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あいだけに  作者: huyukyu
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彼女の本音

 わたしはお母さんときちんと話をすることに決めた。


 涼があんな風に泣く姿なんて、わたしは初めて見た。

 多くの人に感謝して、ありがたいって言って泣くなんて、なんというか、涼の感受性はとてもきれいだと思う。

 ああいう姿を見て、普通はどういう感情を抱くものなんだろう。

 わたしはただそんな彼がすごいな、って思ったし、同時に、涼のそばにいられてよかったな、って思った。


 他の人にそこまで感謝の念を抱くなんてことはわたしには今までなかったから。

 「ありがとう」と口にして、その実、その言葉の本当の意味をわかっていなかったんだと思う。

 だから、今度からはきちんとその言葉を使えるようになっていきたい。


 ありがとうは、本当に感謝しているからありがとうなんだって。

 きっとずっと当たり前のことで、普通の人なら本当に当たり前にできることなのかもしれないけれど、わたしはできていなかったみたいだから、だから、ちゃんとしたい。

 ありがとうって思って。

 ありがとうって言葉にして。

 ありがとうって伝えたい。


 そんな自分になりたいと思った。


 お母さんと話すとき、涼に一緒に来てもらおうか、少し迷った。

 彼がいてくれれば心強いとともに、わたしはきっと無意識にでも彼に頼ってしまう。

 お母さんとの問題は、わたしが抱えた、わたしとわたしの家族との問題だ。


 だから、たとえ恋人であっても、涼に頼り切りになるべきじゃないと感じた。


 お母さんがわたしを大好きだと言って、お父さんとお姉ちゃんを大嫌いだと言って、わたしにだけ甲斐甲斐しくかまい、二人にはずっと冷たいままで。

 そんな家族のあり方を、わたしはずっとふてくされるようにして見過ごしてきたけれど。

 もうそんなのはおしまい。

 

