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「ほ、八月朔日くん、そんなに睨まないで。こっちに座らないかね」
「結構です署長。そんな非科学的な生物と茶飲み話をしたくもないので」
黒ぶち眼鏡の頭を指であげると、ヘカテーを睨んだままの男は、口を開いた。
「今時魔女だ魔法だなどと、馬鹿馬鹿しい。お前たちが本物だというのなら、どうして犯人を捕まえられない?」
「おや。ごあいさつだね。八月朔日。捕まえられないのは、きみたち警察だろう? わたしは協力はしても、逮捕できるような権限をもっていないのだからね」
「……」
八月朔日はちいさく舌うちをし、署長室から出て行った。金鵄はおもわず「ざまぁみろ!」と心のなかで叫んだ。口合戦では、ヘカテーに勝ったことがないのだ。あの男は。
「非科学的、ねぇ……。ふふ。いつも、あの子はわたしを楽しませてくれる……。まあ、いい。さて、小林署長。どうする? 許可を出してくれるのならば、わたしはあの女のしもべを探し出すことは造作もないよ」
「いやあ、お恥ずかしながら、今回もお願いしましょう。私どもも、まったくの別件で立て込んでいましてな。最近、若い連中も風邪だかなんだかで倒れてしまうものも多いんですよ。季節の変わり目だからでしょうかねぇ……」
「疲れもたまっているんだろう。わたしはこれで失礼するよ。金鵄。行くよ」
「はい!」
「では、ごきげんよう。小林署長。わたしはこれから調査に出かけさせてもらうからね」
小林はにこにこと笑ったまま、敬礼をしてみせた。このなかが暑いのか、汗をひっきりなしに拭いている。
後ろ手で扉をしめ、ヘカテーは男ばかりの部屋をどうどうとレッド・カーペットのうえでも歩いているような足取りで、横切ってゆく。
「見ろよ、あれが佐柳下弦だぜ。なんか……すげぇ、魔女って感じしないか?」
「ああ、本当だ。毎日、ドレスで過ごしているんだろ?」
「着目点はそこかよ……」
「なんでも、あの魔女は人の心を喰って、救うらしい。どういうことだか分からないが……」
こそこそと話をしている若い警官たちを、離れた場所でじっと睨んでいるのは八月朔日だ。まるで自分の親の仇を見ているような目だ。金鵄たちには関係がないが、たぶん八月朔日は浮いた存在なのだろう。
警察署から出ると、きれいな秋晴れがヘカテーたちを照らした。
「ああ、まぶしいねぇ。日傘をもってくればよかったよ。……まあ、いい。それより、あの女のにおいはする? 金鵄」
「いいえ。まったくしません。――というか、不自然にしないっていったほうが正しいかもしれませんけど」
「そう。なるほどね。じゃあ、ちょっとわたしの知り合いに会いに行ってみようか」
そう言って、ヘカテーは山があるほうへ歩きはじめた。
車がたくさん走っているなかを、優雅に歩く。金鵄はいつも車にひかれやしないか冷や汗をかいているのに、彼女は堂々たるものだ。
車こそがよけていけとでも言っているかのように歩いている。
歩き続けて一時間はたっただろうか。林というよりも山と言ったほうがいいだろうか。緑が多い茂るなかを歩いて行くと、一件の家がぽつんとたたずんでいた。
「ここは? 俺、見たことないですけど」
「そりゃ、連れてきてないからね。どれ、ちょっと入ってみようか」
古い民家で、なんだかお化けでも出そうだ。
「禮」
悲鳴をあげる扉を開けると、ヘカテーがその人の名を呼ぶ。それでも返事がかえってこない。ヘカテーはドレスをかつげ、古い玄関に入っていった。ぎし、ときしむ床は、今にもぬけそうだった。
「ちょっと、ヘカテーさま。勝手に入っていいんですか?」
「いいのよ。だって返事がないんだから」
そういう問題なのだろうか。それでも金鵄はおとなしく彼女のあとをついてゆくしかない。やがて奥の座敷につくと、ヘカテーの手がふすまの取っ手に手をかけ、思い切り引いた。
ぎいい、と音がしたが、関係ないとでもいうかのように、ヘカテーは堂々とその部屋へ足をふみいれる。
「禮。いるんじゃないか……。まったく、いつもどおりだねぇ。きみは」
「いつもどおりじゃなきゃ、私はここにはいないよ」
奥座敷に鎮座していたのは、とても美しい女性だった。すこしだけ日に焼けた、ランプ・ブラックの髪を後ろで縛り、テレビで見ただけの緋袴と、千早を着ている。目元は優しげだが、芯が通っているようにみえた。
「この子が使い魔? 初めましてかな。私は禮。よろしく」
「あ、え、ええっと、よろしくお願いします」
白い手が握手を求めてくるので、金鵄もおもわず手をさしだした。やわらかな手を握ると、ゆっくりと揺さぶってすぐに離れる。
「さて。今日は何がお望みかな? ――この町の、大いなる意思よ」
「その呼び名は好きじゃないね。わたしの力が及んでいない場所も多々ある。きみが得意とする哀れな流浪の神々――野良神には、わたしの力は及ばない。わたしのような異邦の民では、手出しもできないからね」
「それは失礼した」
肩をすっとすくめて、禮は皮肉っぽい笑みをうかべた。その表情すら、美しい。まるで、彫刻のようだ。
「わたしがほしいものは、地図だよ。このあたり一帯のね」
「地図。へぇ。また、犯人さがしをする気だね。まったく、人に優しい魔女だこと」
「なんとでもお言い。それで、あるの? ないの?」
「あるよ。高いけどね」
彼女はウインクをして、奥座敷においてある、古びた桐箪笥を白い指でつい、とひいた。木がこすれる音がして、そこから一枚の紙が人差し指と中指にはさまっている。
「これだね? 分かっていたよ。私は巫女だからね」
「もらっとくよ。金は後で振り込んでおくから」
「まいど」
はさまっていた古い紙をぬきとると、ヘカテーはそのあちこちやぶけて、変色してしまった紙を見下ろした。
「じゃあ、わたしたちはこれでお暇するよ。いくよ、金鵄」
「は、はいっ!」
あぐらをかいて、ひざにひじを乗せて笑っている彼女の部屋をあとにし、さっさと古い屋敷を出てしまう。林をぬける最中、古い車が通り過ぎていった。
町に再び出ると、すでに夕刻になっていて、ローシェンナの色に空がそまっている。
「あのひとは、いったい誰なんですか?」
金鵄が口を割ると、ヘカテーは赤いくちびるの端をあげて「言っただろう。巫女さ」とわらった。
「巫女? 巫女って、何でもできるんですか? 魔女みたいに?」
「馬鹿な子だね。おまえというやつは。魔女は魔女。巫女は巫女。まったく違うものさ。なぜなら、巫女は魔法をつかえない。かわりに、与えられるんだよ。力をね」
「誰からです?」
「神からだよ。さて、今日の調査はこれまでかね。帰るよ。金鵄」
エンパイア・ドレスの裾をひるがえして、彼女は夕陽に背をむけた。