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(九)

   (九)


 数日して、ドレスの仮縫いの為に仕立て屋が訪れた。

 コーディーに引き摺られるようにして彼等の待つ部屋に向かっていると、赤毛の護衛と灰色の牙を伴ったヴィンセントが通り掛かる。

「仮縫いですか」

「そうよ。どこかの将軍の道楽に付き合されてね」

 こちらはうんざりと、不機嫌に言った。それに対し、白い顔は片眉を持ち上げただけで変化に乏しい。そのはずだ。

 なのにどこか、嬉々として見えるのは気のせいだろうか。

「何が面白いのかしら。そちらはずっと貴族だろうけど、あたしは十年も虜囚だったのよ。今更ドレスなんて、うざったいったら」

 ぶつぶつと文句を言うと、ヴィンセントとコーネリアスは意味ありげに視線を交した。それは張り詰めたものでなく、苦笑しているかのようだ。

 婚約者への手紙だと言う紙の束を抱え直し、灰色の髪を揺らしてふふと笑う。

「お褒めの言葉を頂きましたね、閣下」

「その様だ」

 あたしを促して歩きながら、ヴィンセントはさらりと語る。

「私は庶子ですから、ずっと貴族と言う訳では。十五の年で父に引き取られるまで、母と一緒に宿屋に住み込んで働いていましたよ」

 下級貴族の妾腹など、そんなものです。と、大した事ではないように彼は言葉を続けた。

 この話は、あたしを酷く驚かせる。

 庶子と言うのは本妻ではなく、妾の子と言う事だ。

 貴族が外に女を囲うのはよくある話で、珍しくない。驚いたのは、十五と言う年齢だ。

 遅過ぎる。その年から学んだのでは、教養や礼儀作法を身に付けるのも容易ではないだろう。本来、貴族の教育と言うものは産後すぐ乳母に手渡された瞬間から始まるのだ。

 しかもヴィンセントは、十七で騎士に取り立てられた。貴族の家に入って、たった二年で抜擢を受けたと言う事になる。

 足を運び、彼は頷く。

「えぇ。ですから、ワイルダーが師なのです」

 働いていた宿屋の客で、武芸で世を渡っていたワイルダーに教えを乞うたのは幼い頃の事らしい。ならば引き取られた時点ですでに、武芸の素養はあったのだ。

「父が私を引き取ったのは、血を絶やさないためでした。家を継ぐはずだった兄達が、相次いで亡くなったのです。私は最初から、期待されてはいなかった」

「そう……」

 漠然と思い込んでいた。

 生まれた時から貴族の家で大切に、そして厳しく育てられたのだと。何の疑問もなく。

 この内心を知ってか知らずか、ヴィンセントは薄い唇をほんのわずか微笑ませて言った。

「だから、貴族らしくするのには随分と苦労したな。生来の貴族に見えたのなら、よかった」

「お父様も、まさかこんなに出世するとは思ってらっしゃらなかったでしょうねえ」

 彼は軽く吹き出すようにして、これを笑い飛ばした。

 あたし達より少し先を歩くコーディーが、ドアを開く。室内に数人の人影。

 仕立て屋だろう。

 そう思いながら眼を遣って、次の瞬間にはドアノブを握った小柄な侍従を突き飛ばしていた。

 室内の人間はあたしに気付き、慌てて駆け寄る。だがほんのわずかこちらが早く、止められる前にドアを閉じる事ができた。

 ドンドンと、扉を打つくぐもった音が内側から響く。このままでは、すぐに抉じ開けられてしまうだろう。

 つま先の触れそうな位置に、コーディーが尻を着いて半ば呆然と驚いているのが眼に入る。そのベルトから、短剣をひったくるように鞘ごと抜き取った。

 この挙動に、クライヴがさっと身構える。切られるかも知れないなと頭の端で考えながら、急いで両開きのドアの取っ手に短剣を差し込んだ。コの字形のノブ二つに、閂の横木のように差したのだ。

