イオ先生再び
この娘が来てから、毎日が楽しい。
「記憶を少しでも早く戻したいなら、体を動かすのもいいですよ。掃除なんて、どうですか?」
そういうと、娘は素直に掃除を手伝っている。
本当は嘘だ。手伝いの子が辞めてしまって困っていただけだ。
患者がこない暇なときは・・・娘で遊ぶに限る。
「実は、記憶を戻すリハビリ体操というものがあるんですが、やってみますか?」
もちろん、嘘だ。記憶など何もしなくても一週間ほどで戻るはずだ。
娘は瞳を輝かせている。
「手のひらと手のひらをあわせて、胸の前。そう。首だけを右、左、右、左。ダメ、肩は動かさないで! 頭は真っ直ぐ!」
複雑怪奇な動きを次々と口頭で指示していくと、必死でやっている。
リハビリ体操と信じて。
笑いをかみ殺して、暫く娘に変な体操をさせて楽しんだ。
右、左、右、左。
飽きない。面白すぎる。
その夜、娘の部屋から微かにもの音がするので、そっと覗いてみると
娘がまたあの変な体操をひとりでやっていた。
「えーと、こうだったかな。右、左、右、左」
ぎこちない動きで一生懸命だ。
戸をそっと閉めて、悶絶した。
娘の声が可愛らしいので、歌わせてみたら、なかなか上手い。
歌いながら掃除をしたら記憶が早く戻る、といえば、素直に歌いながら掃除をしている。
エプロンをつけて、可愛い声でハミングしながら掃除している姿は新妻のようだ。
「すごいです、イオ先生。何も覚えていなくても、歌は覚えているんですね。なんだか、いろいろ思い出せそうです。あ、先生が教えてくれた、あの体操のおかげかもしれませんね!」
娘が嬉しそうに微笑む。
本当は、娘の名前もわかっている。
魔術の痕跡からレオン・スカイ第三王子の存在がわかり、彼が捜索願を出しているのが、ミラ・ラクシス、という名前の黒髪、紫目の女性だった。条件も当てはまる。
娘の可愛らしいハミングを聞きながら、この娘はあと何日ここにいるのだろう、と考える。
恐らく、数日の内にレオンはここを嗅ぎつけるだろう。
「イオ先生、この歌、聞いたことありますか?」
娘はそういうと、もの悲しいメロディーの歌を歌いだした。
「子守唄のようですね。初めて聞きます」
子守唄のようだが、初めて聞く異国の言葉の歌だ。
「そうですか。あの、ここに、寝て頂けますか?」
そういって娘はソファを指差す。
「えーと、こうして・・・、そうそう」
娘の言うとおりソファに横になると、膝枕をされた(どうでもいいけど、膝じゃなくて、ももだよね? もも枕)。
娘の柔らかなももが心地よい。
「こうして誰かに子守唄を歌ったことがあるような気がして・・・えーと、イオ先生よりもう少し、こう、小さい感じで・・・、でも子守唄を歌ってあげるにはちょっと大きすぎる子で、生意気な感じで・・・、我儘な・・・」
娘に膝枕され、優しく頭を撫でられる。
他の誰かを思い出そうとしている娘に。
「指先を動かすのも刺激になってリハビリにいいですよ」
娘にいうと、素直に料理・・・恐らく、作った事などないのだろう、ジャガイモの皮を一生懸命むいている。
「これでは、皮の方を食べなくてはいけないね。料理は苦手だったみたいだね」
ちょっといじめてみると、娘はナイフを置き、ふぅっとため息をついていった。
「体はいろいろな事を覚えているものなんですね。やっぱり、あの体操、ききそうですね!」
娘の体を後ろからそっと抱いて耳元に口を寄せる。
「思い出さなくてもいい。ずっとこのまま、ここにいれば」
――とは、口に出さなかった。
「そうですよ。また、体操しなさい」
そういった。