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カエルレウスの魔女  作者: イヲ
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-9-

 本当にありがとうございました、と頭をさげた結は、ヘカテーと允嗣をのこして、家に帰っていった。


 ビル街は、まだ賑やかだ。

 日曜日だが、スーツを着た若い男性や、夕食にむかうであろう家族連れがヘカテーたちのまえを通り過ぎる。

 華やいでいるわけではない。

 允嗣はそっと息をついた。

 蔓草のように、こころのなかを這う植物は、いまだとけない。


「ヘカテー」

「なんだね」

「……今日は助かった。礼を言う」

「わたしはなにもしていない。気にすることはないよ」


 黒のエンパイア・ドレスは風にゆれ、ふわりと風をふくんだ。


「おまえの力をあてにしないと、誓ったはずなんだがな……」

「結果的に、魔女の力を使わなかったから、いいんじゃないか」

「そういうわけにもいかないだろう。これは俺の問題だ」

「大げさだねぇ」


 くすっとほほえんだヘカテーの表情はどこか、少女のようにみえる。允嗣はそれを見ないふりをして、そういえば、と話を切り替えた。 


「金鵄はどうした」

「金鵄なら、食べるものを食べて飛んでいってしまったよ。どうやら見たいテレビがあるみたいでね」

「そうか……」


 使い魔も、テレビを楽しみにするものなのかと、理解する。

 

「ヘカテー、腹が減っているなら、うちに来たらどうだ」


 何をいっているのか分からないまま、允嗣は口をついて出たことばを、素直に吐き出した。

 ふと自分は一体何を口走ってしまったのかと後悔する暇もなく、ヘカテーは隻眼の瞳を見開いた表情をただ呆然と見つめる。


「いいのかい?」

「あ、ああ……」

「久しぶりに梢にも会いたいしね。ご同伴にあずかろうか」

「分かった。梢に電話するから、すこし待っていろ」


 そう言い残して、ヘカテーに背をむけた。

 なにも、自分が作るのだから電話をしなくてもいいのだが、ここから逃げたいなどという、無様な想いから電話をしてしまった。

 

 電話口の梢は、うれしそうにもちろんよ、と笑っている。

 しかし、允嗣のこころはどこか違う場所に浮遊しているようだった。


「あ、私、これから友達の家で夕食を食べる約束をしているの。だから、私のぶんはいらないよ。お兄ちゃん、私がいないからってヘカテーさんを襲っちゃだめだよ?」

「何のことだ、それは」

「だから、友達の家にね」

「それは分かっている。俺が言ってるのは――」

「あ、もうこんな時間! 私、行かなくちゃ。じゃあね、お兄ちゃん」

「まて、梢!」


 切れた携帯からは、つー、つー、という、ひどくまぬけな音が聞こえてくる。

 おもわず允嗣は眉間にゆびをあてた。

 もっとも、允嗣は刑事なのだから、むざむざ危ない橋(・・・・)を渡ることもないのだが。


「梢がどうかしたのかい?」

「いや、……梢は、友人の家で夕飯を食べてくるらしいから、いないと」

「そうか……。それは残念だ」

「まあ、いい。ついてこい。夕飯がふたり分なら、いつも通り作れるからな」

「ありがとう、允嗣」


 湖のようにひとつしかない青い瞳。

 そこには、なんの邪気もなかった。彼は彼女に背をむけて、くちびるをそっと結んだ。


 家につくまで、ふたりはなにも話すことはなかった。

 玄関につくまで、ただ通り過ぎる近隣の住人たちを、見送っただけだ。


「入れ」

「ああ。お邪魔するよ」


 ドレスをかつげて家に入ると、彼女はそっと目を細める。なにかを見るように。


「きれいなままだね。とても、空気が清浄に澄んでいる」

「……」

「きみのご両親の愛情が満ちている。とても、きれいな家だ」

「……そうか」

「信じないかね?」

「いや」


 眼鏡をおしあげて、シャツの上に着ていたうすいカーディガンを脱ぎ、ハンガーにかける。

 

 信じられない、と思っていたのは以前のことだ。今は、自分の視野が狭かっただけなのだと知る。


「待っていろ。夕食を作ってくる」

「わたしも何かできることはないかな」

「ない。そもそもおまえ、料理できるのか?」

「料理などしたことはないねぇ。紅茶や緑茶をいれるくらいならできるが」

「なら大人しくすわっていろ。30分もあればできる」


 そうか、とヘカテーはどこか寂しそうに肩をおとした。

 その姿ははじめて見る様子で、允嗣はおもわず息をのんだ。彼女も、そんな表情をするのか、と。


「わかったよ。大人しくしていよう」

「そうしてくれ」


 ソファに大人しく座り込んだ彼女は、中庭につづく窓をみつめ、そのままくちびるを開くことはなかった。

 キッチンに入り、冷蔵庫のなかを確認する。

 たしか、棚のなかにはトマト缶もあったはずだ。

 今日はハッシュドビーフにしようと、壁にかかっていたエプロンを身につけた。




 のこされたヘカテーは、そっと窓のそとを見上げる。

 すこし、曇ってきたようだ。台風のおおい季節がやってくる。

 膝のうえにおいた白い手を、知らず知らずのうちに握りしめていた。

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