つながり
その後、藍の部屋に戻って本を読む時間を再開した。
昼後落ち着いた雰囲気で静かに読み、架空の世界に没入する。
さきほども読んでいたところのショートショートの束をいくらか片付け、すべてを読み終えたころには午後三時。
おやつの時間。
彼女の部屋のピンク色のふかふかな絨毯の上に仰向けに寝転がるようにして本を読んでいた僕は体を起こす。
ベッドに足を投げ出すような姿勢で本を読んでいた藍は一旦手を止め、器用にも片手の人差し指で本にしおりを挟むようにしつつ、もう一方の手でスマホをいじっていた。
彼女が生の活字よりもデジタルな文字列を優先するとは珍しい。
「……何かあった?」
「…………え? 何が?」
親指でフリックするようにして文字列を打ち込むことに没頭していたらしい彼女が僕の声に一拍遅れて顔を上げる。反応が遅れたところを見ると、よほど集中していたようだ。
「藍が本よりもスマホっていうのは珍しいからさ」
「……あ、ああ、えっと、ちょっと諸々の連絡を……」
「ふーん」
気のない返事を声にしつつも、訝し気な視線を送る。
居心地悪そうにした藍がゆっくりと顔を逸らした。
「どうせさっきのサプライズ関連でしょ」
「な、なんでわかるの……っ」
「いや、藍が僕に隠すことなんてそれくらいしかないし」
「そ、そんなことないもんっ……。ほかにもいっぱいあるから」
「例えば?」
「え、えっと……」
「スリーサイズは?」
「七十……って言わないよ!」
「言いかけるのもどうかと」
「……当たり前みたいに訊く涼もおかしいんだからね……」
辟易するように藍がつぶやいた。
「それよりもおやつが食べたいです、先生」
「……わたしは先生じゃありません」
「ないの?」
「あるけど……」
はあ、と彼女がため息をついて、肩を落とす。
本気で呆れているわけじゃなく、なんとなく素直に動きがたい気持ちを感じているがゆえの芝居がかった仕草だった。
ふざけた僕の言動に乗るのがいまいち納得できないのだろう。
その気持ちはわかる。
「スイーツじゃなくて、市販のお菓子でいい?」
「うん。もちろん。そりゃあ、藍の手作りのお菓子は最高だけど、いつもいつもそんな手間暇をかけてもらうわけにもいかないし。藍だって面倒でしょ?」
深い意味はなく、正直な気持ちを吐露しただけだったのだが、それを聞いて藍がわずかに眉を動かした。
「……作ってくるね」
「いやそんなべつに」
「作ってくるから」
「……うん。よろしく」
料理人魂を刺激されたのかなんなのか、意外と強情な藍ちゃんはせっせと意気込んで階下に降りて行った。
「……あんまり無理させないようにしないとなあ」
意気込んでがんばりすぎた結果、深く傷ついてしまうような危うさは未だ彼女にある。
僕に黙って何かをしようというのも、自分だけでやろうという気持ちも、ある程度はいいとしても、気負えばマイナスの影響をもたらしかねないとも限らない。
でも。
「ほんと、意外と強情なんだよなあ」
藍はあれですごく頑固なところがある。
一度決めると、壁にぶつかるまで止まらない。
ふざけた調子で僕が彼女を振り回しているようで、実のところ、振り回されているのは僕だったりする。
本当に大事なことで意見がぶつかったことはないが、そうなったところで最初に折れるのは僕の方だろう。
藍と競り合ってまで通したい意地など僕にはない。
彼女のためになるのだとしても、彼女自身がそれを望まないのなら、彼女とぶつかってまで行動を起こすことはない。
それが僕の心情だけれど、藍はそうではないようだ。
気の抜けた言い回しや言動で彼女の気負いが抜けるのなら、いくらでもそうするのだが、今回は僕への好意が発端だけに、どうも対応に困る。
「うまくいくならいいんだけど」
融通が利かず、意外と強情で、人の意見を耳に入れないで全部一人でやろうとする。
「……どう考えても、背負い込みすぎて潰れる未来しか見えない」
優秀である自覚のある人間が陥りやすい失敗の典型みたいな気がする。
百日が案じたところもおそらくはそこにあるのだろう。
一人でがんばった結果、傷つくのは藍だと。
