甘える
「凛ちゃんは最近、元気?」
「凛? ああ、まあ、ぼちぼちってところかな。高校受験に向けて、今まさに受験勉強をがんばっているところだよ」
「あ、そっか。中学三年生だもんね。そういう時期かー」
「と言っても焦っている素振りとかは全然ないんだけどね。成績も安定しているみたいだし、志望校にも余裕で受かるようなことを言っていたよ」
「うん。それなら安心」
滔々と会話を続ける内、話題は僕と藍の身の回りの人間についてのものとなる。
最初は最近、藍と交流のなかった凛。それから今度は、僕に家族関係の改善を頼んできた楓さんについて。
「藍の話を聞く限りだと、楓さんって実は寂しがり屋だったりしたの?」
「どうかな? お姉ちゃんがあんな風に涙を流したところを見たのは初めてだったけど、あれからも普段の態度はそんなに変わらないから」
「……ああいう強気な人に実は乙女チックなところがありましたっていうのも、なかなかに萌えポイントだよね」
「……うん。そうだね。泣いてるお姉ちゃん、とってもかわいかったかも……」
「ちょっとその場面は実際に見てみたかったなー、僕も。惜しいことをした」
「……んー」
「……藍?」
僕が言うと、藍はちょっと困ったように眉を寄せて、猫がうなるような声を出した。
その態度に首を傾げる。
「あ、うん。なんでもない。ほんとになんでもないんだけど」
「その割には大分、訊いてほしそうな顔をしているね」
「……そういうときは素直に訊いてくれていいんだよ。涼のひねくれもの」
「あはははー」
「……」
「あ、じゃあ、はい。何がそんなに気に入らないの?」
「気に入らないっていうか。……その、わたしこんなに独占欲が強かったのかなあ、って」
「……っていうと?」
「……涼がちょっとお姉ちゃんに好意的なことを言っただけで、ものすごくもやもやしたっていうか」
「あー」
「わたし、お姉ちゃんのことが大好きなのに。だから、お姉ちゃんを褒めるようなことを言われたら、嬉しいはずなのに、もやもやの方が先行しちゃって、だから、その、自分で自分にちょっとびっくりして……」
藍は胸の辺りの何もない空間を掴むような仕草をした。
「わたし、涼のこと、ほんとのほんとに大好きになっちゃってるみたい……」
そして、当惑したように口にする。
「あ、あー、それに僕はどう反応すべきか、判断に困るところだよねー」
「……抱きしめてくれても、いいんだよ?」
「……それはそうしてほしいということですか?」
「確認を取らないでください」
「つまり、してほしいということですね」
「それはそちらの判断に委ねます」
「……はい。ぎゅう」
「っ……。やだ、もう……。……嬉しい」
ついでのように付け加えられる最後のつぶやきが一番心に染み渡る。
藍と触れている辺りからぽかぽかとあたたかくなって、次第次第に心全体、体全体が穏やかな熱で包まれていくみたいだった。
「このまま、お話しちゃ、だめ?」
僕の胸に顔を埋めたまま、くぐもった声で藍が言う。触れる吐息が熱くて、こそばゆい。
「とてもとても話しにくいと思うけど?」
「話しにくいよりも過ごしやすい、だよ」
「僕の胸の中はそんな快適な居住スペースだったんだ」
「わたしにとっては最高のリラクゼーションルームだよ」
ルームって。部屋なんてどこにもないんだけれど。
「まあ、藍がそうしたいというのなら、別にそれでもいいけど」
「……むぅ、涼はいっつもそう。まるでわたしだけがわがままを言っているみたいな言い方をするんだから」
「……それはほら、なんていうか、男っていうのは照れ屋さんな生き物だから。面と向かって、甘えるようなことを口にするのははばかられるというか」
「でも、好きとは言ってくれるよね」
「そ、それはさ。なんていうか、別腹というか、やらなければいけないことというか」
「……涼にとって、わたしに好きって言うのは義務なんだ……」
「いやいや、ち、違うよ? それは絶対に違うけどさ。義務とかじゃなくて、ほんとに好きだけど。好きだからこそ、それを口にしなければいけないと強く思うわけなんだよ」
「じゃあ、涼もこうして抱き合っているの好き?」
「…………好き」
「うふふっ」
藍が心底嬉しそうな笑い声を上げる。
胸に顔を埋めたままそういうことをされると、こそばゆくてたまらないわけだが。その感じが僕は嫌いじゃない。ていうか、好き。
「頭撫で撫でして」
「ほい」
「……はぅ……」
藍が気の抜けた猫みたいな声を出した。
抱きしめて、耳元でささやいて、頭を撫でて、今日の彼女には出血大サービスだ。
まあ、やれと言われたらいつでもやるけれど。
「こうやって、ぎゅってして、ずっと身近にいると、涼の体温が伝わってきて、お互いの体温が溶け合っていくみたいに一つになって……、すごく好き」
「それは僕もそうかな。何で人肌ってこうも気持ちがいいんだろうか」
「……人肌だからなの?」
「……藍の肌だから、ですね。はい」
「よろしい」
「略して藍肌」
「サメ肌みたいに言わないでよぅ」
咎めるように口にしつつも、うふふ、とおかしそうに藍が笑う。
僕も少しだけ笑って、それからしばし話題が途切れる。
沈黙の下に彼女の頭を撫でていると、ちょっとした疑問が頭に浮かんだ。
「今日の藍はやけに僕に甘えてくるけれど、何か心境の変化でもあった?」
尋ねると、胸の中で考える気配。
「そうかな? わたしは今までとあんまり変わらないって気がしてるんだけど」
「ふむ。まあ、僕がそう思っただけだけど。少しだけスキンシップが過剰かなって」
「……嫌?」
「全然。むしろ嬉しいくらい。ただちょっと、何でそういう気持ちになったのかなって純粋に気になっただけ」
藍はそれを聞いて少し黙って、ややあってから言った。
「さっきも言ったみたいに、わたし、涼のこと、ほんとに大好きになっちゃってるみたいだから、……だから、その、自分で抑えが効かなくて……」
胸の中でもぞもぞと藍が身をよじった。
顔を上げて、僕の首元に唇を寄せる。
「いっぱい、愛してほしいな、って思っちゃうの。ごめんね」
それから、ちゅっ、と優しく首にキスをした。
僕はそれをくすぐったく感じつつも、嫌な気はしない。
「別にいいよ。いっぱい甘えて。藍のしたいようにしていい。僕は藍が幸せそうにしているのを見るのが好きだから。僕はそれで十分」
言うと、彼女が僕の目を見上げる。
間近で見つめ合った。
「……ううん。ちゃんと涼のことも考えるね。甘えてばっかりだなんて、だめだと思うし。涼にも甘えさせてあげられるように」
きれいな瞳に吸い込まれそうで、僕は息を呑んだ。
「僕は別に甘えたいとは言ってないんだけどね」
「……でも、甘えたくないわけじゃないんでしょ?」
「……正直言うと、ね」
「じゃあ、いっぱい甘えていいよ、涼」
にっこりと笑って藍が手を広げる。
僕のすべてを受け入れるように。
僕はそのまま彼女を抱きしめた。
「よしよし。涼はいい子だね」
そして、そんな台詞と共に頭を優しく撫でられる。
「……そういう甘やかし方をしてほしいわけじゃないんだけど」
「はいはい、素直になりましょうね」
「ぐっ……」
それからしばらく、藍に甘やかされていた。