ねむるねむればねむれない
それから、幾ばくかの時間が経過して。
藍の部屋で、彼女のベッドで、一緒の布団の中に入る。
彼女と二人だけの今日の時間はとても充実していて、安心して、心から落ち着けて、それでいて刺激に満ちていた。
疲れてすぐに眠くなってしまうのも自然なことだ。
「……涼、眠い?」
薄く目を閉じ、半ば意識を手放しかけたところで、藍が僕を気遣うような声を出した。
「…………正直、今半分寝てた」
「あ、ごめん。いいよ。今日はいっぱい振り回しちゃったかも、だから、ゆっくり寝てて」
「……何か、僕に話したいことでもあった?」
「ううん。眠る前に少しだけ他愛のないお話でも、と思っただけ。涼が眠いならいい」
「そっか……」
彼女が求めるならば、それでも付き合わないわけでもないが、そのまま眠ってもいいというのなら、素直に甘えさせてもらおう。けっこう、疲れてもいるし。
「……」
「……ん」
一人用のベッドに二人で体を横たえているので、若干手狭な感はある。
息遣いやちょっとした身じろぎが妙に神経に引っかかって、寸前に手放しかけた意識がなぜか徐々にまた覚醒しつつあるのを感じた。
「……んー」
「……あ」
試しに藍を抱き枕代わりに抱きしめてみる。
柔らかくてあったかくて、抱き心地がとってもいい。
しかし、それはそれで余計に意識も目覚めてくるような気がして、閉じていた目を開けると、同じように横目で僕の顔を窺うようにしていた藍と目が合った。
「……なーんか、今度は目が冴えてきたみたい」
「そういうとき、あるよね」
十センチもない距離で見つめ合うと、常夜灯もすべて消してしまった暗闇の中、きれいな藍の顔が視界いっぱいに広がった。
彼女が小さく瞬きをして、長い睫毛が上下に震える。
小ぶりな唇が動いた。
「……涼がゆっくり眠れるように、頭を撫でてあげるね」
薄く微笑んで言った彼女が僕の頭頂部に手を伸ばしてくる。
ふわりと優しく髪を撫でた。
「……落ち着く」
子ども扱いをされているような行為に、けれど、今は疲れて何かひねくれたことを言う元気も起きずに、そう漏らした。
満足そうに、藍がふふっと押し殺した笑い声を上げる。
「いい子いい子」
そんな言葉とともに、ゆっくりと穏やかに、僕の呼吸に合わせるように、彼女が頭を撫でてくれる。
「……かわいい」
少しずつ少しずつ、意識がまたゆっくりと沈んでいく中、彼女のそんな声が聞こえた。
「……いや、だから」
男としてそんな風に言われるのは耐え難いものがあって、何か言い募ろうとしたが、まともな言葉にならない。寝言のような言葉を漏らしてしまう。
それから、頬の辺りに柔らかい感触。
「おやすみ、涼」
おやすみ、とそうつぶやいたと思ったところで、僕の意識は完全に眠りに落ちた。
※
※
※
百日の部屋に泊まったときもそうだったが、僕は慣れない環境で眠ると、真夜中に目が覚めるらしい。
「すぅ……。すぅ……」
という一定のリズムで刻まれる呼吸音に、静かに目を開けた。
微笑を刻んだまま、幸せにそうに目を閉じる藍のかわいい顔が目の前にある。
「……かわいい」
眠る前のお返しのようにつぶやいてみたが、当然安心しきったその笑顔には何の影響ももたらさない。
「ぎゅっ」
手を伸ばして鼻をつまんでみたが、ちょっと寝苦しそうにするだけで起きる気配はない。
ぱっとすぐに手を離す。
また、安らかな寝息が戻ってきた。
「……ふぅ」
藍と顔を突き合わせていた体勢から仰向けに天井を見上げる体勢になる。
「……なーんか目が冴えてるんだよなー」
藍を起こすことのないよう、小声でつぶやく。
やはり、彼女の家に泊まりにきたということで、自覚できない緊張のようなものはあるらしい。あるいは体がびっくりしているか。
さりとて起きていたところで、藍が寝ているのだったら、さしてやるようなこともない。
明日、彼女と遊ぶ体力の無駄だ。
「寝よ……」
まるで意味もなく意識を覚醒させた自分の体に吐息しつつ、目を閉じた。
「……んぅ」
さっきよりもお互いの体が離れてしまったからだろうか、少しだけ不満そうな寝息を漏らし、藍が体を回転させるようにして僕の体にしがみついてくる。
結果、彼女の左足が僕の内ももの辺りに絡みつく体勢となった。
「寝相がいいなあ、藍」
いいのか悪いのかわからない彼女の寝相にそうつぶやき、開いた眼を再び、閉じた。
数十分後。
「……寝れない」
