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カエルレウスの魔女  作者: イヲ
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-8-

 粉雪に音がないように、その言葉にはこたえない。




「どうする、か。どうしようかね。わたしは――」

「謎かけはなしだ」


 強い口調で、允嗣はつぶやく。

 ソーサーの上に残った角砂糖。

 それを見つめ、彼はヘカテーの名を呼んだ。


「………」


 眼鏡の奥の、透き通るような瞳が、ヘカテーを見据える。その目は真摯で、しかしヘカテーがくちびるに言葉をのせることは許さないと言っていた。


「それは、きみの思い違いだ」

「どうして言い切れる」

「きみは、わたしを置いていく。それを、分かっていないわけではあるまい。允嗣。わたしは、魔女だ。魔女と人間はちがう。ちがう生物なんだよ」

「かまわない」


 ヘカテーの、残された瑠璃色の右目が見開かれる。そのことばは、だめだ。

 聞いてはならない。


「だめだよ。允嗣。わたしは――」

「かまわない、と言っているだろう。それに、おまえが言うそれは、おまえたちの概念の話だろう。俺が聞きたいのは、ヘカテー。おまえのことばだ」



 おまえの、ことば。

 ヘカテーは人間の、それも90以上も年の離れた男性に、驚かされる。

 ヘカテーは、ヘカテー自身のことばをつむがない。彼女自身のことばを話すには、ひどく――勇気がいる。


 いつだって、一歩引いて見つめていた。

 人間たちのことを。人間たちが生命をつなぎ続ける姿を。


 そして、いつの間にかこう思っていた。

 「人間にうまれていたら」と。


 けっして叶わぬ、ねがいだ。願うことこそが、罪だ。

 魔女に、恵雨はない。

 神の怨敵である、魔女には。

 ゆるされてはならない。


「わたしの、ことば、か」


 からになった白磁のコーヒーカップの中身は、うすくヘカテーの顔をうつしていた。

 どことなく、情けない瞳をしている。


「難しいね。きみのいうことばは。わたしは魔法がつかえるのに、そのことばには、効かない」

「はぐらかすな」

「そうだね。きみは真摯だ。だから、わたしも真摯に答えねばならないだろう」


 それが人間で言う「まこと」ということだ。

 瑠璃のマニキュアをした爪が、海の色のようにゆらめく。否、それは実際、マニキュアではない。魔女たちが身につける、魔力のひとつだ。

 その色が、ゆるやかに消えてゆく。


「これでわたしは今、魔女の力など、どこにもない――。姿形だけだが、ただの女だ」

「………」

「今日は道化師(ジョクラトル)も持っては来なかった。だから、こころと生命以外では、今、ほんとうにただの女だ。 残った魔力も今、封じ込めた。わたしのこころのうちがわにね」


 魔女ではないヘカテーは、ヘカテーではない。

 魔女ではなかったら、允嗣にも出会えていなかっただろう。


「魔力を隠すことなど、最近していなかった。まあ、魔力を隠すことは、女性が男性の目の前で裸になることと同意だからね」

「な……っ!!」

「正直言うと、とても恥ずかしい。だから、さっさと言ってくれ。言いたいことがあるんだろう? 返事はそれからだ」


 黒く、つめたい色をしたヘカテーの髪の毛が、かすかにゆれる。


「……俺は」


 かたん、と音がする。

 顔を伏せていた允嗣が、その音でふいに顔を上げた。

 雪でゆれる、窓の音だった。まだ、雪が降っている。


「おそらく今、ひどく気が動転している。だから、おまえが言うように、真摯かどうかは分からない」

「ああ。かまわないよ」


 ジャズの音と、かすかな窓がふるえる音が聞こえ、ヘカテーはそっとまたたきをした。

 うしなわれた左目が、かすかに熱をもつ。

 ぽっかりと穴があいているだけのくぼみ。静かで、つめたい色をしている允嗣の瞳は、そのあったはずの左目と、右目を、滔々と見つめている。


「俺は、おまえを守りたいと思う。だが、まだ――分からない。これが一体、どういうものなのか。だから、もうすこし、時間がほしい、と思う」

「そうだね。それがいちばんいい。わたしには、いやというほど時間があるからね。待っているよ――。いずれ、きみのなかにある想いに、名前がつく日のことを」


 窓を見上げると、雪はもう、音をたてていなかった。

 降ってはいるが粉雪のようで、手のひらにのせると、すぐにとけてしまうだろう。

 允嗣は椅子から立ち上がり、マスターにお金を払っている。


「きみには奢ってもらってばかりだね」


 カフェから出て、允嗣にわらいかけるが、彼は素知らぬふりをした。

 黒いエナメルの編み上げブーツを、しっかりと雪の上へと踏みしめ、せめて転ばないようにする。


「雪はきれいだね。羽根のようだ。でも、わたしには似合わない。魔女だからね。でも――あの女、ケリュネイアは、この雪のようにうつくしい羽根を欲している。愚かだとはおもうが、馬鹿だとは思わないね」

「……ケリュネイア? あの、金髪の魔女か?」

「そうだ。ひとはうつくしいものに惹かれるが、魔女もそうだ。うつくしい、きれいなものに惹かれてしまう。でも、それと『そうあるべき姿』とはちがうんだ」


 魔女は、歴史の闇に葬られてきた。そしてそれは、そうであるべきだと、ヘカテーはおもっている。

 ひとの世は、ひとの力で作り上げねばならない。

 魔女の力など、ほんとうは必要などないのだ。


「だが――わたしには時折、まぶしく見えるよ。きみたち人間がね」


 彼女の指にはすでに、ペルシャン・ブルーのマニキュアが彩られていた。青い魔力のかたまりは、やはりないと落ち着かない。



 允嗣とは、林の入り口で別れた。


 雪はもうやんだようだが、いまだ空は薄曇りになっている。


 彼女は、ただ歩く。

 允嗣のことを考えながら。

 

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