 つまり室内にいる人間を、通路側から閉じ込めた事になる。

 見るからに良識家のコーネリアスが、呆気に取られながらも口を開き掛けた。この無作法な行いに何か言いたい気持ちは解るが、あたしだって焦っている。

 だから何を言われるより先に、塞いだドアを指差して上擦った声で喚いた。

「あの馬鹿を城に入れたのは誰!」

 ヴィンセントに、コーネリアス。それからコーディーとクライヴが、その場にいた。

 この顔触れが一斉に首を傾げると言う貴重な光景は、もう二度と見られないだろう。面白すぎる。こんな状況でなければ、大笑いするのに。

 沈黙を破ったのは、クライヴのぼそりとした声だった。

「わざわざ呼んだ仕立て屋だ。通すだろ」

 彼は護衛らしく、ヴィンセントの傍らで油断なく剣の柄に手を掛けている。その赤い前髪に隠れた琥珀の眼を見ながら、あたしは唇を尖らせた。

 彼が指摘したのは、問題の本質ではない。

「仕立て屋なら、ね。言って置くけど、今この部屋の中に先日の仕立て屋はいないわよ」

「まさか。コーディー?」

 灰色の長髪を揺らし、コーネリアスが振り返る。翡翠の瞳を向けられて、若い侍従は蒼白になった。この来客は彼が招き入れたらしい。

「……申し訳ございません。エントランスで迎えた折に、皆が大きな荷物を抱えていて。生地や何やで……」

 顔はよく確認できなかったのだろう。

 青褪めた顔で、自分の失態が信じられないと言うふうに呆然と呟く。そして事態をゆっくりと理解すると共に、眉を歪めて固く瞼を閉じた。後悔が、彼の胸に染みて行くのが見ていても解る。

 そのコーディーから眼を移し、ヴィンセントが問う。問いながら、あたしの背中に手を添えてさりげなくドアから離れさせた。

「では、誰です? 心当りがおありの様だ」

「その通りよ。知った顔がひとりいたわ」

 唇を噛む。選りによって、あの男が現れるとは。

 武装した兵士がばらばらと駆け付けて、コーネリアスの指揮で包囲したドアに入ろうとしている。先程、コーディーが開いた戸の中に見た人影はせいぜい五、六人。部屋の前に待機する兵士は、軽くその三倍はいるだろう。

 当然こうなるだろうと言う事が、解らないのだ。あの人は。

「マチルダ?」

 促されて、あたしは頭を押える。余りに腹立たしくて、鈍い頭痛を覚えた。

「従兄弟よ」

 そして、あたしよりずっと以前に捨てられた王族だ。

 あたしとヴィンセント、そして彼の護衛であるクライヴは薄暗い廊下の端に立っていた。避難措置だ。少し離れた場所では、ちょっとした乱闘騒ぎになっている。兵士達がドアを開け、中の人間を捕らえようと抜き身の剣を振るっているからだ。

 ヴィンセントは表情をスッと固くして、クライヴの顔をチラリと見る。不思議だ。軍人と言うのはどうしてか、視線ひとつで酷く巧みに会話する。

「それは王の血筋と言う意味でしょうか」

「そうね。グレンは父の姉の子供だから」

「この城を占領して、我々が最初にしたのは王の血筋を残らず調べる事でした。ですが、グレンと言う名は……」

 王族を逃がせば、後に反乱の核になり兼ねない。だからそれは、徹底的に調べられただろう。それなのに、グレンを見付ける事はできなかった。彼等はそれを不審がったが、こちらにすれば当然だ。

 うんざりと、あたしは深いため息をつく。

「グレンと言うのはね、二十年近くも昔に謀反に失敗した男なの。逃げおおせたはいいけれど、見付かったら即刻打ち首のお尋ね者になってしまって。恥が多いと言うので王の系譜から除名したのよ。王自ら、正式にね」

「恥?」

「驚異的に愚かなの」

 いっそ軽い感動を覚える程だ。

 この返事には、短く問うたクライヴが激しく息を吹き出した。体を折り曲げ、声を殺して震えている。笑っているらしい。

「謀反の理由は確か、父が左手でナイフを使うのは悪魔に魅入られているからだって主張だったわね」

 父は生来左利きで、食事の時にはいつも左でナイフを扱っていたのに。

「宴の席で急に言い出して、誰も相手にしなかったのよ。そうしたら臣下も全て悪魔の手先に堕ちたと言って、後日城に攻め入って来たの。二個小隊にも満たない数で」

 あたしが指で二の数を作ると、金と赤の主従は顔を背けて揃って肩を震わせた。

 視線を移すと、あちらではすでに室内の制圧が終了しようとしている。廊下には、仕立て屋に扮した男達が腹這いに転がされているのが見えた。

 今回だって、たったあれだけの人数でどうするつもりだったのだろう。何をする間もなく捕まると、少し考えれば解りそうなものだ。

 でも、そこで踏み止まると言う選択肢を持たない。そんな考えあるなら、そもそも謀反なんか起してはいないだろう。

「ほんっと馬鹿」

 呟く。

 あたしの声は通路の一端からしか光の入り込む余地がない為に、もう一端に薄く凝った影の中にただ消えてしまうはずだった。

 けれどもそれは、影の中から現れた。

「自らの保身が為に、国を売ったか」

 ――しまった。

 真後ろからの声に、あたしは弾けるように失態を知った。

 振り返る。

 煌く白刃が薄闇を裂いて、あたしに向かって振り下ろされた。

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