法。
思い込みと偏見だけで物を語る人間とは関わりたくないよねー、という他人事みたいな感想しか出てこないが。
「……特にこれと言って収穫なし」
川端唯が書いた漫画がどれかなんていうのは原稿に名前でも書いていないとわからないし、部室に彼女の情報を得られるような何かが置いてあるわけでもない。
他にさして変わったものは見当たらなかった。真面目に漫画を描いている研究会らしい。つまんねーの。
「……残りの一人は……」
どこの部活にも所属していない帰宅部。取り立ててクラス内の人間関係に影響を及ぼしていないようで、小動物みたいに保護欲をそそる無害系地味女子。今は藍ちゃんにくっついて回るだけのよちよち歩きのヒナみたいな美月ちゃん。
あれはまあ、なんというか、わかりやすいほどにわかりやすいので、特に情報を集める必要性を感じないし、その当てもない。
ああいう暗い子ってクラスに一人はいるよねー、みたいな。
「……元々は藍ちゃんがそういう立ち位置だったんだろうけどね」
だとすると、その前はあの子は誰と一緒にいたんだろうな、とちょっと思った。
十月十七日。火曜日、わが校の創立記念日。
クラス会、当日。
「……やっぱりねー、気になるよねー。藍ちゃんが相田に黙って何してるとかー、気になって仕方がないよねー。夜も眠れないくらいに」
「否定はしない」
待ち合わせ場所だという駅前の広場から少し離れた物陰に、ボクと相田はいた。
目的はクラス会の監視。
参加する権利があったのにも関わらず、関わろうとせず参加せず、挙句の果てには遠巻きに尾行して監視するとか、回りくどいにもほどがあることをやっているよねー、ほんと。
でも、ボクと相田だから仕方ないよねー、ほんと。
若干の変装スタイル。グレーのキャスケットを被って、白シャツにゆったり目のパンツ。身を包んだファッションはそんなところだ。
相田は黒のカットソーにデニム。適当に選んだっぽいのに、なんかちょっと似合ってるのが腹立つ。
「……やけに男子が多いな」
「たしかにねえ」
柱の陰から噴水がある広場の方を窺って、相田がつぶやく。
集合が十時で今は九時半ってところだけど、集まっている十人の中でも、七人が男子だった。
おそらく、それがこのクラス会の一つの目的でもあるのだろう。
「ちなみにさあ、先に忠告しておくけどさあ。万が一にもあのクラスの集団の中に割り込んでいったりとかしないでよ?」
「しないって」
「……時々空気読めない行動するからさー、相田は」
「お前に言われたくはない」
「あははっ」
それはほんとう、そうだろう。
そうあろうとしているのだから、そうだろう。
ボクほど空気を読まない人間もそうはいないかも?
まあ、それは自分が特別だと思いたいだけの思春期にありがちな思い込みなのかもしれないが。
それでも、空気を読んで、人の心を読まず、考えず、その場その場の刹那的な雰囲気に流されるよりは、空気を読まずに、人の心を読んで、考えて、した方がよっぽどいいだろう。
もちろん、ボクは空気も人の心も、まるで意に介さないんですけどね。
「……まだ時間はありそうだな」
「そりゃあ、集合時間はまだまだ先だし?」
三十分前に十人来てるだけ、どんだけクラス会楽しみなんだよって感じだが。
「そういえば、トムとはうまく行ってるわけ? お前」
「……ノーコメント」
「なるほど、口にする不満なんてないくらい、うまく行っていると」
「……っ……、はあ? 意味わかんないんだけど?」
「照れるなって」
「照れてない」
……まったく、うるさいなあ、こいつは。
人が触れてほしくないことに触れてくるなよ。
ボクはからかうのは好きでも、からかわれるのはきらいなんだよ。
……顔とか赤くなっちゃうから。
「言ってる間にあいつ来たぞ」
「え? ほんと?」
「うそ」
「――っ」
……素で顔を上げてしまった一瞬前の自分を殴ってやりたい。
ついでににやつく相田の顔も殴ってやりたい。
………………あああああああああ、恥ずかしぃぃぃぃいいいい。
今すぐにでも悶えて回りたい気持ちだった。
「お前をからかうのって、すごく悔しそうな顔するから、恥ずかしそうにする藍とはまた違う楽しさがあるよな」
「……いつか絶対仕返ししてやるから」
悔し紛れにボクが言うと、相田が声を上げて笑った。
ふん、だ。
勢い余ってダリア視点。面白くなかったらごめんなさい。