僕の全身にぎゅっとしがみつくようにしている藍が、口元を僕の耳に寄せているため、吐息がまともにかかり、とても意識を手放せるようなものではなかった。
「寝ていても、僕の心をかき乱すのか、藍」
なかなか魔性さに磨きがかかってきましたね、藍ちゃん。
本人はすごくすごく心地よさそうな顔で眠りこけているため、普段は温厚な僕もなんだかちょっとむかついてくる。
藍にいたずらをしてあげたい気分だった。
「えい」
掛け声と共に藍の少し開いた口に、唇を寄せた。
柔らかく、甘い感触が心を揺さぶる。
熱い吐息がまともに口にかかった。
「……これは僕の方がやばい」
いたずらをするつもりが逆に僕の方が心の針を振らされた。
さすが藍だ。意識のない状態でも非常に手ごわい。
「だが、今の僕は不眠に対するストレスを抱えている。このくらいでは止まれんのだよ」
誰に対してでもなくそう意気込み、次の一手に取り掛かる。
仰向けの姿勢を一転、再び、彼女と向き合う体勢に。
そのまま腕を彼女のお尻に伸ばす。
体の下に左手を差し込み、両の手でお尻を鷲掴みにした。
小ぶりで弾力のあるその部位をぎゅっと揉みしだく。
「ん……」
ちょっとむずがるような声を上げ、藍が眉を寄せる。
もぞもぞと僕の手を逃れるように、身じろぎをした。
手がお尻から離れる。
「……よし」
なぞの満足感とともにそう漏らし、まずはいたずらの成功を喜ぶ。
自分の彼女の安眠妨害をして喜ぶ彼氏がここにいた。
「……いや、別に起こしたいわけじゃないんだけど」
真夜中に目が覚めて、他にやることもなく目の前で安らかに眠っている藍を見ていると、いたずらを働きたくなっても仕方がないと思うのだ。
とにかく、寝れない夜は暇なのだ。
「……次はどうしよう」
まだやるのか。早よ寝ろよ。
自分の心の中でそう突っ込みを入れたが、眠くないのだ。しようがない。
「……うーむ」
ざっと藍の体を見渡してみて、度を過ぎない程度にいたずらを働こうとすると、逆に触ってもいいと思える部位が少ないことに気付いた。
……意識のない女の子の体に触るとか、僕ってやばくない?
そうふと冷静に戻る自分もいたが、藍だからいいかと無理やり自分を納得させる。
「よし、これで行こう」
耳を責める。
昔使った手だが、だからこそその効果はわかっている。
髪をかき分け、彼女の耳を外気に触れさせる。
そっと口づけをするように優しく、耳たぶを食んだ。
「……っん」
びくりと肩を跳ねさせて藍が声を上げる。
けれど、目は閉じたままなので、起きてはいないようだった。
そのまま、彼女の耳を優しく責める。
「……ん……。やっ……、涼、そこだめぇ……」
何やら藍がそんな寝言を漏らしていたが、あまり気にせず、憂さ晴らし兼暇つぶしに耳を舐めたり、食んだりしていた。
眠っていても藍は悶えるような声を上げ、時折体をびくりと反応させた。
そんな反応を見ながら、行為に耽る。
そうしていると、なぜだかいけないことをしているような気分になってきた。
「……あー」
最終的に彼女が浅い吐息を繰り返し始めたところで、僕は我に返った。
少々やり過ぎてしまったかもしれない。
……今日の僕、やり過ぎること多いな。
今が今日かどうかは日付を跨いでいる以上、微妙なところだったが、そう思った。
藍がけっこう積極的で浮かれていたように見えたように、僕も僕で彼女との時間に少しだけ理性を見失っていたのかもしれない。
「……んう?」
そして、浅い吐息から完全に瞳を開けた藍が、呆けた顔で僕を見上げていた。
「……ひょう?」
うまく呂律が回っていない。
まるで僕が天から降ってくる氷の礫みたいになっていた。
「ごめん。起こしちゃったね」
「……んぅ? ひょうははるくないよ……。はいじょうぶ……」
はるくないってなんだろう。春から縁遠いみたいな意味だろうか。
はいじょうぶ。肺が丈夫なんだろうな。
「ほら、きて。ひょう。なでなでしてあげるよ……」
強引に彼女に頭を抱え込まれ、胸に押し付けられる。
眠る前と同じように頭を撫でられた。
「りょうはいい子。りょうはいい子。なんにもわるいことなんかないよ」
「……っ」
ああ、だめだー。
体から力が抜けるー。
安心する―。
「いい子―。いい子―」
繰り返し、繰り返し藍にそんな風に甘やかされ、なぜか眠りにつくことができてしまった。
……まずい属性に目覚めていやしないか、と後で不安になった。