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「邪魔をするつもりはありませんでしたので、わたくしはこれで失礼いたしますわ」
「ええと――レトさん、でしたっけ」
「ええ。仰るとおりですわ」
どこかあいまいにことばを選ぶ永劫をヘカテーが見つめ、くちもとをゆるませた。
金鵄を呼び寄せ、紅茶をもうひとつ頼む。金鵄はレトがきていたことに驚いていたが、すぐに台所へむかっていった。
「座ったらどうだい、レト」
「ですが――」
「永劫は聞きたいことがあるんだろう? われら魔女――いや、レトに」
黒い瞳がぎくりとゆれる。
明宜はヘカテーのことばの真意を探っているのか、くちびるを閉じたままだ。
「……魔女は、寿命が長いと――聞きました。人間よりも、はるかに。あなたたちは、なんのために生きているんですか?」
「それを知って、どうするんだね?」
「俺のことになるんですけど、その」
黒い髪の毛が初夏の日差しでほんのすこし、しろく、水晶のようにかがやく。
彼女たちはそれを見つめ、永劫のことばの先をまった。
「俺には、生きている意味っていうのがないんです。わからないまま、ずっと、もう二十歳になってしまいました。10年前、両親を亡くした以前のことも、思い出せない。もっと長い時を生きるあなたたちにとって、俺なんて、とるにたらない存在なんでしょうけど、だからこそ、知りたかったんです。俺の悩み、というか、そういうたぐいのものはただの小さいものなんだって」
「……永劫さまと仰いましたかしら。われら魔女は、そうそう立派なものじゃありませんわ。人間のための存在である魔女も、生きている。だから、悩みもする。でも、なんのために生きてるかなんてそんな立派なことを考えることも、そうそうないのよ」
金鵄がローテーブルにもってきた紅茶を渡すと、レトはほほえんで「ありがとう」とささやいた。
ソーサーとカップをもって、紅茶をひとくち飲み込むと、永劫にむかってそっと笑む。
白い髪をシニヨンにした彼女の首筋の後れ毛が、はらりとおちた。
「人間と魔女はまったく違う生物だとしても、わたくしたちの心のなかはおそらく、あなたがた人間とおなじ。決してわかり合えることはないけれど、いちばん深い場所はおなじだと、わたくしは思うの」
「おなじ……」
「そう。でも、そうね――。わたくしが何のために生きているのか……。その答えは、いまだに分からないの。もう100年ちかく生きているというのにね」
レトは寂しげに顔をゆがめた。
ヘカテーですら、おのれの生きる意味は分かっていない。否――分かろうとしても、まるで霧がかかったように、深く考えられないのだ。
まるで、なにかに押さえつけられているように。
「……もしかすると、立派なことなんかじゃないのかもしれませんね」
「珊瑚さん?」
ベージュの長い前髪からのぞく、そのなにかを見透かすような瞳。
今までだまっていた明宜がことばを放ったことに驚いたのか、永劫が目を見開いた。
「たとえ何のために生きているのか分かったとしても、それが何になるのか――俺には分からない。永劫くん。俺からみて、きみは生きている。今を、生きている。それでいいんじゃないかな」
「あんたが言うと、説得力ありますね。――でも、そうかもしれません。今、生きている。そう思えるだけで、十分なのかも」
「そうね。そうかもしれませんわ。なぜかしら。わたくしよりもずっとずっと年下なのに。とても説得力があるのね」
レトはおかしそうにくすりとほほえみ、そっと窓辺をみあげる。外は夕陽で赤く染まっていた。緑色の木の葉が、まるで紅葉のようだ。
初夏の夕方は早い。
すぐに闇の帳が降りてくる。
「永劫。考えることは悪いことではないよ。だから、おおいに悩んで、おおいに迷うといい。それは生きているときにしかできないことだからね」
「そうですね……」
死んだらおわりだ。
なにもかも。人間も魔女も。いなくなったら、もう、なにもできない。なにかを伝えることも、好きだと、きらいだと伝えることもできないのだから。
考えることができるうちが華だということなのかもしれない。
「さあ、わたくしはこれで失礼します。ヘカテーさま。お会いさせてくださってありがとうございます。永劫さま。明宜さま。どうかお元気で。また、縁がありましたらお会いいたしましょう」
「はい。なんか――いろいろ、ありがとうございました。レトさん」
「そんな。お礼なんて仰らないでください。わたくしも、あなたにお会いできて光栄でしたわ」
ドレスのかつげて、ふかく頭をさげたレトは、ヘカテーにも頭をさげて、家を出て行った。
窓の外はもう、暗くなり始めている。明宜は窓のそとをみあげ、「そろそろお暇しようか」と永劫に尋ねた。
「ああ、もうこんな時間だ。悪かったね。遅くまでひきとめてしまって」
「いえ、なんだか肩の力が抜けたような気がします」
「永劫。これからも元気でやっていくんだよ。また、辛いことがあったらくるといい。きみならいつでも歓迎しよう」
「――ありがとうございます」
永劫はそっと頭をさげて、ソファーから立ち上がる。ヘカテーも倣って立ち上がり、玄関まで案内した。
空は暗く、林のなかを月の光だけで歩くのは危険かもしれない。
目抜き通りまで送ろうかとヘカテーが申し出ても、明宜がやわらかく断った。
「大丈夫です。ご迷惑でしょうから」
「そうか。明宜、きみが言うのなら大丈夫だろう」
「ヘカテーさん、ありがとうございました」
「ああ」
ふたりが小さくなってゆく姿を見送る。
月が浮かんでいる。
あのふたりは、暗く、辛いものを背負っているはずだ。それでもまだ、考えることをやめていない。
それは誇れることだろう。
強くなるはずだ。これからもっと。
ヘカテーはくちもとをゆるめて、風車小屋のなかに入った。




