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カエルレウスの魔女  作者: イヲ
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-5-


「何を笑っている」

「いや。ほほえましいじゃないか。警察と聞いて逃げ帰るなんて」

「……それは笑い事なのか」


 あきれたような顔をし、允嗣は腕時計を見下ろす。そろそろ時間なのだろうか、いつもの無愛想な表情で行くぞと呟いた。


「映画か。いったい何年ぶり……いや、何十年ぶりだろうね」

「……そうか」

「きみは、映画にはよく行くのかい?」

「いや、最近は忙しくて行っていない」


 ふいに、視界のはしに白いちいさな雪が降ってきたことに気づく。風をふくんだ黒いロングスカートの裾が揺れた。

 おそらくこの分だと、吹雪くことはないだろう。雪が散って、地に着くと消える。ただそれだけのものだ。


「雪が降ってきたね。すこし急ごうか」

「ああ」


 映画館は、ここから5分ほど歩いた場所にあるらしい。前にレストランで食事をしたとき、映画館を通り過ぎたような気がするが、よく覚えていない。

 雪はすこしずつ勢いを増してきた。吹雪かないと思っていたが、映画館を出るころにはどうなっているか分からないほどになっている。


 映画館に着くと、ヘカテーはさっとウールのコートについた雪の結晶を払い、腕に持つ。允嗣もおなじように黒いコートを脱いで、受付に歩いていった。


「今時の映画館はすごいね。昔きたときはこんな立派なものではなかった」


 チケットを払い、席に着いたが、この映画館のなかにいる人間はそうそう多くはない。5人か6人といったところだろうか。


「なんの映画なんだね?」

「ローマの休日だ」

「ローマの休日?」

「知らないのか」

「知らないね。わたしが見たのは、ずっとずっと昔――。映画ができた頃だと記憶している」


 允嗣はなにも言わなかった。

 ただ、じっとスクリーンを睨むように前を向いている。肘当てに添えられている手が、かたく閉じていた。


 ヘカテーが初めて映画を見たときは、当時の夫と2人で出かけていたような気がする。新しい物好きだった彼は、金に物を言わせて映画にさんざん連れて行かれた。そのときは無論モノクロ映画だったが、今は色がついていると聞く。時代は変わったものだ。


「なぜ、そんな顔をするんだい?」


 いまだ眉間にしわを寄せている允嗣に尋ねると、余計目を細める。

 ヘカテーにはわからない。

 人間の思いも、人間の考えていることも、複雑に絡み合った蜘蛛の巣のような思考回路が、分からない。

 おなじだと、遠い昔の誰かが笑っていたが、誰かは分からない。

 もう、忘れてしまった。


「良いことではないだろう」

「そうかな」

「人の生は、限りがあるから生きることができる」

「――そうか」


 そうなのかもしれない。

 人の生は、永遠ではない。永遠ではないから、輝くことができる。永遠にも似たときを生きる魔女とはちがうのだ。

 魔女の生はただ人の願いを聞き、そしてそれをかなえるだけの、淡々とした生だ。

 宝石のようなきらきらとした生ではない。夕闇のような、彼女の名前である「宵闇」とおなじ、暗く長い長いカーテンを引くような生だ。

 人間のようにはなれない。決して。魔女と人間はちがう。根本から。

 おなじだと笑った人間は、おそらくそのことを全く分かっていなかったのだろう。言い換えれば、ただの気休めだったともおもえる。


「きみが、はじめてだよ」

「なにがだ」

「永遠にも似た生きる魔女を、うらやましいと言わないのは。むかし――ある人間は言った。どうしたら、永遠に生きることができるのか、俺に教えてくれ――と」

「ただの愚者だな。そいつは」

「そうだね。そうかもしれない――。それでもわたしはそれを愚かだと言う言葉をもたない。わたしこそが、生き証人だからね」

「………」

「気休めだと、おもうかね」


 彼は答えない。

 ただブザーの音が耳に触れ、そして――セピア色の映画が始まった。




 オードリー・ヘプバーンは、うつくしいと思う。

 恋とも愛ともつかないジョーとアンたちの想いも、それは星くずのようにきらきらとしていて、ヘカテーにしてみれば、手を伸ばしても届かないと痛むほど実感する。

 (そうだ。わたしは、ちがう。こういう人間たちのように、なれないだろう――。ひとの心のように美しい、月のような光には。月や星に手を伸ばしても決して届かないように、それは願ってはいけないことだし、おそらく、天と地がひっくり返っても手には入らない物なのだろう――。)


 アンの、天真爛漫なほほえみも、ジョーのやさしい心遣いも、ヘカテーにとってはまぶしくてたまらないものだ。

 ちがう。

 ひととはちがうということを、ヘカテーは今更ながら、ふたたび思い知った。





 エンドロールが流れてゆく。

 允嗣は、はじめから終わりまで、一言も口を開くことはなく、ただ睨むようにスクリーンを見つめていた。

 エンドロールの途中で席を立つ人間がほとんどで、エンドロールが終わったあとに残っていたのは、2人を抜かせば1人だけだ。

 そのうちの1人も、やがて席を立って出て行った。


「ありがとう、允嗣」

「なにがだ」

「いい映画だった」

「……そうか」

「それでも、どこか悲しいね」


 ヘカテーはつぶやき、そっと口もとをゆるめた。

 アンは、あのあとどうなったのだろうか。また、窮屈な国に縛られてしまうのだろうか――。


「悲しい?」

「それでも、生きていればまた、会えるのだと思いたいんだ。わたしはね」

「――生きていれば、いずれまた会える。生きてさえ、いれば。死んだら、決して会えない」


 残されたものは重たい十字架を背負うように、愛したひとの命さえ、背負っていかねばならない。

 会いたい、と

 そう思っていても、もう触れられない。


「わたしには、後悔をしないように生きることは難しいね。でも、わたしはきみにそう願ってしまっている。せめて、後悔のないように、と」

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