 お母さんがわたしにいい娘であってほしいと望むのなら、わたしはいくらだっていい娘になってあげる。

 でも、それは九々葉睡蓮という人間にとっての、都合のいい娘じゃない。

 九々葉藍のお母さんにとってのいい娘。

 母に対する娘として、いい娘であってあげる。


 要するに、わたしはお母さんを叱る気だった。


 だって、お母さん、子どもみたいだから。

 家族の中で好きな娘とだけ親しくするなんて、そんなの子どもだよ。

 大人なら大人らしく、もっと理性的に振舞ってください。


 生徒相談室で涼と話した後、しばらくして戻って来た一木先生にコーヒーを振舞ってもらい、三人で一緒に飲んだ。

 それから、帰宅するべく、昇降口へ。


 並んで隣を歩く涼の横顔をそっと見上げる。


 小さな、けれど確かな微笑みがその顔に刻まれていて、密かにほっと安堵した。


「どうかした?」

「ううん。なんでもない」

 首を振って、涼の問いに答える。

 そう。なんでもない。なんでもないの。


 なんでもないことがこんなに幸せなことだなんて、今まで知らなかった。




 九々葉家までの下校路を自転車を押した涼と一緒に歩いた。


 家の前で彼と別れる。

「本当に一人で大丈夫?」

「うん。大丈夫」

「本当に?」

「大丈夫だって」

「何かあったら、すぐ連絡してくれていいから」

「もう。涼は心配しすぎだよ」

 再三にわたってわたしを気遣うようなことを言う彼に、思わず苦笑してしまった。


 子どもじゃないんだから。でも、大事にされてるみたいでちょっと嬉しい。


 そんな彼を安心させるようにわたしは笑った。

「お父さんもお姉ちゃんもいるから。それに、お母さんだって、別に悪い人なわけじゃないし。だって、わたしのお母さんなんだから」

 同じようなことを言ったのは涼だ。

 それでも母親なんだから、と。

「……わかった」

 一拍の間を置いて頷いた彼は、最後にわたしに軽く手を振って自転車に乗って去っていった。

 あれだけ心配した後の未練なき去り際に、それでこそ涼だという変な感慨を抱いて、わたしは一つ頷く。


「さて。がんばろう」


 胸の前で両手を握って、自分自身を奮い立たせた。


 涼のためにもがんばろう。


 駐車場を見る限り、まだ今日は誰も帰って来ていないみたいだ。

 けれど、明日は土曜日。

 腰を据えて話し合う時間はたっぷりとある。

 お母さんもお父さんも明日仕事はないはずだし。


 だから、いつも口うるさくされている分、今日こそはわたしもお母さんにお説教をしてあげるのだ。


 家族を大切にしなさい、って。




 初めに家に帰って来たのはお姉ちゃんだった。

 玄関の扉が開けられる音に、夕食の支度をしていたわたしはすぐにお姉ちゃんを出迎えに行く。


「お姉ちゃん、おかえり」

「ん? ああ、ただいま、藍ちゃん」


 ヒールのついたショートブーツを脱ぎ捨てるようにしていたお姉ちゃんが顔を上げ、ちょっと首を傾げるようにしてわたしの顔を見た。


「藍ちゃん、なんかいいことでもあった?」

「え? あ、うん。そうだね。あったかも」

「ほお」

 感心するような声を上げたお姉ちゃんに、わたしは言う。


「お姉ちゃん」

「ん?」

「今日、家族会議、しよう。それで、ね。その前に、お姉ちゃんにも聞いてほしい話があるの」

「……なに?」

 やや警戒するような声音でお姉ちゃんが訊き、わたしは答えた。


「お母さんのこと」


 すっと何かを見定めるように鋭い目を向けたお姉ちゃんは、わたしが一心にその視線を受け止めていると、すぐに、にっとあどけない笑みを浮かべた。

「……わかったよ、藍ちゃん。やっぱりあたし、藍ちゃんのこと大好きだわ」

「うん。わたしも大好き」

 言ってお姉ちゃんに抱きつくと、彼女はぎゅっとわたしを抱きしめてくれた。




 次に帰って来たのはお父さんだった。

「おかえり、お父さん」

「……ああ」

 薄く顎を引くだけではなく、言葉にもならない言葉だけど、一応、返答をくれたお父さん。

 そんな父に、わたしは言う。


「お母さんのことで、話したいことがあるの。聞いてくれる?」


 じっと無表情な瞳でわたしを見返したお父さんは、

「わかった。聞こう」

 そう端的に答えた。




 最後に帰って来たのはお母さん。

「おかえり、お母さん」

「…………ただいま、藍。……それと、楓も、あなたも」


 玄関で待ち構えるようにして彼女を出迎えたわたしの後ろには、お姉ちゃんとお父さんが立っている。

 わたしは腕を組んで仁王立ちをしているし、その後ろに立っているお姉ちゃんもわたしの真似をするように腕を組んで仁王立ちをしていて、さらに言えば、その後ろにいるお父さんも同じように腕を組んで仁王立ちをしている。


 きっと、それを見たお母さんはさぞびっくりしたことだろう。

 自分以外の家族が揃ってマトリョーシカのように背の順に並びながら仁王立ちをしているのだから。


 表面上は冷静な態度を取り繕っているお母さんが実は動揺しているということは、思わず靴を脱がずに家に上がろうとしたところからも見て取れる。

 慌ててブーツを脱いだ彼女は、呆れた表情でわたしたちを見やる。


「三人そろって何をしているのかしら?」


 わたしたちはそれに答えず、三人を代表してわたしが言った。


「お母さん。家族会議を、しましょう」


「……」


 お母さんは黙って、冷たい目でわたしを、わたしたちを見返した。




 夕食を食べ終えて、四人ともがテーブルに着く。

 わたしの隣にお姉ちゃん。正面にお母さん。その隣にお父さん。


「それで、あなたが家族会議をしようなんて言い出したのは、どうしてなのかしら?」


 食後の紅茶を嗜みながら、お母さんが言う。

 ちなみに紅茶を飲んでいるのはお母さんだけ。わたしもお姉ちゃんもお父さんも何も飲んでいない。


「単刀直入に言うね」

「ええ」

「お母さんを叱るためだよ」

「……」


 わたしがそう言うと、あからさまに不機嫌な顔をして、お母さんが見返した。


「あなた、自分が何を言っているかわかっているの?」

「それはもちろん」

「親を叱るだなんて、藍、あなたは何様のつもりよ」

「何様って、それはあなたの娘のつもりだけど」

「……」

 言うと、お母さんはまた紅茶に口をつけた。


「わたしは今までお母さんに叱られてばかりだったけど、でも、それはまあ、当然と言えば当然だよね。親として、わたしが間違っていると思ったら叱るのはそれは当然。だけど、お母さんだって人間なわけだから、間違うことだってあるでしょう? それを間違っていると思って、娘のわたしが指摘したとして、おかしいことがある?」

