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三日後のことだ。
ヘカテーと金鵄は、林をぬけるために歩いていた。
日差しはあまり強くはないが、ヘカテーは黒い日傘をさしている。
黒のエンパイアウエストのドレスには、繊細なブラックレースが縫い付けられていた。
允嗣の様子がおかしかったことを思い出したが、会えば分かるだろう。
「それにしても八月朔日のやつ、一体どういう用事なんでしょうか」
「さぁねぇ。わたしも分からないよ。だが、様子がおかしかったことはたしかだ。それに、おまえを連れてきた方が好都合だとも言っていた」
「好都合ですか……。ますますあやしいですね!」
くるぶしをくすぐるみずみずしい色の草は、もうじき枯れてしまうだろう。
もうじき、秋がくる。
そうして、季節はめぐるのだろう。
人間は年をかさね、魔女はそれを見送るだけだ。
道化師を握りしめ、そっと空を見上げる。
人間界とはほどとおい、天の国。
きよいものしか立ち入ることの出来ない天の国のリリイは、今、なにをおもっているのだろう。ヘカテーには想像しがたい。
物憂げな表情をしていたリリイ。あの存在は、おそらく特異だ。ヘカテーとおなじように。
「ヘカテーさま、どうされたんですか? そんな暗いお顔をされて」
「いや、たいしたことじゃないよ。すこし、気になることがあってね」
こつ、と音がする。林からぬけた先。目抜き通りの道路にヒールを落とした音だ。
林をぬけたすぐそこに、允嗣と見知らぬ女性が立っていた。
黒い髪の毛をボブにした、清潔感のある女性はシフォンのブラウスに、膝丈の新緑の色をしたスカートをはいている。
「はじめまして、ヘカテーさんと、金鵄さん……でしたよね? 私は佐々木結と言うものです」
「ああ、はじめまして――」
「佐々木は俺の後輩だ。最近、気になることがあるらしいのだが、聞いてやってくれないか」
「なるほど……。そういうことか」
彼女は「なにか」に怯えているふしがある。
ヘカテーはうなずき、結の目をみすえた。
きれいな目をしている。嘘をつくことが苦手な目だ。
しかし――。
「じゃあ、近くのカフェに行きましょう。そこでお話しします」
「そうだね。そうしようか」
率先してあるく結のうしろを歩く允嗣は、やはりどこか様子がおかしい。妙に険しい表情をしている。
「……允嗣。どうしたんだ、そんな険しい顔をして」
「いや……。気丈に振る舞ってはいるが、佐々木はずいぶん参っているようだった」
「そうか。そうかもしれないね。彼女は嘘をつけないが、どうやら目に縛られているようだ」
「目に縛られる?」
怪訝な声色の允嗣へ、ヘカテーはことばを返さなかった。
金鵄もどこか怯えたような表情をしている。允嗣はこれ以上ことばを呟くこともなく、ただ結の背中を見下ろしながら歩いた。
やがて、ほの暗い路地にある、観葉植物がおいてあるカフェに着くと、結はいったん立ち止まる。
ちら、と允嗣のほうを見つめると、意を決したようにアンティーク風のつや消しのドアノブを引いた。
彼女はいちばん奥の席に立ち、ヘカテーたちが席につくと続くように椅子にすわった。
店員が注文をとるために席に近づくと、緊張したおももちの結は、そっとくちびるを開く。
「みなさん、コーヒーでよろしいですか?」
「ヘカテー、おまえもコーヒーでいいか」
「ああ、いいよ」
コーヒーを四つ注文すると、店員はしずかに去って行った。
「さっそくですが――。私、あの、誰かにつけられているような気がするんです……」
「ええ? それこそ警察の役目なんかじゃないんですか?」
「ええ、金鵄さんの仰るとおりです。八月朔日先輩や、同僚のかたたちに協力してもらったんですけど、姿が見えなくて……」
「姿が見えない?」
ヘカテーが問うと、結はゆっくりとうなずいた。
その様子はやはり、允嗣のいうとおり相当気に病んでいるようだ。
「最初は気のせいって思っていました。でも、視線というか――いたたまれなくなるくらいの距離感というか。そういうのがずっとつきまとっていて、仕事も手につかないんです」
「なるほど。わたしから見るに結。きみは嘘はついていない。それは分かる。そして、残り香があることはたしかだ」
結の肩がぎくりとゆれる。
ヘカテーはそれを見逃さず、彼女の身を案ずるように、ふたたびくちびるを開いた。
「おそらくそれは、きみがよく知っている人間ではないのかね? 結」
「そこまで分かるんですね……。そうですね、なんとなく――あの人と似たような感覚です。私、ストーカー被害にあっていました」
「そうだと思った。そのろくでもない男は、おそらくもう生きてはいまい。だから、不気味なのだろう?」
彼女は疲れ果てたような表情をして、うなずいた。これでは、警察など無意味だ。相手は死んでいては逮捕もなにもできたものではない。
「そう気づいたのはいつだね? 視線やその存在感がその男だと気づいたのは」
「二週間ほど前です」
「そうか……。金鵄。どうだい。残り香はどこから感じる?」
先ほどから怯えるように肩をすくませている金鵄は、嫌そうな顔をしながらその残り香を感じ取っている。
人が嫌悪感を抱くにおいを嗅ぐいやなのは分かるが、端正な顔をしているのだし、もうすこし顔に出さないことを覚えた方がいいとヘカテーは内心思う。
「ううん……。たしかに、においはしますね。それも、すぐ近く。このあたり」
「!!」
「怖がらせるようなことを言うんじゃないよ。だが、そうか。このあたりか……」
「あ、あの……」
ヘカテーは、すっと立ち上がり、結がすわっている場所に近寄った。
ちょうど店員の死角にあたる位置で、道化師にふっと息を吹きかける。
青い宝石から蝶がゆらめくように発現し、彼女のまわりをふわりと漂いはじめた。
驚いたように体をこわばらせた結は、緊張するように目を見開く。
直後、たゆたっていた青い蝶が、ぱちん、という音ともにはじけて消えてしまった。




