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「いいんですかぁ、ヘカテーさま。あんな奴に地図あげちゃって」
「いいさ、別に。地図はもう頭にはいっているし、場所も分かっているからね。もう用はない」
警察署の休憩室を借りて夜までいると決め込んだのはつい先刻だ。まるでここがカフェだとでもいうかのように、優雅に出された緑茶を飲んでいる。これがコーヒーか紅茶だったならきまっていたのに、と金鵄は思うが、口が裂けても言えない。
「それにしても、まったくふざけた真似をしてくれるね。これは、みせしめだよ。わたしへのね」
「み、みせしめ……?」
「そうさ。次はわたしの番だってね。カードゲームとおなじさ。次はわたしの番。わたしのターンだよ」
黒く、うつくしいヴィンテージ・レースを施されたドレスの裾をつかむ。そうして窓の外を見下ろし、行きかう人々の群れを見つめていた。
「……歓迎されない人物……。わたしのかわいい子どもたちをいたぶってくれたわね。さあ、どうやって料理してやろうかしら」
マドンナ・ブルーに似た目の色が獰猛に光り輝く。夕陽の光で反射する片方の目の色は、背筋が寒くなるほどに真っ青だった。もう片方の目は、眼帯で隠されてしまっている。その目の“ありか”は金鵄でもわからない。
「ヘカテーさま。あいつの眷属って、何人も作れるものなんですか?」
「作れるさ。自分の血を捧げればね。今の時代、いや、昔から、人間という生き物はイレギュラーが出てくる。必ずね。なぜなら人間は一人じゃないし、おなじじゃないからさ。必然だから。それでも、その“ふつう”のなかでも、特別目立ちたがり屋の子どもが出てくるのも必然よ。自分は“ちがう”。“ふつうの人間じゃない”。“選ばれた人間だ”という子がね」
「誰に選ばれるんですか?」
「さあ。天啓だかなんだか知らないが、そういうものだろうよ。だが、それが本物かどうかは知らないがね。ただ、思いついただけなのかもしれない。なんとなく――ってのが、一番やっかいなのさ。カタチがない。それゆえに、突き詰めようもない。だから、今回の事件もそうだろうね。なんとなくってのが最初にあって、そういう特別性を求める子が、あの女の眷属になる。――正真正銘、特別になるんだよ」
はきすてるように囁いたヘカテーの目は、窓のむこうをきつく睨んでいる。まるで、ケリュネイアがそこにいるかのように。
「思春期に多い傾向があるわ。だから、愚か者どもは若い男か女だろうね」
「さすがヘカテーさま! 冴えてらっしゃいますね!」
「金鵄……すこし考えれば分かることだよ。さて、そろそろ出ようかね」
「はい!」
警察署から出るとすでに町は夕陽につつまれていた。スカーレットに守られるようにつつまれた町中は、やはり固まって行動する人間たちが多い。
その表情はおびえ、そして堅く口を結ばれているようにも見える。
30分ほど歩いただろうか。辺りは暗く、街灯の明かりでさえ心もとない程に闇につつまれていた。
「6時30分。若い娘が帰宅するにはちょうどいい時間だね」
「本当にここで? ここは住宅地ですよ?」
「いいんだよ。一昨日と昨日の犠牲者だって、住宅地の真ん中で殺されたんだから。おいで、ティシポネー」
道化師を軽く振ると、幼い子どもが影からぬっ、と這い出してきた。
少女の姿をした殺人の復讐者は、可憐なピーコック・グリーンのドレスを着て、まるで「ピアノの発表会」に行く姿だ。
しかし彼女はヘカテーの眷属「エリニュス三姉妹」のうちの一人である。
エリニュスとはすなわち「復讐の女神」であり、ギリシア神話のクリュタイムネーストラーを殺したオレステースを追い、狂い死にさせたと言われている。
「はぁい、お母さま。なにか、ご用? あと、鳥頭」
「と……っ鳥頭ぁああ!!?」
「だって鳥じゃない」
「けんかはおやめ。ティシポネー。おまえに大事な役をまかせようとおもうんだ」
きれいな黒髪をした彼女は、うれしそうに両手をあげて笑った。そんなに嬉しいのだろうか。おとりになることが。
「おとりになれって!? ウン、やるやるっ! で、そのニンゲン、食べていいのっ!?」
「だめだよ、ティシポネー。人間には人間の世界があるんだ。おまえが喰ってしまったら、一生牢獄暮らしだよ」
「えー……。しょうがないなぁ。で、どうすればいいの? お母さま!」
「なに、簡単なことさ。そのままこの辺りを歩き回ればいい。襲ってきても、手出ししてはいけないよ。おまえが本気を出したら、死んでしまうからね」
「はぁい」
彼女はすこし残念そうに、とぼとぼと街灯がある通りをひとり歩きはじめた。金鵄とティシポネーは仲が悪い。だから、ヘカテーも同時にあまり会わせないようにはしていたのだが、今回都合がいい眷属は彼女しか見当たらなかったのだ。
ほかのエリニュス姉妹は、持っているものが物騒なので、今回は呼び出すことはできない。
ヘカテーと金鵄は近くの公園にひそみ、ティシポネーの様子をうかがう。
「……それにしても、べたですね。公園で待ち伏せなんて」
「うるさいね、金鵄。要はバレなきゃいいんだよ」
ブランコに座って、ただただティシポネーの連絡を待つ。ふいに、「そういえば」と金鵄がくちびるを開いた。
「警察は何をしているんですかね?」
「さあね。この辺りの見回りを強化しているくらいじゃないか。八月朔日が渡した地図を信じれば、の話だがね」