「……」

 お母さんは黙って、わたしの話に耳を傾けている。

 少なくとも、そんな風には見える。


「お母さんは間違っています。それもずっと昔から。わたしが子どものころに、お母さんは言ったよね? わたしのことが大好きだって。だから、わたしに優しくするんだって。けれど、同時にこうも言った。お父さんのことも、お姉ちゃんのことも大嫌いだって」

 言いながら二人を見ると、お父さんは口を真一文字に結んで静かに瞑目しているし、お姉ちゃんはどこか楽しそうに微笑んでいる。二人ともその話を聞いて、全然傷ついているようには見えない。

 お母さんが帰ってくる前に一度話しているから当然かもしれないけれど、一見して平然として見える二人であっても、けれどきっと、少しも傷つかないということはないのだと思う。

 家族に嫌いだと言われて、傷つかない人間はいないだろう。

 心に強い気持ちが湧き上がってくるのを抑えながら、わたしは言った。


「あのとき、わたしはそれを聞いて、お母さんのことがとても嫌いになりました。わたしはわたしだけが大好きだと言われても全然嬉しくなかった。そんな特別扱いはいりません。お父さんのことも、お姉ちゃんのことも、そのときのわたしは大好きだったし、今も大好きです。そんな二人のことを嫌いだというお母さんが理解できませんでした。何でそんなことを言うのかも、何でそんなことをわたしに言うのかもわかりませんでした」

 お母さんは感情を窺わせない無表情でわたしの話を聞いている。


「お母さんがお母さんなら、きちんと家族全員を見てください。わたしばかりじゃなく、お姉ちゃんのことも、お父さんのことも。わたしはいつもお母さんに反抗していたけれど、でもそれはお母さんの言っていることが間違っていると思ったからじゃない。お母さんのやっていることが間違っていたからです。わたしのことを特別扱いして、お姉ちゃんにもお父さんにも冷たく接するあなたのことが信じられなかったからです」

 話しているうちに怒りの気持ちが湧き上がってきそうになる。

 その気持ちを必死でこらえた。

 同時に思い出す。

 涼が語っていた、感謝の気持ちを。


「お母さんはもっとちゃんと、家族を見てください。わたしだけじゃなく、家族を。……お母さんがいつもがんばってくれているのはわかっています。掃除洗濯に仕事。最近は食事の用意はわたしが手伝っているけれど、それでも働きながら、家事をするのがとても大変なことだというのはわかります。いろいろなことをしてくれていることも。わたしが知らないことが他にたくさんあるってことも。でも、だからと言って、何をしてもいいというわけじゃないと思います。もっと、家族を大切にしてください。つらいかもしれません。苦しいかもしません。だけど、わたしも、わたしたちも協力しますから、だから、どうか、どうかちゃんと家族と向き合ってください。生意気かもしれないけれど、わたしはそう思います。わたしの言いたいことはそれだけです」


 言い切ると、ずずっと紅茶をすする音が静かなリビングの中に響いた。

 お母さんが紅茶のカップを持ち上げ、その中身をいくらか口に含む。それから、彼女の喉が動いて、紅茶を飲み干す。


 目線を上げたお母さんの表情は、やはり、冷たかった。


「……話はそれだけかしら?じゃあ、わたしは洗い物があるから」


 そう言って立ち上がろうとする。


 わたしは目の前がぐらつく思いだった。

 これだけ言ってもだめなのか。

 わたしはきちんと想いを込めて言葉を口にしたつもりだった。

 涼の言うように、育ててくれた感謝とかを今すぐに持つことは難しいけれど、でも、それでも、今の自分にできるだけの感謝の気持ちを持って、お母さんに向かい、気持ちを伝えようとした。

