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それから30分は歩いただろうか。
林といえば聞こえはいいが、草がおいしげり、木の背が高すぎて光が入ってこない。
実に不気味だった。
ヘカテー自身もひさしぶりにこの林に足を踏み入れる。
暗い場所は嫌いではないが、足にまとわりつく草がうっとうしい。
「やれやれ、相変わらず湿っぽい場所に住んでいるねぇ……」
「佐々木、大丈夫か」
「だ、大丈夫です、これくらい! 刑事なんですから!」
どこか憤慨している様子の結にヘカテーがふりかえると、はっとして恥ずかしそうに目をそらせた。
刑事という仕事のことをヘカテーがどれくらい理解しているかといえば、テレビで見る程度だ。允嗣に仕事のことを聞くようなこともないし、聞こうとしたこともない。
「刑事というのも大変なんだね」
「え、ええ、まあ、そうですね」
背の高い木から、鴉の鳴き声が聞こえた。ひっ、と結の肩がすくむ。
「大丈夫かね、結」
「へ、へへへ平気です!」
「そのことばを信じるとすれば、どうやらその男の魂は夜によく来るようだね」
「はい……。夕方から夜にかけて、ですね……」
「なるほど。たそがれ時、というわけか。たそがれ時は此岸と彼岸があいまいになる時間だ。むこうも出入りしやすいのだろう」
話しながら歩いていると、ようやくぼんやりとした明かりが見え始めた。玄関口の明かりだ。しかしそれもちかちかとして今にも消えてしまいそうだった。
呼び鈴をおすが、どうやら壊れているらしい。
「まだ壊れているのか……。しかたがない。入ろうか」
「不法侵入じゃないのか、それは」
「なに、いつものことだ。それにわたしはちゃんと呼び鈴をおしたし、壊れたまま直さないのがいけない」
「どういう理屈だ、それは」
允嗣がどこかあきれた様子で呟いたあと、ヘカテーは遠慮なくガラス戸をひいた。
一応靴をぬいで、ながく伸びる廊下をあるく。
ぎしぎしといういやな音が聞こえるが、なかはきれいに掃除されていた。
家の主はいつも、まんなかの部屋にいる。それを知っているヘカテーはまっすぐその部屋にむかった。
「ようやく来たね」
襖をあけると、あぐらをかいて長い髪を水引でむすんでいる女性――禮がいた。
切れ目の、つめたい印象をうける禮は、薄化粧をしたくちびるを、にっと横にひろげて、「まっていたよ」とわらう。
「金鵄なら、となりの部屋で秘蔵の和菓子を勝手に食べているよ」
「ああ、そうかい。それは悪かった」
「いいさ。せっかく獲物をつれてきてくれたんだから」
真っ黒な瞳を結へとつきつける。その迫力に、結のストッキングにつつまれた足が一歩、さがった。
「あの、あなたが……あの男の……」
「ああ、そうさ。たしかに……魔女が好まない魂と目をしているね」
あぐらをかいたままの禮は、視線だけで「すわれ」とうながす。
ヘカテーが優雅に畳の上へじかにすわると、ふたりもつられるようにして座りこんだ。
千早に緋袴をつけている禮は、膝に肘をあてて、頭を手でささえている。ずいぶんガラの悪いすわり方だが、彼女のスタイルだ。ヘカテーはなにもいわない。
「で、ヘカテー。私は、その愚か者の魂と目を祓えばいいんだね?」
「ああ、それでいい。きみの言うとおり、わたしはあまりこういうものは好みじゃないんだ。できれば食いたくはないからね。礼金ならいつも通りに」
「れ、礼金!? お金ですか!?」
結が叫ぶも、なにを驚いているのか分からない禮は、首をかたむける。
「渡る世間はギブアンドテイク。どっちかがなくなったら、信頼は勝ち得ないものさ。まあ、金だけじゃなくてもいいけどね」
人指し指と親指を丸めて「金」のしぐさをすると、彼女はニヒルにわらった。
しかし、刑事ふたりはこれが違法ではないと分かってしまっているから、もうなにも言わない。
ただ、法外な料金をとられないようにと祈るばかりだった。
「そんなに心配しなくとも、わたしが礼金をだすよ。きみたちはわたしを頼ってきた。だが、わたしがそれを否めたのだから、こうするのは当然だろう。なに、心配しなくともいいさ。金ならある」
「そういう問題じゃないです! 私だって公務員です。お給料がすくないとはいえ、ちゃんと貯金していますから!」
「そこまで言うのなら、折半にしよう。それで構わないね」
すべて出す、とは何故か結は言えなかった。無論、すべて出さなければならないと思っていたが、ヘカテーの隻眼の瞳にみつめられると、否と言うことは出来なかったのだ。
「わ、分かりました……。ありがとうございます、ヘカテーさん」
「ふふ、素直な子は好きだよ。結。じゃあ禮、商談は成立だ」
「まいど。そうだね。こことここをこうして……ああなっているから……ざっと10万だね」
「じゅ……」
允嗣が閉口するのも分かるが、ヘカテー自身はかなり良心的な金額だとおもう。
祀られることがなくなってしまった神が野良化したもの――すなわち野良神を祓うための力をもつ、珊瑚明宜が請求する金額とはかなり違う。
野良神とはいえ、むこうは祟る神だ。命さえ奪われかねないのならば、その何十倍も請求されるのは、当たり前のことだろう。
ひとの魂とは比べものにならないのだから。
「安いほうだとわたしは思うけどね。じゃあ、あとは頼むよ。わたしと允嗣はここにいる」
「分かった。任せときな。こういう、人の魂は私の専門だからね。100パーセント祓えるよ」
自信満々の禮は、不気味に表情をゆがませて、きれいな所作で立ち上がった。
ついてこいと結に目配せをすると、彼女も禮にしたがって部屋を出て行った。