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(六)

   (六)


 男が妙に優しいのは、都合が悪いか何かを隠している時だ。

 ヴィンセントはその証拠に、とびっきり優しい顔で笑ってから、少しだけ話題の方向を変えた。

「実は先程、庭まで貴方を追って行ったんですよ」

 大きな手に支えられたグラスが、とろりと傾いてワインを口に流し込む。

「ああ、それで止めに入るのが早かったのね」

 あたしを助け出そうと、バッカスが現れた時の話だろう。

「伺いたい事があったのですが……。疑問はもう解けました」

 疑問?

 その言葉に、首を傾げる。と、真正面に座った男は金の髪を揺らしながら、意地の悪い含み笑いを浮かべた。

 何だか、イメージにない笑い方だ。もしかして彼は、酒に強くないのだろうか。

「ドレスです。サイズが合わないのかと伺いに」

「冗談はお嫌いなんでしょ?」

「えぇ」

「嫌いでよかったわ。センスもないみたいだから」

 切り分けた肉を口に運び、さらりと皮肉で返して遣った。女に服のサイズを尋ねようと言うのもふざけた話だが、冗談としても笑えない。

 結局ランチをご馳走になって、部屋を出ようかと言う頃だ。ヴィンセントがあたしの耳に顔を寄せ、そっと囁いた。

「次は、肌を出さないドレスを用意します。着て下さいますね?」

 いよいよあたしは、この男が解らなくなってしまった。

 すっかり敵将の居室となった王の執務室を退出し、監視の兵士達に付き添われながら与えられたゲストルームまで早足に歩いた。

 別に急いだ訳ではない。考え事をしていると、いつの間にかそうなってしまうのだ。

 何かが引っ掛かる。ヴィンセントの事だ。確かに変った人だが、何だろう。

 どこか納得できなくて、彼と交した会話をひとつひとつ思い返す。そしてあたしは、自分の失態を知った。

 あたしがドレスを着ないのは、体中に傷痕があるからだ。そしてその傷痕は、石の情報を引き出そうと苦痛を与える為に付けられたものだ。

 けれども、ヴィンセントはそれに触れなかった。わざわざ話題を避けたようにさえ思う。

 問えばよかったのに。ドレスを着ないのは何故かと。この傷は何かと。情報の為に、王があたしに拷問を許したのかと。

 そうしなかったヴィンセントに、却って戸惑いを覚えたのだ。

 どうして、あの人はあたしを痛め付けないのだろう。そうしたほうが、きっと効果的に違いないのに。きっと彼は、そうすべき立場なのに。

 それなのに、気遣うように守られてさえいるのだ。あたしは。

 そして芝居だと疑う根拠はもうひとつあったと、今更気付く。

 王族が敵の手に落ちれば、早々に処刑されるものだ。ヴィンセントの言を信じれば、父が丁度そうだったように。下手に生かして置くと、反乱の種になり兼ねない。

 石の為にあたしを処刑しないのは仕方ないとして、だが何も礼遇する事はないのだ。ドレスを用意したり、ランチに誘ってみたり。

 これが芝居でなくて本物の侵略だとしたら、心底どうかしている。


   *


 そしてそれは牙の主とランチを共にした翌日の事で、朝でも昼でもない頃合の事だ。

 あたしの前に、牙が現れた。

「コーネリアス様」

 ドアを開いたコーディーが、思わずと言ったふうに驚きの声を上げる。

 その声で、更にあたしまで驚かされた。当然だ。灰色の牙から訪問を受ける覚えはない。

 コーネリアスは昨日と同じ格好のあたしに眼を留めて、苦笑するように薄く笑った。

「別のものに着替えては頂けませんか?」

「あら、いけない? あたしは囚人だもの。相応しいと思うわ」

 学者か文士と言った風情に似合って、コーネリアスは片手にペンと紙の束を抱えている。空いた手で口元を隠して優雅に笑うと、いいえ、とやわらかに否定した。

