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それから五日後、允嗣は金鵄に連絡をいれてから丘の上の風車小屋にむかった。
「ほんとうにきたのか……」
「……ああ」
扉をあけたのは金鵄だった。金鵄の家にはもうひとり、少女が住んでいると梢が言っていたが、それらしい雰囲気はない。
グリーンがかった白の壁は、目にきつくはない。
そしてほこりっぽくはなく、きれいに掃除されている。
「なにをぼんやりしている。ヘカテーさまに会わないのか?」
「いや……」
まるで、死んだ家のようだ。
きれいに掃除してあるが、生きていない。
「この家は、なんなんだ?」
「ああ……。ヘカテーさまが今、眠っているからだろうな」
「……そうか」
ヘカテーが眠っているから、主とおなじように今、眠っているのだろう。
死んだように眠っているのだ。
「こちらだ」
金鵄がいちばん奥の部屋のドアをひらく。ぎい、と木がきしむ音が聞こえて、やがて生成り色のベッドに沈んでいるヘカテーがいた。
真っ青な目はいま、閉じられている。
くちびるも閉じられ、まるで死んでいるようだ。呼吸をしている気配も、ない。
生きていると分かるのは、顔色がそれほどわるくはない、ということだけだろう。
「死んでいるようだな」
「滅多なことをいうな!」
金鵄がうなるように怒鳴るも、ヘカテーはぴくりとも動かない。
かすかな風が窓を鳴らせて、允嗣はその窓を見据えた。その窓はきれいに磨かれ、鏡のように眠っているヘカテーをうつしている。
「……俺はすこし出てくる」
金鵄がぽつりとつぶやき、ヘカテーがねむる部屋から出ていった。
かたかたというちいさな音が聞こえ、允嗣は風のゆくすえを見つめるように、視線をあげた。
「梢が、おまえのことを心配だと言っていた」
返事は、かえってこない。分かっているから、允嗣はつづける。
「俺も、おまえが心配だ。だが、それがふつうの感情なのかは分からない。まだ」
魔女は孤独だ。
ヘカテーも無論だろう。長い間を人間のためだけに生きなければならない。
それでも彼女は言っていた。
――わたしたちも、生きている。人間とおなじように――と。
それだけが、允嗣を安堵させることばだった。
ヘカテーのことばは、允嗣を不安にさせる。人間と魔女の溝は、深いのだろう。生きかたも、死にかたもちがう。
根本から違うのだ、と彼女は言っていた。
ならば、魔女はなぜ――生まれたのだろう。
人間のねがいで魔女は生まれたと言っていた。そして、天敵である神と戦うため、とも。
哀れだと言うことはできない。彼女たちの生き方をすべて否定することになるからだ。
「わたしは、たしかに生きている。それでも、きみたちから見れば、死んでいることとおなじなのだろうね――」
魔女は、わらう。
魔女たちの女王の名をいただく「ヘカテー」。
はじめは、名前というものをしらなかった。しかし、最初から「あった」のだ。ヘカテーはヘカテーと認識するための時間は、それほどいらなかった。
ヘカテーは特異な魔女であったのだ。
ヘカテーは、魔女たちの「女王」となるべく、生まれた。
そのために。
それだけのために。
あしもとの、ルビーのようなざくろを見下ろす。
太陽もなにもない、不可解な空。ヘカテーはそれを見上げ、ふ、と息をはきだした。
ここで過ごす時間と、現実にすぎてゆく時間はちがう。
喰らった心たちがいるこの空間にいるほうが、はるかに早い。
ヘカテーがここに来て、すでに一日ほどがすぎた。おそらく、現実では5日ほどがたっているはずだ。
「そろそろ、大丈夫だろう? きみたちは、もうひとりではないはずだ」
ヘカテーのうしろには、転々とざくろが転がっている。それは、喰らった心たちの残滓。そして、涙が結晶化したものだ。
ざくろたちは、ただただここの空間に存在しつづける心たち。
哀れなものだ。
みずから進んで心を差し出した彼ら、あるいは彼女たち。
「きみたちはひとりではない。さあ、もういいだろう。わたしのこころのうちでねむるがいい」
きらり、とざくろが涙をこぼすように光り輝く。
ふいに、やわらかい風が吹いた。
冷たくもあたたかくもない、風が。
「……?」
だれかの空気と似ている。
(ああ――。きみか。きみが、わたしを呼んでくれているのか?)
「允嗣――」
ヘカテーがその名前を口ずさんだあと、砂漠と太陽のない空、そしてざくろたちを残して、彼女の姿はそこから風にとけた。