 それでも、お母さんには通じないのか。


 わたしがこれ以上言葉を紡ぐことを、諦めかけたとき。


「睡蓮っ!」


 とても力強い声が聞こえた。

 顔を上げると、お父さんが、わたしの父親であるところの九々葉(すずり)が、今まで見たことのないほど激した表情でお母さんを見据えている。


「……何? あなた。珍しくそんな大声なんか出して」

 お母さんは冷ややかな目でお父さんを見返す。

 構わず、お父さんは言った。いや、言ったというか、叫んだ。


「真剣に話している子どもをあしらう親があるかっ!」


 それはかつて聞いたことのないくらい父の大声であり、びりびりと鼓膜どころか、お腹のあたりにまで響く声だった。


 さしものお母さんもその声には驚いたのか、大きく目を見開いている。

 お父さんは続けた。


「藍の話を聞いただろう。お前は自分の娘の心からの訴えにも耳を貸せないほど狭量な女なのか。私はそんな女と結婚したつもりはないぞ。ふざけているのか。それとも、わざとやっているのか。お前は藍に真剣に応えてやるべきだ」

「……何よ。今までずいぶん黙りこくってたと思ったら、えらく饒舌に話すじゃない。それがいつもできれば、会社でももう少しましな立場に上がれたかもしれないのに」

「話をはぐらかすな!」


 馬鹿にするように言うお母さんの言葉を、お父さんは一顧だにしない。


「私の話は今はどうでもいいんだ。娘の心以上に大切なものなどあるものか。私の仕事についての文句なら、後でいくらでも話を聞く。そんなことよりも、今は藍の、そして、楓との話だ」


 激した表情と態度は裏腹に、お父さんはひどく静かな目をしていた。


「私が至らないこともあって、お前には苦労をかけている。それはわかっている。お前が私を嫌う気持ちも、私の会社での立場等にも不満を持っていることもわかっている。しかし、だからと言って、娘たちにまで八つ当たりをすることもないだろう」

