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「ねぇ、コタ? コタは大人になったら何になりたいの?」
あれはまだ小学生の頃。野球チームのユニフォームを着た美空が、おにぎりをほおばりながら僕に聞いた。
「べつに……なんでもいい」
確か僕はそんなふうに答えたと思う。
美空は僕の前で大人びたため息をついて、それから隣にいる龍介に顔を向けた。
「リュウちゃんは?」
「おれはもちろんプロ野球選手。ジャイアンツに入ってピッチャーやるんだ」
子供の模範解答のような答え。
だけど美空は目を輝かせて、龍介に向かって言う。
「あたしも! あたしもリュウちゃんと一緒にプロ野球選手になるっ!」
あの頃の美空の夢も龍介の夢も……叶うはずのない夢だって知ったのは、いつからだろう。
だけど、たとえ叶うはずのない夢だとしても、持っていただけふたりは幸せだ。
夢も希望もなく、ぼんやりと毎日を過ごしていた僕なんかよりは……たぶんずっと。
***
ケータイの着信音で目が覚める。
「ちょっとコタ! あんたどこにいるの!」
ぼうっとしたまま時計を見る。
「まさか、まだ寝てましたとか、言わないよね?」
布団を蹴飛ばし、あわててベッドから飛び降りた。
「ごめ……今……今から行く……」
「何分待たせるのよっ! 今日はいつもより早めに自主練しようって言ったの、あんたでしょ!」
言うだけ言ってぶちっと切れる美空の声。急いで制服を着て、練習着をエナメルバッグの中に突っ込む。
「行ってきます!」
「あら、コタ? もう出かけるの?」
「うん!」
「ご飯は?」
「時間ないから、なんか買って食う!」
「まったくあんたって子は……どうしてもっと早く、起きられないのかしらね? お兄ちゃんみたいに」
母さんの言葉を断ち切るように玄関のドアを閉め、僕は自転車に飛び乗った。
夏の空気を切るように、自転車で土手の上を走る。朝の日差しはまだ柔らかく、風もどことなく涼しく感じる。
少し走るといつもの場所に、同じ高校の制服を着た生徒が立っていた。
日に焼けた浅黒い肌と短い髪は、まるで男の子のようだけど、リボンのついた白いブラウスにチェックのミニスカートをはいた彼女は、一応女の子だ。
「遅い!」
「ごめん」
「今何時だと思ってんのよ? あたし早く起きた意味ないじゃん」
ぷいっと僕から顔をそむけて、美空が自転車を走らせる。僕は何も言い返せないまま、その後を黙ってついて行く。
美空と僕は自転車で四十分の、同じ県立高校に通っていた。特にレベルが高いわけでもなく、低いわけでもない、ごく普通の学校だ。
そして僕たちはその学校の、部員三十人程度の野球部で、二年とちょっとを一緒に過ごした。
「あっ!」
突然美空が急ブレーキをかける。追突しそうになって、僕も慌てて自転車を止めた。
「急に止まるな! 危ないだろ!」
思わず叫んだ僕の声は、美空の耳に届かなかったかもしれない。美空の視線はもう、前から走ってくるその男の姿に夢中だったと思うから。
「お、おはよ! リュウちゃん」
「ミク……今日は早いんだな?」
僕たちの前で、少し息を切らした龍介が立ち止る。
「リュウちゃんも……まだランニング続けてたの?」
「ああ。このくらいしないと、体なまっちゃうから」
高校を卒業した龍介は、大学では野球をやっていない。
甲子園に行けるかも、なんて騒がれていた龍介だけど、上には上がいることを知ったらしい。
それにずっと抱えていた肘の痛みも悪化して、高校卒業と同時にあっさり野球を辞めた。
幼い夢は、やっぱり夢でしかなかったのだ。
「それじゃ……またな、ミク」
「うん。また」
「大会、頑張れよ」
「うん」
小さく手を振る美空を残し、龍介が土手の上を去って行く。
十年以上、片思いを続けていた美空。そんなに長い間、ひとりの人を思い続けていたなんて、それだけでスゴイと思う。
何年か前、龍介に彼女ができた時も、美空は密かにあきらめていなかった。
――最後まであきらめるなよ。おれ、応援するから。
僕が言ったあの言葉を、美空が覚えていたかどうかは知らない。
そしてそんな美空が、先週ついにその想いを龍介に伝えたのだ。
「なんか、フツーに話してるし」
僕がつぶやいた声に、美空がくるりと振り返る。
「なによ? あたしがリュウちゃんとフツーに話したら悪い?」
「悪いなんて言ってねーじゃん。フツーに話せてよかったなって言ってんの」
僕は自転車のペダルを踏み込み、美空を追い越すように走り出す。
「あ、ちょっと待ってよ! コタ!」
聞きなれた美空の声が、僕を追いかけるようについてくる。
美空の十年越しの片思いは、龍介の一言であっけなく終わりを告げていた。
――ごめん。やっぱりミクは、妹としか思えない。
龍介にフラれた日。美空はそれを僕に話してくれた。
泣くわけでもなく、悔しがるわけでもなく。ただ淡々と、ため息のような笑顔を見せながら。
だけど僕はそんな美空に、何も言ってあげることができない。
美空の十年間の龍介への想い。それと同じくらい、僕の美空への気持ちも、積み重なっていたから。




