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カエルレウスの魔女  作者: イヲ
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-2-

 朝日が昇って数時間たっても、いまだアリアドネは眠っている。

 ヘカテーは彼女をみおろし、やがて玄関の扉をたたく音で視線をはずした。金鵄は町へ出て、女児用の洋服を買いに行かせており、不在である。帰ってくるにも、まだ早いだろう。

 ちいさく、控えめなノック音。自室から出て、玄関の扉を開けた。


「……おや」

「ヘカテーさん、こんにちは!」

「ああ、ごきげんよう。梢。どうしたんだい。こんなところまで」

「ここにくるまで、ずいぶんあるんですね。家から2時間もかかっちゃいました。そうそう、今日は……」


彼女は、ショルダーバッグに手を入れて、なにかを探している。やがて取り出したのは、長封筒だった。


「なんだい、これは」

「映画のチケット。兄さんと行ったらどうかなって!」


 にこにことほほえんでいる彼女には、悪意など、どこにもない。しかし急にここにきて、急に映画のチケットを渡すのは、何故なのか。

 ヘカテーは目頭に手をあてて、わずかに唸った。


「どういうことかね? 梢。映画のチケットが、どうしたって?」

「兄さんと行ったらどうかなって!」


 二度、おなじことを言う。

 その表情はどこにも悪意などなく、ただただ純粋な好意のみが、かいま見えた。


「いや、梢。この前もそうだが、允嗣とわたしをどうするつもりなんだね」

「だって、兄さん、恋人の一人や二人いないから」

「……。允嗣とわたし、何歳離れていると思っているんだい? たぶん、90は離れている。これでは允嗣がかわいそうだ。――まあ、立ち話も何だから、なかに入りたまえ」

「はい。お邪魔します!」


 室内に入った梢はエアコンが効いたあたたかい部屋に、そっと息を吐く。

 ヘカテーが淹れてきた紅茶を、おいしそうに飲んでいる梢はどこか楽しげだった。むかいがわのソファーにすわったヘカテーは、難しい顔で腕を組んでいる。


「だって、ヘカテーさん、結婚してないでしょ? 恋人もいないかんじだし」

「恋人はいないが、結婚はしていたよ」

「そうそう。恋人はいないでしょ……って、えぇー!?」


 ヘカテーは驚いてソファーから腰を上げた梢を見上げ、「何を驚いているのかね」と不思議そうにソーサーをローテーブルにおいた。


「わたしは、ある人と結婚した。でもそれももう、100年も昔のことだ。100年前は、いろいろあったからね」

「え、100年も前なら、その人はもう……」

「ああ、亡くなったよ。90年前にね」

「好き、だったんですか?」


 彼女がそう問うのは、ヘカテーの表情があまりにも冷めたものだったからだ。ヘカテーは再びソーサーを持って、紅茶をひとくち飲み始める。


「さあ、どうだっただろうね。昔のことで忘れてしまったよ」


 それは、好きではなかった、ということなのだろう。梢にも分かる。あいする人を亡くしたのなら、きっとそんな表情はできない。


「そうなんですか……。でも、それはそれ。ヘカテーさん、兄さんのことをどう思ってますか!?」

「は……?」

「ですから、兄さんのことを……」

「ヘカテーさま……?」


 わずかにかすれた声。お古の白いドレスを着たアリアドネがヘカテーの名を呼ぶ。自室からおぼつかない足取りで歩いてきた。


「ああ、アリアドネ。起きたのか」

「へ、ヘカテーさんのお子さんですか!?」

「ちがうよ」

「な、なんだ、よかった。それにしても、すごくかわいい子ですね! アリアドネちゃんっていうんですか?」

「ほら、アリアドネ。こんにちは、ってお言い」


 真っ白の長い髪がゆれて、梢にちいさく会釈をする。「こんにちは」とは言わなかったが、恥ずかしいのだろう。それを理解している梢は、「こんにちは」とほほえんだ。


「私は梢。八月朔日(ほずみ)梢っていうの。よろしくね」

「……ん」


 ソファーから立ち上がって、アリアドネとおなじ目線であいさつをすると、ちいさな彼女はひとつだけ、うなずく。


「そういえばヘカテーさん。兄さんからヘカテーさんは魔女だって聞きましたけど、ほんとうなんですか?」

「ああ……。聞いたのか」


 アリアドネはヘカテーのとなりに座って、じっと外を見つめている。

 梢はどこか興味深そうにヘカテーを見据え、その答えを待った。


「そうだね。この子も、わたしも魔女だ」


 言葉少なくうなずくヘカテーを見て、梢は首をひねりながら「ううん」と唸ってみせる。


「いまいち分からないだろうがね。もう一つ言えば、わたしたちは人間じゃない。寿命も長いし、怪我や傷もすぐになおる。戸籍もなく、人の形を取っているが、根本からちがうんだ」

「根本から、ちがう?」

「エネルギー、とかね。きみたちは、ものを食べて、動いたりしているだろう? わたしたちは、それがない。ものを食べてもエネルギーにはならないし、こうして動くことや喋ることに、エネルギーは使われない」

「じゃ、じゃあ、どうやって動いているんですか?」

「魔力さ。以前、きみを攫った天使や、わたしたちのごちそう――黒曜石のような魂を持つ人間の心を食って、魔力としている。きみたちからしてみれば、馬鹿らしいかもしれないがね」


 すこし冷めてきた紅茶をひとくち飲み、そっと息をつく。梢――彼女はいまだ不思議そうに、首をひねって唸っていた。

 人間には、分かりづらいのかもしれない。魔女たちの生態は。


「でも、わたしたちは生きているんだ。人間たちとおなじようにね」

「生きている……。じゃあ、問題ありませんね!」

「なにがだね?」


 今度はヘカテーが首を傾ける番だった。


「ヘカテーさんも、恋愛ができるってことです!」

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