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カエルレウスの魔女  作者: イヲ
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-13-

 頭が重たい。

 ああ、おそらくそうなのだろう。


 ヘカテーが目ざめたときには、寝室にはだれもいなかった。

 だるい頭を横に動かすと、やはり「それ」は流れていた。

 それとは、髪の毛である。

 ヘカテーは元々髪の毛は肩までしかなかったが、今では腰のあたりまでに伸びていた。


「やれやれ、やっぱりそうか」


 黒い、絹のようにつややかな髪。彼女はそれを手で梳くと、ゆっくりベッドから立ち上がる。

 ドレスはまったく着崩れてはいない。まったく動かなかったからだろう。


 寝室のドアノブをひねろうとしたときだった。

 突如、そのドアが開いたのだ。

 金鵄ではない。あの声の持ち主―八月朔日(ほずみ)允嗣(よしつぐ)だ。


「……おまえ」

「允嗣。来ていたのか。まったく気づかなかった」

「あ、ああ――」


 彼はひどく驚いたかのように眼鏡の奥の目を見開いている。

 おそらく、起きたことだけに驚いているわけではないだろう。


「髪の毛のことかね?」

「……」

「心配いらないよ。魔力がすこし、排出されただけだ」

「排出?」

「金鵄はいないようだね。まあいい。ソファーにすわりたまえ」


 窓際のソファーにすわり、允嗣の顔を見上げた。彼はいまいち理解できていないような表情をしている。

 ヘカテーはソファーの肘掛けに肘をあてると、そっと赤いままのくちびるを開いた。


「眠っている間、わたしはこの世界に存在していなかったと同意だ。しかし、眠っている間の魔力は常に放出されている。だが媒体がないために、起きた直後に髪を媒体として排出されるんだ」

「なぜ髪なんだ」

「髪には昔から、霊的なものが宿ると言うだろう?」

「そうなのか」


 允嗣はそういうものに疎いのだろう。知らなかったと言う。

 それにしても、腰まで長くなると言うことはやはりかなりの日数がたっているはずだ。允嗣に日にちを尋ねると、やはり5日たっていた。


「そうか……。ずいぶん長い間眠っていたんだね。それにしても、允嗣。なぜここに?」

「そ、それは……」

「まあいい。この髪もすこし長すぎるから切ってしまおう」

「切るのか?」

「ああ。なにか?」


 これから暖かくなる季節がくるのだし、切ってしまっても構わないだろう。


「切らなくてもいいんじゃないか」

「そうか? なら、このままにしておこう」


 彼がそういうのならば、たまには伸ばしたままにしておいてもいい。

 人間でいうところの「イメージチェンジ」というところか。

 肩のあたりで流れる髪の毛は、最近見慣れないせいで、どこか違和感がある。


「ヘカテー」

「なんだい」

「おそらく俺は、おまえのことが心配だった」


 まるで突発的に口から出たように、允嗣は呟いてから、はっと表情をこわばらせた。

 言ってはいけない言葉を言ってしまったかのように。

 そして、それを茶化すような言葉をヘカテーは言わなかった。

 心配していた、という言葉を真摯に受け止めたからだ。


「そう、か……」


 そっと視線を膝に落とす。

 髪の毛が視界の先にはいり、やはり違和感を感じた。


「ありがとう。允嗣」

「れ、礼など言うな」

「わたしが礼を言いたいんだ。わたしは、人に心配をされることがなかったからね」


 真っ青な瞳を允嗣にむけ、そっとほほえんでみせる。

 なにも卑下したわけではない。

 しかし、彼は目を険しく細め、「そうか」と頷いた。彼は彼なりに思うことがあるのだろう。


「魔女とは、そういうものだよ。人のための存在なのだから、心配されるということはあまり、ない。魔女同士はあってもね」

「……」

「すまない。おかしなことを言ったね。わすれてくれ」


 允嗣はなにも言わない。

 ただ、じっとヘカテーを見据えているだけだ。


「……允嗣?」

「俺はおまえを哀れだと思わない。他の魔女たちはどうかは分からないが」

「そうか……」


 ふ、と口もとがゆるむ。

 魔女たちを哀れだと言うものは、魔女を知っているものならば言うのかもしれない。

 人のためだけの存在。人の願いで造形された、お人形。


「きみは、わたしを哀れまないのか。……なんだろうね。とても、うれしいよ」

「大げさだな」

「大げさなものか。わたしはわたしを哀れだと思ったことはないが、――それはほんのわずかな誇りだが――ひとりで思っていても、揺らいでしまうものだね。だから、どこか安心した」


 さらりと髪の毛が肩からすべりおちる。


 自分のことを哀れだと思うことほど、「哀れ」なことはない。

 だからこそ、ヘカテーはヘカテーを哀れだとおもわないのだ。それが唯一の誇りであり、みずからに課した義務でもある。


「魔女たちはいつも、自分の存在意義を探している。わたしもその一人だ。人のためだけに存在すると言うことは、苦痛だからね。しかし――きみは、わたしたちの心を救ってくれる気がするよ」


 允嗣は、おそらく魔女のことを一生かかっても理解できないだろう。

 しかし、魔女の心の奥は人間の苦悩と似ている気がする。


「……そろそろ、帰る。おまえが目を覚ましたことを梢にも伝えなければな」


 允嗣は、すっと立ち上がり、くちびるを結んでソファーから立ち上がった。


「ああ。ありがとう、允嗣。梢にもよろしく伝えておくれ」

「分かった。……ヘカテー」

「なんだい」

「もうすこし、答えを出すにはかかるかもしれない」

「いいさ。時間はまだある」


 ヘカテーがほほえむと、允嗣はことばを探すように口を開いたが、すぐに閉じてしまった。





 允嗣がこの風車小屋から出ていってちいさくなる背中をヘカテーはずっと見送った。

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