そして、取り返しがつくのならそれを見過ごせとも言ってきた。
「……見過ごせるわけがないんだよ」
そんなことができるのなら、僕はもっと生きやすい環境にいる。
数限られた大切な誰かのためにだけ動く。
それが相田涼の行動原理で、信念だ。
そのために僕は孤立を選んでいるといっても過言ではない。
……単に、人付き合いが面倒くさいだけなんだけど。
「にしてもクラス会ね……」
ベッドににじりよるようにして、彼女がその上に置いていったスマホに手を伸ばす。
恋人の僕とはいえ、不用心だ。
僕は彼女のためならば、たとえ彼女の望んでいないことであっても、ばれさえしなければどんなことでもするのだ。
「さてさて」
起動すると、一瞬の暗転の後に、4桁の暗証番号。
「……」
藍がスマホを触っているときの記憶を探ってみたが、思い当たるものはない。
というか、僕がいる前で彼女がその手の機器を触っている場面を見たのもまれだった。
「――あ」
だめか、と諦めかけて、無欲の下に一瞬のひらめきを得る。
ふと思いついた数字があって、ダメで元々打ち込んでみることにした。
『9981』
簡単にパスワードは解除された。
「9981(くぐはあい)って……、藍……」
……名前の語呂合わせとは。
確かに名前を数字で合わせられる方がまれだけど、いくら何でも単純すぎる気が……。あいはiで1に読み替えてるわけだけど。
まあ、解除できたのだからよしとするか。
画面はちょうどクラス会のグループチャットのようだった。
コメント入力欄には『みんなに訊きたいことがあ』という文字列があって、藍が何かを打ち込もうとして、途中で諦めて消しかけたところらしかった。
さきほどいろいろと打ち込んでいた様子から見るに、他にもいくつか連絡するところがあって、一番最後の後回しにしていたのがここだということだろうか。
流れのわかりそうなところまでさかのぼってみる。
10/17(火)クラス会(24):
『栗るり:とりあえず面子はこのくらいかな?
栗るり:当日は十時集合、三時解散って感じで
栗るり:駅前の噴水横ね
ゆり:るり名前変えた(´σ `)?
栗るり:変えたよ~(´c_` )
ゆり:なんかお菓子みたい笑
AKE@シャム:わかるー和菓子っぽい(ΦωΦ)
栗るり:もうモンブランとか言わせないから(`・ω・´)
ゆり:それ気にしてたんだ笑
(中略)
栗るり:ボーリング→お昼→カラオケって流れです
栗るり:どこか行きたいところある人は言ってね
栗るり:今回は無理でも次回の参考にもなるし
栗るり:よろしくね♪
雄哉:女子少なくね?24人中10人って
PRECAST:普通だろ
そのだ☆ひろ:雄哉は百日さんがいないのが気に入らないんだって
雄哉:ちげえよ
トム:10人いれば十分だろ
雄哉:誰だよトム』
クラスの人数は40人だから、半数以上が参加していることになるわけか。
クラス会グループどころか、クラス全体のグループにも参加していない僕からすれば、誰が誰やらというところだが、少なくとも、トムが相変わらずなのはわかった。
それから下にスクロールして、流れが落ち着いたところ。
一番下の藍が何か打ち込もうとしていたところまでくる。
『PRECAST:ってか団結するほど文化祭楽しみか?
クリスナイフ:出たよ高二病
PRECAST:まだ高一だろ
そのだ☆ひろ:まあまあ、その方が楽しいって
絹川 悠里:企画者のるりの前でよくそんなこと言えるね
栗るり:あ、わたしじゃ……
ゆり:え、ちがうの? てっきりるりだと
AKE@シャム:じゃあ、誰?
100%重機:そんなことよりおうどん食べたい
栗るり:まあ、それはおいおいね(ΦωΦ)
AKE@シャム:(ΦωΦ)!
ゆり:(ΦωΦ)!?
栗るり:(ΦωΦ)フフフ』
……ふむ。
まあ、この流れで藍が発言するのをためらったというのもわからないではないが……。
前途多難そうだなあ。
藍は藍らしく、わざわざそんな苦労を背負わなくてもいいと思うのだが、こんな僕のために。
見過ごすべき、なのかねえ。
藍が戻ってくる前に、そっとスマホを元の状態に戻しておいた。