先生
その日の昼休み。
早速僕は彼女に話を持ち掛けた。
いつものように窓際のソファーで向かい合う。
一木先生は少し離れたデスクのところでこちらの様子を窺っていた。
「天体観測に二人で?」
「うん。一木先生の天文部で今週の金曜にやるらしいんだ。だから、一緒にどうかと思って」
できるだけ軽い感じで語りかける僕に、彼女は表情の窺いしれない無表情を向けている。
「んー……」
唇に手を当てて考え込むようにする九々葉さん。
「何か用事でもある?」
「そうじゃないんだけど……」
僕の真意を探るように向けられる彼女の視線に、わずかばかり居住まいを正した。
そんな僕を見て、彼女が小さく首を振る。
「ちょっと遠慮しておこうかな……」
「ど、どうして?」
断られることを想定していなかったわけではないが、それでも実際に口にされると、少し心が痛む。
「わたしが混じっちゃったら、迷惑かなって……」
「そんなことは……」
ない、と言おうとして、クラス内での彼女の態度を思い出し、口を閉じる。
天文部員に加えて、少しは参加するだろう一般生徒。
彼らに対してもクラスメイトと同じ態度を取ってしまえば、確かにそれは迷惑な行いに当たるかもしれない。
気休めを口にしようとして、けれど、僕はそれ以上何も言えなかった。
「何を以って迷惑だと決めつけるのですか?」
そんな僕に助け舟を出すように、いつの間にかソファーのそばにまでやって来ていた一木先生がそんなことを言った。
「え……、そんなの、わたしは誰にでも愛想よくなんてできないから。だから」
戸惑うように彼女が答える。
そんな九々葉さんに、彼が優しいまなざしを向けた。
「愛想よくできない、ということが迷惑になると思っているなら、そんなことはありません」
「……え」
断言するような彼の口調に、九々葉さんが小さく声を上げた。
「人には持って生まれた個性というものがあります。人と関わることが得意な人間もいれば、そうじゃない人間もいます。そんな中でみんな、生きています。誰もが人に愛想よくいられるわけではありません。人前で上手く話せない人や、人見知りをする人もいるでしょう。あなたはそんな個性を迷惑だと思うのですか?」
「そ、それは……」
「わたしは違うと思います。誰もが同じように生きることはできません。自分にできることがあれば、できないこともあります。あなたが愛想がいいと思っている人にだって、できないことがある。その人にできないことがあなたにできるかもしれない。そのとき、あなたはその人を迷惑な人だと決めつけるのですか?」
「い、いえ、そんなことは……」
「でしたら、あなたが今回のイベントに参加するのに、何も気兼ねすることはないと思いますが」
「で、でもっ」
九々葉さんが焦ったように言い募る。
「わ、わたしは、きっと、話しかけられたりしたら、上手く答えることができませんっ。……相田君となら、少しは話せる、話せます。けれど、まだ人は怖い。だから、わたしは……」
彼女がその先を口にしようとしたところで、一木先生はわざとその先を遮った。
「つまり、逃げるということですか?」
「――っ!」
目を見開いて、彼女が先生を見た。
その瞳を整然と見返した彼は、淡々とした口調で続ける。
「あなたが言っている理屈は、建前上は誰かのことを思いやって言っているようなものですが、実際のところ、自分は人が怖いから逃げたい、そう言っているのと何も変わりはしません。本当に人を思いやるというのなら、あなたはあなたを誘った相田君の気持ちを思いやるべきです」
九々葉さんの瞳が僕の方に向く。
僕はどう反応していいやらわからず、困っていた。
「彼はあなたのことを本当に考えて、さっきのような申し出をしたんです。勇気を出して、少しでもあなたのためになるように、と。それなのに、あなたは何ですか。自分が怖いから逃げる。それでいいと本当に思っているのですか?」
「あ、あの……一木先生」
さすがにちょっと言い過ぎではないかと思って、声をかけるが、彼は意に介していないようだった。
「いつまでも目を逸らし続けることは簡単です。ですが、自分のことを思いやって、勇気を出して声をかけてくれている友達からも目を逸らしていては、あなたは何者にもなれませんよ」
「……あ」
九々葉さんがはっとしたように僕を見る。
なんだかとてもむず痒い気持ちだった。
「……あの、せ、先生」
「はい」
「その、すみませんでした。わたし、とても自分勝手なことを言っていたみたいで……」
「いえ、わかっていただけたのなら、何よりですよ。私の方も責めるような言い方をして申し訳ありませんでした」
丁寧に頭を下げ、それからにっこりと微笑んで、先生が自分のデスクの方へ戻っていく。
代わりに、九々葉さんがとても真剣な目をして、僕の方を向いた。
「相田君……。その、ごめんなさい。誘ってくれたのに、邪険にしてしまって……」
「い、いや、別に僕はいいんだけどね」
「その……、もし、よかったらわたしも一緒にいってもいい?」
親の顔色を窺う子どものような表情で、九々葉さんが僕を見る。
僕は笑って、頷いた。
「それはもちろん」
彼女の唇の端が少し綻んだのを、僕は見逃さなかった。