(七)
(七)
「略奪したのよ」
あたしの吐き出した言葉に、ヴィンセントはさっと顔色を変えた。
これの意味する所を、瞬時に察してしまったようだ。勘のいい男は、話が早い。
「奪い取ったと? あの石を。では、鉱脈は……」
「少なくとも、あたしは知らない。発見隊も知らなかったはずよ。持ち主を惨殺して、奪って手に入れた石なんだから」
「貴方は、どうしてそれを知ったのですか」
発見隊を率いていたのはティラスだが、その下にフィニアンと言う兵士がいた。
彼は善良な男だった。兵士と言う職業が酷な程。それがただ欲にまみれた殺戮の罪に、耐えられるはずがない。
石の発見を祝う宴が連日開かれ、友好国にも幾つかの石が贈られた。その後だったのだ。あたしがフィニアンの告白を受けたのは。
「逃げ惑う人々を殺し、血の中から幾つもの石を拾い上げたそうよ。男も女も、子供も老人も区別なく殺したの」
「何故、そんな真似を。殺さずとも、それこそ鉱脈の位置を聞き出せばいい」
あたしは首を振る。
石を持った人々が、鉱脈を明らかにする事はあり得なかった。
「同じだったのよ、その人達には。死ぬ事も、秘密を明かす事も。きっと同じ」
「ちょうど、貴方が命を懸けた様に?」
困惑だろうか。ヴィンセントは恐いような、そしてわずかに悲しげな顔であたしを見た。
「……いいえ」
否定するのに、少し迷った。
あたしが彼等を殺したのは、鉱脈が存在しないからこその事だ。もっと多くを差し出せと王が命じれば、ティラスはすぐにでも取って返して殺戮を繰り返すはずだった。石を手に入れる為に。
それは極めて恐ろしく、耐え難い辱めだ。王は危うく、自らの玉座を血腥い宝石で飾るところだったのだ。
そしてティラスがこの罪に手を染めたのは、他ならぬあたしの存在が理由だった。
頭を振って亡霊達を振り払うと、ヴィンセントに向けて言う。
「命を捧げたのは殺された石の民と、あたしが殺した十三人よ。善くも、悪くもね」
秋の夕陽はすっかり落ちて、室内には灯火が揺らめいていた。
金色の髪と真白い肌がその中で、橙に染まる明かりの為にわずかに温かな色を帯びて見える。
あたしは眼を背けた。
薄青い眼が真実を探り、いつまでもあたしを責めているように思える。
真相を知られるのが恐かったのだ。胸の内まで射るように見られて、その場を離れてもヴィンセントの瞳が頭から離れなかった。
そのせいだろうか。あたしは真夜中になっても眠れずにいた。
シーツを跳ね飛ばし、ベッドから降りる。ひやりとした石の感触が素足に触れた。
明かりは落としてしまっていたが、降り注ぐ月影に窓の格子が床にくっきりと映し出されている。お陰で何かを蹴飛ばす事なくテラスに出られた。
どこまでも広がる夜空を見上げ、ヴィンセントの事を考える。
石の捜索を諦めてくれただろうかと。
そうしてくれたらいい。
あたしは願ったが、同時に頭の反対側ではそれは無理だろうとも思っていた。
ヴィンセントは、王の代理でここにいる。この侵略の目的がエンジェリック・ブルーである以上、将軍といえども捜索を打ち切る権限は持たないと考えるべきだ。
そんな事は解っていたのに、一部とは言えどうしてあたしは秘密を打ち明けてしまったのだろう。
これが信頼? ヴィンセントが欲しがる信頼を、あたしはもう与えてしまったのだろうか。そしてそれが、判断を狂わせたのか。
ずっと地下牢にいた為に、夜を感じるのも久しぶりだ。これ程月が明るいと言うのに、夜と言うだけでこんなに心細いものだっただろうか。
冴え渡った月影の中で、あたしは凍えたように震える息を吐いた。
そこに。
「よォ」
男の声。
悲鳴を上げなかった自分を褒めたい。
実際は、声も出ない程に驚いただけだが。それに後から考えれば、思い切り大きな声を上げるべき状況だった。真夜中に、自室で男の声を聞く。未婚の身にはあり得ない。
それに唐突に掛けられたその声は、酷く近くに感じられた。あたしはすっかり狼狽して、慌てて部屋に飛び込もうと踵を返す。
