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とかげの尻尾はつかわない。
にわとりの血もつかわない。
動物愛護やらなんやらでにわとりの血なんか手に入らない。
チキンなんてものを人間は食べているくせに、おかしいものだ。
とかげも、最近とんと見ない。
ときおり、小屋の裏を見ても見つからないのだ。
むかしはたくさんいたのに。
「これも時代のながれってやつかね」
環境問題とかで、爬虫類もたいへんだ。
ヘカテーは暗闇色のローブ・モンタント――今現在、普段着で着るものはいないだろう、そのドレスをかつげ、小屋という名の家に入る。
家のなかはごくごくシンプルで、壁にかけられているのはピエール・オーギュスト・ルノワールの鮮やかな絵画だ。
白い部屋は白いだけではなく、わずかにグリーンかかっていてそれほど目に痛くはない。
外はじりじりと太陽がてりつけているが、この部屋のなかは異様にすずしい。
それはたんにエアコンがきいているだけであって、魔法などではない。
電気代がかさむが、この格好でいるにはできるだけ涼しくしなければ、たおれてしまう。
「やれやれ、このへんも暑くなったね。昔はもっと涼しかったんだけどな。なあ、金鵄」
部屋のなかに一羽の鵄が窓ぎわにとまっていた。
うつくしい羽をやすませたまま、鋭い目をヘカテーへとむける。
「まったくです。奥さま」
「奥さまはおやめ。わたしは誰かの奥さんじゃないんだからね」
「はいはい」
「返事は一回でよろしい!さて、今日はどんな子がくるのかしらね。迷える子羊たち……」
安楽椅子にすわると、窓の外にひろがった森をみわたす。
太陽が照りつけ、木々でさえも暑そうだ。
ヘカテーは、肩までの真っ黒な髪をいじりながら、机のうえに置いてある緑茶をすすった。
「あれ、ヘカテーさま。またそんな緑茶なんか飲んで。まわりには好きな飲み物はアールグレイと言いまわっているのに」
若い男の声をした金鵄は、ぴーひょろろ、と鳴きながらわらった。
「うるさいね! カフェインは胃にきついのよ!」
「ああ……。なんて嘆かわしい……」
「金鵄。それ以上言うと焼き鳥にするよ」
びくりと体を震えあがらせた金鵄は、逃げるように鋭い視線をうろうろ動かし、「あっ」と声をあげる。
「ヘカテーさま。噂をすれば影。お客さまですよ!」
「んぐっ、なんてこと! まだ用意していないのに!」
緑茶によく合う和菓子――干菓子を食べていたところ、喉につっかかってしまう。
ああ、これだから年はとりたくない。
窓のむこうを見ると、暗い顔をした女子高生がひとり、ぼんやりと歩いてきている。
あれはまちがいない。
お客だ。
ヘカテーは安楽椅子からたちあがると、緑茶の茶わんをかたづけ、椅子にたてかけた、彼女はそれを道化師と呼ぶ、古めかしい杖を取る。
そのままお客がはいってくるであろう扉を見つめ、そっとノブをひいた。
「きゃっ」
少女らしい、かすかな悲鳴。
おどおどとしているセーラー服の少女は、こちらを呆然とみあげている。
「お嬢さん。わたしに何か用かしら?」
世間ばなれした洋装。
ローブ・モンタントのドレスを着た彼女は、ほんとうに魔女なのだろうか?
真っ黒な、肩までの髪に対照的な青い瞳。
ただし、その瞳はひとつしかない。もうひとつは黒い眼帯でかくれてしまっている。
「あ、あの……」
こんな自分なんて、消えてなくなりたい。
いつもおどおどしていなくちゃいけなくて、ちいさくちぢこまっていなければいけない私なんて。
少女はおもう。
いつも、おもっている。
「どうぞ。おいしいお茶も用意してあるわよ」
涼やかな声。
小屋のなかはとても涼しくて、あかるい。
おもったものと、ちがう。
少女はおもわずたずねた。
「あの……っ、あなたは、ほんとうに魔女なんですか?」
ボブにした黒髪がわずかにゆれる。
彼女の左のこめかみあたりにつけている青い薔薇の髪飾りも、ちいさくゆれた。
わらったのだ。
「ふふ……。君にはどう見える?わたしは魔女にみえるかね?」
赤いくちびるが弧をえがいて、彼女は笑ったまま奥へとすすんでゆく。
この家はそれほど広くはないというのに、薄い色のせいでとても広く見えた。
少女はおちつかさなそうにおどおどとしながら、彼女にすすめられた椅子にゆっくりとすわる。
「そうだ。自己紹介をしていなかったね」
彼女は優雅にその夜空色のドレスをかつぎ、黒い革の椅子にすわった。
「まあ、知っているかもしれないが……。わたしはヘカテー。あるいは宵闇の魔女とよばれている。それから――」
片方の目で奥をちら、とみると、そこからは端正な顔だちの男の人が出てきた。
髪の毛は先がすけるほどの亜麻色で、目の色もうすい。
とてもやさしそうな顔をしている。
「こいつは金鵄。わたしの使い魔だ」
「つかい……ま……。ほんとうに、あなたは魔女なんですね……」
「ふふ」
彼女はこたえない。
ただ涼やかな笑みをうかべたままだ。
「その、ヘカテーさんにお願いがあるんです。お願いがあって、ここにきたんです」