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頬がひきつる。
なにがどうして、ヘカテーと自分の兄である允嗣を引き合わせたがるのか。
そう問うと、彼女は平然として、こう言った。
「兄さん、ヘカテーさんのこと気に入っているみたいだから」
と。
どこをどう見れば気に入られていると分かるのだろうか?
「あのね、ヘカテーさん。兄さんはどうでもよかったんです。家族――私を守るのに必死で、自分のために使う時間なんて、なかった。私と兄さんは年が離れているでしょう? 兄さんはいま、30歳。わたしは17歳。だから、小さい頃から見てきたんです。兄の、働きづめの毎日を。……女の人なら誰でも良かったわけじゃないですよ? 私の目から見て、兄さんがヘカテーさんのことを信頼しているのが分かったからなんです」
「いや、彼はわたしを信頼しているんじゃないよ。允嗣はわたしたちを嫌っている」
「嫌ってなんてないです! ほんとうに嫌っているのなら、話もしないし、見ることもしない。口では言うかもしれないけど、それは信頼の証なんです」
「信頼のあかし?」
「はい。だって、ほんとうに嫌いな人とは喋りたくもないでしょう? それに、ヘカテーさんにむかってヘカテーさんの悪口を言ったりしていないはずです」
悪口。
ケリュネイアが力をあたえた少年の事件のときに、警察署へ赴いたのだが――允嗣はたしかにヘカテー「本人の」悪口は言っていなかったと思う。魔女としての力を否定していたものの。
「はは、なるほど。たしかにね」
「でしょう? すぐじゃなくたっていいんです。そう思っていてくだされば、それで」
「――わかったよ。心にとめておく」
ここは折れるしかないだろう。
無理だ嫌だといっても、きっと彼女は納得しない。――別段、まったく思わないまま頷いたわけではない。
彼女――ヘカテーも、好意というものもあれば、嫌悪というものもある。人間とおなじように、喜怒哀楽もあるのだから。
梢はほっとしたように胸をなで下ろし、ソファーに行儀よくすわっているアリアドネを見下ろした。
「アリアドネちゃん、ヘカテーさんが幸せだったら、うれしいよね?」
「しあわ、せ? ヘカテーさまが、しあわせに、なったら? うん、うれしい」
「……幸せ、か。ひさしく、その言葉を聞いていなかったよ」
「だめですよ! 兄さん、結構堅物だけど、やさしい人なんですから!」
「結局、そこにいきつくのか……」
どうしても允嗣とヘカテーを恋人同士にさせたいらしい。
ヘカテーはそっと笑い、いまだ外をみつめているアリアドネの頭をそっと撫でた。
白いふわふわの髪はすきとおるように透明で、うつくしい。まだ、生まれたばかりだからだろう。髪も目も、まだ日にも焼けず、光り輝いている。
「わたしたちは、長寿だ。人間より何倍、何十倍ね」
「……」
「その意味は分かるだろう」
梢はついに黙ってしまって、雪をそっと見上げた。雪はもうちらついているだけで、じき止むのだろう。
「だがきみもわたしも、命というものに期限があるという事実はおなじだ」
「そう、ですね」
「――それでも、ほんとうは長さなど、関係ないのかもしれないね。いちばん大事なのは、大切なのはどう生きたかなのかもしれない。いたずらに長く生きているわれらは、きみたち人間にとって見れば、生きていないにも等しいのかもしれないが――」
限りある命は、永遠にはならない。どうあがいても。
「ヘカテーさま、ただいま帰りました」
ふいに、金鵄の声が玄関から聞こえてくる。我に返ったように梢は、声のするほうに顔を上げた。
リビングにきた彼の両手には、たくさんの紙袋がぶらさがっているが、いったいどれだけ買ってきたのだろうか。
「ああ、おかえり。ずいぶんとまた――たくさん買ってきたね」
「ちょうどセールだったんで!」
うれしそうに両手にぶら下がった紙袋をもちあげた。
「ほらアリアドネ。金鵄がおまえの洋服を買ってきてくれたよ。着替えておいで」
「うん」
真っ白の髪を揺らしながら、金鵄とともに寝室にむかっていった。
ちいさな沈黙のあと、梢はヘカテーの目を見据えて口を開く。
「兄さんから聞きました。私が誘拐されて、あなたが助けてくれたって」
「……そうか」
「私は全然おぼえていないけど……。でも、私を助けてくれた人が不幸せなままなんて、だめです。それは私のエゴだけど、だめなんです」
「きみはやさしい子だ。とてもね。人を思う気持ちがあればきっと、きみも幸せになれるだろう。だからこそ――気持ちだけ受け取っておくよ」
梢はひとつだけうなずき、窓の外を見上げた。雪は止み、しかし風が吹いている。
人間は自らのエゴで成り立っているとも聞く。隠すことでも、恥じることでもないだろう。
「ありがとう、梢。まさかきみからそういう言葉をもらうとは思わなかったよ」
「お礼なんて言わないでください。私、はっきりそう言えて嬉しいんですから」
「そうか……」
「じゃあ、私そろそろ帰ります。映画のチケット、片方兄さんに渡しておきますから! あ、電話番号わかりますよね?」
「あ、ああ……」
「じゃあ、失礼します!」
「気をつけて帰るんだよ」
扉の前まで送ると、彼女は元気よく頭を下げて、雪のなかを歩いて行った。