「……八つ当たりなんてしていないわ。わたしは……」

「事実、こうして無用な心配をかけているだろう。それ以上の言い訳は聞かない」

「……」


 お父さんはぴしゃりとお母さんの理屈を跳ねのける。

 いつもの無口な様子とは打って変わって、とても頼りがいがあった。


 何となくお姉ちゃんのほうに目をやる。

 目が合うと、お姉ちゃんは微笑んで、ぽんと優しくわたしの頭に手を置いた。


「大体、あなたがまともに子どもの相手をしてくれていたら、こんなことにはなっていなかったんじゃない!」

「それは……そうだ。全部、お前に押し付けた。私が悪い。だが、それで娘たちにまで冷たく当たることはないだろう」

「あなた、それは……」


「はい、ストップ~」


 父と母の言い争いが熱を増してきたそのタイミングで、とても気の抜けた声を上げたのはお姉ちゃんだった。

 お姉ちゃんは立ち上がって、父と母の間に割って入る。


「とりあえずさ。いたいけな娘の前で夫婦喧嘩は止めない?」


「……」

「……」


 にっと笑いながら言うお姉ちゃんに、ばつが悪そうにお母さんは目線を逸らした。

 お父さんはちょっと申し訳なさそうに、いつものように顎を引いた。


「はいはい。じゃあ、藍ちゃんも立って~」

「え?」


 手を引かれ、椅子から立ち上がると、家族四人がそれぞれ向かい合うような形になる。


「はい、ごめんなさい」


 そして、お姉ちゃんがそう言って頭を下げた。

 わたしも含め、きょとんと三人が三人ともお姉ちゃんの行動をただぼうーっと眺めた。


 顔を上げたお姉ちゃんはとても清々しい表情をしていたが、わたしたちの顔を見て、小さく首を傾げる。

「あれ~? わかんなかった~? みんなで一緒にごめんなさいして、謝って、水に流そうと思ったんだけど」


 ああ、そういうこと。

 納得するとともに、お姉ちゃんに続いてわたしも頭を下げようとして、お母さんのヒステリックな声に遮られる。


「楓! あんたは黙ってなさい!」


「ひっどいな~。お母さんは~。いくら嫌いな娘だからってさ~。藍ちゃんと露骨に態度違うよね~」


 けれど、お姉ちゃんはそんなお母さんの態度にも怯まず、へらへらと笑って見せた。

 その様子に、逆にお母さんの方がはっと口元を抑える。


 それを見て、お姉ちゃんはにやっと笑った。


「そういうほんっっっと、どうでもいい確執とかさー。全部含めて水に流そうっていう話。そりゃあ、心情なんてプログラムじゃあるまいし、0か1かじゃ判定できないけどさ。それでも、一つの区切りにはできるでしょう? あたしは今までの家族関係なんてそんな好きじゃないし。藍ちゃんとお母さんが喧嘩してるのなんてもう見たくないし。お父さんがずっと黙ってるのはまあ、別にいいとしても。お母さんが露骨にお父さん見下そうとするのもちょっとねー」


 それからさ、とお姉ちゃんはまるでどうでもいいことを付け足すように続けた。


「……それからさ、ついででいいからあたしのことも、ちっとは娘としてかわいがってくれるとありがたいしね。もう少し、かわいい娘みたいにさ。生意気な女とか、こましゃくれたガキだとか、そういうんじゃなくて、単純に娘として……。

 

 ……うん、ほんとそう。


 ずっと、放任主義だと自由でいいんだけどさ。でも。でもね。それでもさ……、寂しいときっていうの、あるにはあるんだよ。寂しくて寂しくて、寂しすぎて……、どっかの男と逃げちまおうかって気になりかねないくらいにねー。


 ――だから、さ」


 だから、とお姉ちゃんは言った。


 だから、とお姉ちゃんは言った。


 ――涙で濡れた赤い目をいっぱいに見開いて。


「だか、らっ――っ……! 家族みん、な……なかよく、しようよぉ……――っ」


 消え入るような小さな声で、震える肩を抱きしめながら。


 嗚咽をこらえて、口元を抑える。


 わたしはそれに、涙をこらえきれなかった。


「……」

「……」


 お父さんとお母さんは唖然として、お姉ちゃんを見ている。


 いつもいつも、へらへらと笑って状況を眺めているだけだった楓お姉ちゃんが泣いている。


 それも、家族がみんな仲良くしてほしい、そのためだけに。


 わたしは、胸がいっぱいになる想いだった。


「睡蓮」

「あなた……」


 お父さんとお母さんは向かい合って、それから、同時に、頭を下げた。


「「今までごめんなさい」」


 それを見ていたお姉ちゃんは、泣き顔のまま、小さく無邪気に笑った。




 その後の家族の会話は、本当に久しぶりに家族団らんと言えるものになっていたと思う。

 多少ぎこちなくはあるけれども、きちんと向き合って、きちんと気持ちを伝えあって。

 お母さんは、お父さんにもお姉ちゃんにも、わたしにも、いつものように冷たい口調ながらも、どこか歩み寄りを感じさせる言葉を選んでいたように思われたし、お父さんはいつもよりも少しだけ口数が多いように思われたし、お姉ちゃんはいつもよりも無邪気に笑っていたように思われた。


 一時間ほど、珍しい家族団らんの時間を過ごし、みんな、さて、順番にお風呂でも入ろうという雰囲気になった頃合い。


 わたしはその一時間の間ずっと、言えなかった、とても大切なことを彼らに言わなければならなかった。


「あ、あの!」

「ん?」


 テーブルについていたみんなが立ち上がって動き出そうというところでわたしはそんな声を上げた。

 深刻そうなわたしの様子に気づいて、三人ともまじめな顔つきになる。

 わたしは勇気を振り絞って、口を開いた。


「わ、わたしだけ、『ごめんなさい』って言ってない……」


「「「……」」」


 三人は一瞬真顔になって、同時に顔を見合わせた。

 それから、三人して大声で笑った。


「え……? え? な、なんで?」


 今まで聞いたこともなかったお父さんの笑い声とか、久々に見るお母さんの笑顔とか、そういうものに注意を向けることもできず、わたしの頭の中は疑問符に包まれた。


 な、なんで、みんな、笑ってるの……?


 この後、落ち着いた三人にはきちんと「ごめんなさい」って言いました。




一番、家族が仲良くあってほしいと思っていたのは楓さんだったというお話。

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