13
眩しすぎる太陽の下、額を流れる汗を拭いながら、砂埃の舞うグラウンドを見つめる。
「ツーアウト! ツーアウト!」
僕の隣に立つ下級生が、指を立てて声を上げる。
七回表二対一の一点差。リードされている相手チームは、そんなに強い学校ではない。まだまだ逆転のチャンスはある。
龍介に憧れているという、ウチのエースがボールを投げた。キンッという鋭い音がして、心臓がドクンと動く。
空に高く上がった球。思わず声が漏れる。
「センター!」
必死に地面を蹴る玲二と一緒に、僕もその行方を追う。
大丈夫、大丈夫、お前なら捕れる。ボールを追いかけている時の玲二の真剣な目を、僕はずっと知っていた。
わあっと僕たちのベンチから歓声が上がった。グラブを高く上げて、玲二が嬉しそうに笑っている。
「ナイスキャッチ! 玲二!」
ベンチに戻る玲二の肩を、笑顔の美空がぽんっと叩く。
なんか……いいよな……。
こうやって少し離れた場所から、あいつらのプレーを見ているのはいつものことだった。
どうせ僕は下手くそだから。どうせ試合には出させてもらえないから……べつに悔しいとも悲しいとも思わなかった。
だけどどうしてだか今、こんなところに突っ立っている自分がもどかしい。
あのグラウンドに立ちたかった。玲二と、美空と一緒に、野球がしたかった。
センターが玲二で、セカンドは美空。そして僕がショート。このポジションは小学生の頃から変わらない。
円陣を組んだあと、玲二がバッターボックスに向かう。祈るようにそれを見つめる美空の横顔。
「玲二! 絶対打てよ! 素振りの成果を見せてやれ!」
僕の声に振り向いた玲二が、ヘルメットのつばをつかんでニッと笑う。
「こんなところで……負けるな」
あともう少しだけ、お前らと一緒に野球がしたいから。
雲が僕たちの上をゆっくりと流れる。青い夏草の香りが鼻をかすめる。
「ミク……もう泣くなよな?」
「……泣いてないもん」
夕暮れ時の土手の上。僕の隣に座った美空が、膝に顔を押し付けたまま、かすれた声で言い返す。
最終回、一点差のままのツーアウト。三塁には玲二がいて、バッターボックスに立っていたのは美空だった。
「美空! 落ち着いて行け!」
川田先生の声にこくんとうなずく美空。
美空が打てば……玲二が戻ってくれば……同点。
美空、頼む、打ってくれ……美空の真剣な眼差しを見つめながら、祈るしかできない僕は右手を握り締める。
長身のピッチャーがボールを投げる。キンッと鈍い音を立てた球は惜しくもファール。
ああ、心臓が痛い。
バットを持ち直した美空が空を見上げる。その視線を僕も追いかける。
真夏の、青い青い空。
ふうっと息を吐いた美空がバットを構えた。
「ミク……」
グラウンドに響き渡る声。じりじりと照りつける陽射し。ピッチャーの手から放たれる白い球。
「いけー! ミク!」
小さな美空の体がバットを振り切り、ボールが空へ高く上がった。
「また……打ち上げちゃった」
顔を伏せたままの美空がぼそっとつぶやく。
「昨日もコタに言われたのに……」
美空の浅いセンターフライで試合が終わり、最後のミーティングが終わった後も、美空は泣いたままだった。
そしてそんな美空を家まで送り届ける役目を、川田先生から指名されたのが、この僕だったのだ。
「しょうがないよ」
だけど、家に帰りたくないと、土手に座り込んだ美空の隣で、僕は気の利いたセリフのひとつも出てこない。
「今日は絶対勝ちたかったの」
突然顔を上げて美空が言う。そりゃあそうだ。誰だって最後の試合は勝ちたいに決まってる。
「あたしね。今日試合しながら思った」
ゆっくりと顔を動かして美空を見る。
「なんで隣にいるの、コタじゃないんだろうなぁって。もう一度コタと一緒に、野球したいなぁって……」
美空の潤んだ瞳に僕が映る。心臓がぎゅっとつかまれたように痛くなって、僕はあわてて顔をそむけた。
「だから……ごめんね、コタ? 負けちゃって」
「……なに謝ってんだよ。バカみてぇ」
「だって、応援してくれたのにさ……ちゃんと聞こえたよ、コタの声」
自分で自分の顔がほてってくるのがわかって、逃げ出したいほど恥ずかしくなった。
「バーカ! 聞こえてたんなら、ちゃんと打て」
「あ、やっぱりそう思ってるんじゃん! あたしが打てなかったから負けたって」
「当たり前だろ! あの時、お前が打ってたら、なんとかなったかもしれないんだぞ!」
「ひどーい! コタ、ひどーい!」
「うるせー! もっと落ち込んで、もっと泣け!」
美空が涙目で、声を立てて笑った。僕もその隣で一緒に笑った。
笑っていたら、なぜだか涙が出そうになって、急いで立ち上がった僕に美空が言った。
「ね、コタ。キャッチボールしない?」
「え?」
「ね、やろうよ」
バッグの中からグラブを出して、美空が嬉しそうに僕に笑いかけた。
夕暮れの河原で美空とキャッチボールをする。こんなふうに、ここで初めて美空にボールを投げたのは、今から十年くらい前。
僕たちはそんなにも長い間、一緒にいたんだ。
「ねぇ、コタ? あたしの名前、知ってる?」
ゆるいボールを投げ合いながら、美空がそんなことを言う。
「当たり前だろ? ミクはミクじゃん?」
「そうじゃなくて! あたしの漢字!」
「知ってるよ。ミは美しいで、クは……」
ええっと、なんだっけ?
「『美しい空』って書くの」
美空が僕に向かってボールを投げて、照れくさそうに笑う。
「名前負け、しちゃってるけどね」
美空の声を聞きながら、視線を上げる。僕たちの上に広がる空は、ブルーとピンクのグラデーション。
ああ、そうだな……美空の上にはいつも、綺麗な空が広がっている。
「確かに。名前負けしてるな」
「あんたに言われると、やっぱ腹立つ」
美空が少し強い球を投げて、僕のグラブがぽすんっと音を立てる。
「リュウちゃんは、キレイな名前だなって、言ってくれたのに」
美空の口から出たその名前に、僕の胸がぎゅっと痛む。
ゆっくりとゆっくりと、深みを増していく空。心地よい風に揺れる、美空の短い髪。しゃべるのを止めた僕たちの間に、投げ合うボールの音だけが響く。
「ねぇ、コタ……」
頭の上でボールを受けた美空が、ぽつりとつぶやいた。
「あたし、もう少し頑張ってみる。リュウちゃんのこと」
美空を応援するって言った自分の言葉を、少しだけ後悔した、十五歳の夏だった。
中学生編?はここまでです。
次回から高校生編になります。




