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――だれ。
真っ黒な長い髪の毛を風にゆらしながら、女性はわらった。
「わたしはサンタ・マリア。そして、ヘカテーの名前をもつ魔女」
――ヘカテー?
顔は見えない。
たそがれ時。
巨大なだいだい色の太陽をせおって、彼女はちいさな声で笑った。
「ふふ、まだ分からないみたいね。いいのよ。いつか、分かる日が来るから。今日からあなたはヘカテー。あなたの名前はヘカテーになるの」
そして、ヘカテーは「おおいなる魔女」ヘカテーになった。
うまれたばかりの名もない少女。少女が魔女になった瞬間だった。
「ヘカテーさま」
ソファーにすわっていたヘカテーは、金鵄の声で我にかえった。
白昼夢のようなものを見ていた気がすると、ヘカテーは思考する。くるぶしよりもしたの、引きずるまでの長いロング・ドレスを着た魔女は、そっとくちびるを開けた。
「ああ――金鵄。どうかしたかい」
「どうかしたかじゃないですよ! あいつから電話です!」
どこか憤慨している様子の金鵄は、電話をゆびさした。
金鵄が「あいつ」と呼ぶのは、おそらく八月朔日允嗣だろう。
ヘカテーはソファーから立ち上がって、電話をとった。
「もしもし」
「ヘカテーか。八月朔日だが」
「ああ、どうかしたかね」
「いや、たいしたことではないんだが」
どこか、歯切れがわるい。
すぐに黙ってしまった允嗣のことばのつづきを待つ。
「ヘカテー」
「……なんだい」
「すこし、おまえの時間が欲しい」
「時間なら、いくらでもやるさ」
そうか、と允嗣はどこか沈んだような声を発し、ふたたび口をつぐんだのか沈黙が流れた。
そのつづきを待つヘカテーは、頭のかたすみに、ちいさなまぼろしを見る。
秋の日のことだった。
秋特有の、なだらかな夕闇。たそがれ時。
髪の長い魔女。
長い影。
「ヘカテー?」
「あ、ああ。すまない。すこし、ぼうっとしていた」
「……いつ空いている? まあ、おまえたちならいつでも暇なんだろうが」
「悪かったね。まあ、だいたいは暇だが。きみの空いている日でいいよ」
允嗣はいったん黙り込んだあと、なにかを思い出したように「ああ」とうなずくように呟く。
「来週の日曜日はどうだ」
「いいよ。いつもの林の前でいいかね?」
「ああ。それから、金鵄をつれてこい。そのほうが都合がいい」
「都合がいい? どういうことだ?」
「……。何でもない。とにかく、金鵄をつれてこい。いいな」
「分かったよ。つれていく」
どこか様子のおかしい允嗣をいぶかしみながらも、承諾した。
つれていくぶんには構わないのだが、允嗣の挙動不審な態度が気になる。
それでも今たしかめるようなことはない。切れた電話の受話器を置いて、そっと顔をあげた。
「金鵄。来週の日曜日はお出かけだ。あと三日だが、準備をしておくように」
「出かけるんですか? まさか、あの男と?」
「そうだよ。いいかげん、もっと友人らしくしたらどうだ」
「いやですよ! あいつ、いっつも失礼なことを言うし、ヘカテーさまのことを見下してるんじゃないですか?」
どこが気にくわないのか分からないが、(すくなくともヘカテーはそうおもっている)金鵄はひとりで怒っている。
ヘカテーはため息をついて、やれやれとかぶりを振った。
「そうやっていると、ケリュネイアと允嗣、どちらが嫌いなのか分からないね」
「何を言っているんですかヘカテーさま! まったくの別物ですよ。あいつとあいつは!」
「……どこにつっこんでいいのか分からないが、そうかい。なら、安心した」
ソファーにふたたびすわったヘカテーは、窓辺をそっと見上げた。
すでにそとは暗く、太陽は沈みきっている。月がでて、幻想的に林を照らしていた。
「どうかしたんですか。ヘカテーさま」
「いや、アリアドネはどうしているかと思ってね。目ざめたら、いないのだから」
「ああ、アリアドネですか。きっと、うまくやっていると思いますよ。だって、レトさんのところにいるんですから。あそこの城は魔女がたくさんいるんでしょう? いいお手本になってくれますよ。レトさんもやさしいし」
「そうだね。なら、いいんだが」
金鵄はむかいがわのソファーにすわると、悩ましげに、ヘカテーのまねをするようにため息をついた。
「どうしたんだ、金鵄。そんなため息をついて」
「いえ、そういえば、最近肉を食べてないなと思いまして」
どこか期待するような鳶色の瞳をきらきらとさせて、ヘカテーを見つめる。
それを見ないようにしたヘカテーは、肩をおとした。この子は、ほんとうによく食べる子だ、とおもいながら。
金鵄だけでなく、使い魔は特に「たべる」ということはしない。
なにかをエネルギーにして動く、ということ自体ないのだ。
ただここに存在しているだけなのだから。
魔女とちがうのは、魔女のエネルギーは魔力だということだ。
「しかたがないね。今日はつかれたから明日、街に出るとしよう」
「やった! ありがとうございます、ヘカテーさま!」
よけい瞳を輝かせながら、金鵄はいきおいよく頭をさげる。
現金な子だね、とあきれたように笑うヘカテーは、肘掛けに手をあてて、ふたたび月を見上げた。