「仕立て屋が待っていますよ、姫君。採寸して、ドレスを仕立てるそうです。閣下のご意向ですから、従って頂きます」

 雰囲気だけは優しかったが、逆らうのは許さないと言わんばかりだ。生粋の上級貴族に違いない。この強引なまでの慇懃さは、きっとそうだ。

 思わず舌打ちしそうになるのをぐっと堪え、あたしは尖らせた唇で反抗する。

「この服でも採寸には問題ないと思うわ」

「そうですね。ドレスを仕立てる事には異論ない様子で、安堵しました」

 灰色の男はにっこりと笑う。

 しまった。そこから拒否すべきだった。

 どうやら巧く乗せられたらしいと、気付いて今度は本当に舌打ちした。

「あなた、真剣にどうかしてるわよ」

 この苦情をやっと本人に言ったのは、夕刻になっての事だった。

 あたしはすっかり疲れ切っていたが、一言でも文句を言ってやりたかった。

 採寸にもやたらと時間を取られたが、仕立て屋はドレスの生地やデザインまであたしに選ばせた。選んだら選んだで流行は違うと言い出して、決める気がないかのように長引いたのだ。

「酷いな、いきなり」

 制止する兵士達を振り切って、執務室に飛び込むなり言ったあたしに驚きはしたようだ。だがヴィンセントは、すぐに薄い唇だけで笑って見せた。

 丸めた書状を隣のワイルダーに手渡し、短い指示を与えて席を立つ。そしてあたしのほうへ向けた足を、すぐに止めた。こちらから彼へと歩み寄っていたからだ。

 正確には、ヴィンセントに近付こうとした訳ではなかった。傍にある、大きなテーブル。

 それに一歩一歩近付くたびに、自分の血が冷えてざわつくのを強く感じた。

 王の執務室では、時に軍事会議も行われた。それは小規模で、密議に近いものではあったが。しかしその為に、この部屋には沢山の地図と、それを広げる大きな机が用意されている。

 今、ヴィンセントが着いていた席は密議の際に王が腰掛ける位置だった。大きな机には国内の地形を記した地図が何枚も広げられ、何事かを検討した跡がある。

「何を、しているの!」

 責めるように言ったのは、恐ろしかったからだ。

 この部屋の様子を見て、あたしの頭には予感が芽生えた。薄暗い予感が。

 そして答えたヴィンセントは、この予感を裏切ってはくれなかった。

「エンジェリック・ブルーの捜索を」

「やめて」

「できません」

「あんなもの、探さないで」

 ヴィンセントは何も言わず、腕組みをしてあたしを見下ろした。

 足に力が入らず、あたしが床に崩れたからだ。

 苦しい。苦しい。苦しい!

 あんなものの為に、命の価値さえ軽くなる。

 きつく締め付けられるようで、思わず押えた胸で浅い呼吸を繰り返す。身を守るように丸めた背中に、どこか厳しい声が落とされた。

「解りませんね」

 見上げると、呟くヴィンセントの眉間には訝るふうな皺がある。

「解りません。貴方は最初、あの石を独占するために人を殺したのだと言った。なのに今は、忌むべきものだと言っているように聞こえますよ」

 金色の髪が、酷く近い場所で揺れた。まるで唇でも重ねるようにあたしの顔を覗き込んで、男は囁く。

「どちらが本心です? マチルダ」

 ああ、あたしはもう、この男に嘘はつけないだろう。

 冷たげな薄青い瞳を見ながら、何故だかそう確信した。それとも諦めてしまったと、言うべきだろうか。

 若く、恐ろしく、美しい男。それを前に、自分がとても小さく、とんでもなく無力な存在に思えたのだ。

 泣きたいような心持ちで、ようやっと開いた唇は少し震えた。

「……あなたを殺せば、秘密は守れるかしら」

「守るに値するのなら、この命も懸けましょう」

 甘い言葉を吐く男だ。

 それは閨を共にする男女の甘さではなかったけれど、間違いなくあたしを誘惑する言葉だった。

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