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グラウンド整備をして、道具を片づける。朝と同じ重たいバッグを背負って校門を出る頃、空は茜色に染まっていた。
「はぁ……」
今日何度目かのため息をつく。
昼過ぎにやってきてグラウンドを半分だけ使ったサッカー部は、もうとっくに帰ってしまった。
こんなに長時間練習しているのは野球部だけだ。しかも明日も七時半集合って……ありえないだろ?
どうしてこんなに練習しなくちゃいけないんだよ……つい口から出た僕の愚痴に、美空がさらりと答える。
「それは勝つためでしょ? 勝つために練習してるんだよ」
「……お前に言うんじゃなかった」
「そうだね。あたしとコタは違うんだもんね?」
僕の隣で美空が笑う。砂埃で真っ黒な顔をして……顔ぐらい洗えよな? 一応お前は女の子なんだから。
「でも……違うのはおれだけじゃないよ」
僕と美空の影が土手の上に長く伸びる。
「野球やってるヤツらの半分は、おれみたいに思ってる。練習なんかやりたくない。甲子園なんかどうでもいいって」
足もとにある小石を蹴る。美空はなんて言うだろう。僕の背中をバシッと叩いて「そんなんだから、コタはダメなんだよ!」って怒鳴るだろうか?
「ん……そうだよね」
だけど美空は僕の隣でうなずいた。なんだか拍子抜けして、僕は思わず美空を見る。
「だけどそれでもいいと思う。文句言いながらでも、こっそりサボりながらでも、続けてる理由は同じなんだから」
「続けてる理由?」
美空がにこっと微笑んだ。汚れた頬に夕陽を浴びながら。
「あたし知ってるよ。コタはさ、やっぱり野球が好きなんだって」
聞きなれた美空の声に、見飽きた美空の笑顔に……胸が高鳴るのはどうしてだろう。
「あのなぁ、朝も言っただろ? おれはべつに野球なんか……」
言いかけた僕の前で、美空が「あっ」と小さく声を上げる。それと同時に僕と美空の名前を呼ぶ声がした。
「なんだ、お前ら。今、帰りか?」
「リュウちゃん!」
美空の体が僕の横をすり抜ける。かすかな風を残して、美空がひとりの男に駆け寄っていく。
「リュウちゃんは、ランニング? 今日は早いんだね?」
「ああ、明日は朝から試合だからな。野球部の練習は早めに終わったんだ」
茜色の空の下。美空の影と並んでいるのは僕じゃない。
「明日はいよいよ準決勝だね? すごいよ、リュウちゃん!」
「すごいのは先輩たちだよ。おれは何もやってない」
「そんなことないって。この前途中から投げたんでしょ? 明日勝ったら、あたし練習休んでも応援に行くから」
「さんきゅ、ミク」
龍介の手がすっと伸びた。そのまま美空の髪に触れて、頭をくしゃっとかき回す。美空はキュッと目を閉じて、そのあと嬉しそうに顔を上げる。
「じゃあな、おれはもう少し走ってくるから」
「うん。頑張ってね、リュウちゃん」
「ミクもな」
走り出した龍介が僕の脇をすり抜ける。
「じゃあな、コタ」
僕は何も言わなかった。見送ることも歩き出すこともせず、ただそのまま土手の上に立っていた。
「どうしたの? コタ」
美空が僕に振り向いて言う。
「べつに」
「えへ、未来の甲子園投手に頭なでられちゃった」
「そりゃよかったな。ついでにサインでももらっとけよ。活躍したら多少は金になるかもしれないぜ?」
「なにそれー。リュウちゃんのサインだったら、あたし絶対家宝にするもん」
家宝でもなんでも勝手にしとけ。僕は重い足を持ち上げて一歩を踏み出す。
美空と歩くいつもの帰り道。草の匂いが鼻をかすめて、僕たちの横を大きな川がゆったりと流れる。
美空は僕の隣でご機嫌だった。
それはきっと、好きな男に会えたから。
美空が野球の上手い兄貴のことを好きだって、僕はずっと前から知っていた。