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カエルレウスの魔女  作者: イヲ
mag-7-
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-11-

「礼?」


 不審そうに尋ねる男に、允嗣は「何でもない」と電話口で呟いた。金鵄も特別突き詰めることもなく、何も言うことはない。


「――そういうことだ。これから一週間はヘカテーさまはいらっしゃらないからな。おまえもこちらに来ることもないだろう」

「……そうかもしれないが――まあ、いい。では、これで失礼する」


 さきにこちらから受話器を置く。

 背後には梢がいて、どこか不安そうな表情をしていた。おそらく、聞こえていたのだろう。


「ヘカテーさん、どうしたの?」

「倒れたそうだ。魔女にはよくあることらしいが」

「倒れた……!? そんな、どうして?」


 黒い髪の毛が大げさにゆらりとゆれる。

 しかし、何故倒れたのかは允嗣にもわからない。かぶりを振り、電話がある廊下から立ち去る。

 冷静を装ってはいるが、允嗣の心のなかはひどく、もやもやとしたものが現れはじめていた。

 何が、なのかがわからない。


「お兄ちゃん。ヘカテーさんは大丈夫なの?」

「たぶんな。金鵄は、魔女によくあることだと言っていた」

「そうなの? でも、心配ね」


 眉を寄せた梢は、リビングに行くと淹れてあった紅茶に口をつける。

 心配かと問われれば心配だ。だが、それ以上に――なにか、とても険しい「なにか」が胸のなかを犯している。


 ソファーにすわり、テレビをつけていても何も頭に入ってはこない。


「ねえ、お兄ちゃん」

「なんだ」

「ヘカテーさんのこと、心配?」

「それは――そうだろう」

「お兄ちゃんって、結構変わったよね。今はもう、ヘカテーさんとお話しするの、別になんともないでしょ?」

「……そうかもしれないな」


 今はもう、否定することはない。

 ヘカテーは自分よりも数倍長く生きているが、そこには何もない。なんの溝もなかった。あまりにも――ふつうだった。


「次のお休みって、いつだっけ」

「5日後だが」

「だったら、お見舞い行ったらどう? 金鵄さんもきっと、喜ぶと思うなぁ」

「それはないだろう」


 允嗣が行って金鵄が喜ぶとは思えないが、見舞いに行くくらいならいいのかもしれない。曖昧に返事をすると、満足そうにわらった。

 とはいえ「来ることもないだろう」と言っていた金鵄に会うのはいささか気にくわない。

 ここで行く行かないの押し問答を自分のなかで行っていても、何の意味もない。


「じゃあ、お兄ちゃん。私そろそろ寝るね」

「ああ」


 そういえば、もうそんな時間か。時計を見るとすでに10時を差していた。梢がリビングから消え、ひとりになった允嗣はぼんやりとテレビを見つめた。

 しかし、やはり頭の中に、内容が入ってこない。

 特別すきな番組でもないから、別段構わないのだが。

 それにしても、何故だろうか――「何となく」今は眠りたくはなかった。






 宇宙(そら)におちてゆくように、ヘカテーはひとり、明るい場所にただただ、立っていた。

 砂漠――。

 温度差もなにもない、夜が訪れない砂漠だ。

 ときおり、美しく輝くルビーのようなざくろが落ちている。ヘカテーはそれをかすかに見下ろし、すぐに前をむいた。


 ここには、ヘカテー以外の生命はどこにもいない。

 ただ、後悔や悲しみなど負の感情しか持たないあわれな魂たちがいる。その感情に飲まれてしまうような魔女もいるが、ヘカテーはそれほど力の弱い魔女ではない。


「哀れだね。みずから差し出したというのに、今更後悔するなんて」


 人間は自分勝手だと吐き捨てるのは簡単だろう。しかし、彼女はそうしない。ただ哀れみ、受け入れる。ただ、それだけだ。

 絹糸のような黒い髪が風にのってゆれる。こめかみに差した青い薔薇に手をふれ、そっと息を吐き出した。


 弱いこころは、強いこころにあこがれ、そして――妬む。

 そうしたこころは、やがて卑屈におぼれ、やがてこころを失うのだ。そういう意味ではこのなかにいる「こころたち」は、魔女たちの「ほんとうのごちそう」ではなかったのかもしれない。

 黒曜石のように輝くこころは、後悔しない。妬むことも、うらやむことも、あこがれることもない。何故なら、「おのれの真実」にたどり着いたからだ。

 あの少年、大神(おおがみ)永劫(ながえ)のように、本当の「こころ」の真実に触れたものならば、他人と自分を比べることはしないのだから。


「それでもわたしはきみたちを受け入れよう。わたしはきみたちを愚かだとは言わない。ひとは、後悔する生き物だからね――」


 ヒールが低い、黒い靴を砂漠にうめる。

 ただただ、進む。出入り口もないこの砂漠のなかを。ここには太陽も、雲もない。ただ青い空が続いているだけだ。光はどこから差してくるのかは、ヘカテーにはわからない。


「喰らったのは、わたしだ。きみたちがわたしを憎むのは良いだろう。わたしもそれを受け入れる。しかし、わたしは受け入れることしかできない。後悔をしても、辛くても、きみたちはもう、最初には戻れない」


 ひとり、ささやき続ける。

 その声に応えるものなど、どこにもいない。

 しかし、時折「なにか」に反射し、ざくろがヘカテーの声に共鳴するように輝くだけだ。


 そんな寂しい場所を、ヘカテーはただひとり、歩き続けた。

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