そこを捉われた。
背後から抱き竦めるような格好で、あたしの腕を掴み、口を塞いだ。せめて姿を確かめようと体を捩るが、がっしりとした肩が見えただけだった。肩の位置があたしの背丈程に高いのだ。
だが、その肩に掛かる擦り切れた上着には覚えがあった。
「頼むから、騒ぐなよ」
冗談でしょ? と、態度で示す。
あたしは狙いを定め、男の足に勢いよく踵を落とす。こちらは裸足で、あっちは硬い皮のブーツだ。大して痛くもなかっただろうが、反撃されるとは思わなかったのだろう。驚いたのか、反射的に緩んだ手を強引に引き剥がす。
「ワ……」
「頼むよ! ヴィンスに殺される」
振り返って開き掛けた口を、慌てて塞ぐ。そして情けなさそうに眉を下げ、男は潜めた声で懇願した。
何をしているんだか。
あたしは大きな手で口を塞がれたまま、ワイルダーを睨み付けた。
「テラスをよじ登ってまで、何のご用? それも、こんな真夜中に」
解放の条件が大きな声を出さない事だったので、囁くように問い掛けた。ワイルダーは悪びれた様子もなく、にっと笑う。
「逃がしてやろうかと思ってな」
「……はっ」
失笑か、嘆息か。
自分でも解らない。不意を突かれて短く吐き出した息は、しかしワイルダーを傷付けたらしい。拗ねたみたいに念を押す。
「本気だぞ」
「信じる訳ないでしょ」
こんな事を言う為に、わざわざ登って来たのだろうか。三階まで、外壁を。
「いい加減な人ね。北限の獅子を支える牙はどんな人かと思っていたけど」
「ガッカリ?」
「ええ」
言い切ると、前屈みに伏せた頭で束ねた髪がぴょんぴょんと揺れる。笑いを噛み殺しているらしい。
「でも、コーネリアスもイメージと違うわね。あの人は、武官と言うより文官みたいだわ」
「何だ。アイツは強いぞ。いっつも手紙なんか書いてるから、軟弱か?」
不思議そうなワイルダーに、あたしも首を傾げる。確かに、コーネリアスはいつも紙とペンを抱えているが。
「あれってお仕事じゃないの?」
「違う、違う。故郷に残した婚約者に、手紙書いてんだ。それも毎日」
「まあ、そうなの。誠実な人ねえ」
「さァ、どうだかな。さっさと嫁にしちまえばいいのに、ずっと婚約したまんまだぞ? 誠実か? それに誰もその女に会わせねェから、よっぽどの醜女だろうって……」
「ワイルダー?」
呼ぶと、慌てて口を噤んだ。声に含んだあたしの怒気を感じ取ったようだ。
気まずそうに頭を掻いて、短く謝る。
「すまん。怒らせに来たんじゃなかったな。さァ、姫さん。どうする?」
「何を?」
「呆れたな。もう忘れたのか? 逃げるかどうかって話だよ」
呆れたのはこっちだった。
「だから、何であたしを逃がすのよ。筋が通らないわ」
「通るさ。こっちは、アンタに邪魔されちゃ困るんだ」
時間が止まったのかと錯覚する。
テラスの手摺りにだらしなくもたれ、月を背負っているせいで表情は影に沈んで見えなかった。
あたしはそれを見詰め、ワイルダーも口を開かない。どれくらいそうしていただろうか。不思議な事に、黙っているとふつふつと腹の中に怒りが湧いた。
邪魔? あたしが?
この国に取って、占領軍である彼等以上に邪魔なものなんてあるはずないのに?
邪魔なのは、そっちでしょ。そう思ったら、もう止めるのは無理だった。
「何が邪魔よ! 冗談じゃないわ。言って置くけど、あたしがねだった事なんてひとつもないわよ! ドレスも、ランチも、この部屋も! 何なら、今から地下牢に戻りましょうか?」
そこまで一息に言ったところで、我に返る。ワイルダーは困ったように笑って見せて、さっと手摺りの向うに飛び降りた。三階だ。こっちが青褪める。
急いで下を覗き込もうと、テラスから身を乗り出す。と、あたしの声は部屋の外まで聞こえたらしい。異変に気付いて部屋に飛び込んで来たコーディーが、蒼白になってあたしを止めた。
「早まってはいけません!」
どんな誤解を受けたのか、考えるのもうんざりだ。