(五)
(五)
父はあたしを愛していたのに?
けれども、それは関係ない。関係なくなった。
十三人の男を殺したあの夜で、父の中であたしの価値は皆無になったからだ。
母を愛していたのだと思う。だから父は、あたしに宿った母の面影を溺愛した。けれども、それが裏切ったら?
最も愛しい者の姿で、王の権威を脅かす反逆者になったとしたら?
それはたちまち絶望に変り、やがて深い憎しみになったに違いない。
だから、腕だけではなく。あたしの体には、隙間もない程のおびただしい傷跡がある。数え切れない程の傷が。
父の事を考えていたら、あたしはふと思い至った。これは、あり得ない事だろうか?
捲り上げた袖を戻し、手の甲までを隠しながらヴィンセントを見詰める。
「王は、本当に斃れたの?」
あたしの視線を受けた彼は、戸惑うように瞳を揺らした。
「え、えぇ。捕えて、即座に処刑を」
「本当に?」
「何か、不審が?」
「そうよ。父は、あの石を欲しがったわ。兄達もね。どんな手段を使っても、手に入れたがったの」
この言葉の中に、軍人である彼は血腥さを嗅ぎ取ったらしい。
一瞬だけ、あたしの手の上を視線が掠めた。服で隠れていたけれども、薄青いその眼には生々しい傷痕が映っているのかも知れない。
「……解ります。余りにも価値のあるものですから」
「そうかもね。あたしには理解できないけど」
どんな犠牲を払ってもいいとは、到底思えない。
ただ、父や兄達はそう考えなかった。それだけの事だ。
「だから、もう一度訊くわ。この国は、本当に敗れたの? そもそも、戦争なんて本当にあったの?」
「それは……、どんな理屈です? 現に私はアイディームを制圧し、事後は総督としてここにいます。敗れていないなら、戦争がなかったなら、これはどう説明を?」
「だから、父よ。父が、あたしの口を割らせようと仕組んだ事では? 自国を占領されたと聞かされて、脅されれば、さすがに白状すると考えたのかも」
「つまり、これらは全て芝居だと?」
頷くあたしに、ヴィンセントは心底驚いたように眼を見開いた。テラスの縁までそのまま下がり、腰の辺りで手摺りにもたれる。腕組みし、問いを投げた。
「だとしたら、余りに危険な賭けですね。敵国の人間を、国の根幹に招き入れるとは。根拠のある推測でしょうか」
「危険な相手でなければ、あたしが信じないもの。でも、静か過ぎるわ。敗れたのでしょ? 滅んだのでしょう? だったらもっと荒れているはず。確かにあたしが知ってる頃より、城の中は酷くなったわ。でも、血の臭いも、家や死体の焼ける臭いもしない。まるっきり、日常よ」
「酷くなったのか……」
ひとり言だったのだろう。眼を伏せて小さな声で言った後、上げた視線をあたしに合す。
「では、リシェイドが協力する動機は何です」
「鉄よ」
他にない。即座に答えた。
何が面白いのか、ヴィンセントは口元に手を当ててクツクツと笑う。
「なるほど」
アイディームは鉄の国だ。
だが、この国に鉄鉱石の鉱脈はない。鉄鉱石とは精錬前の鉄の原料だが、それさえ他国から輸入している。では何を持っているか。
それは加工技術だ。我が国の技術で鍛えたもの程、強く美しい鉄はない。
特に鉄剣は、命や戦の勝敗を左右するだけにとても高価で、そして需要がある。アイディームはこれら鉄製品を輸出する事で、国を豊かに栄えさせて来た。
だから鉄の精錬技術は、当然ながら国家の秘法だ。その技術を持つ鍛冶師は、全て国の管理下に置かれていた。
その為に鍛冶師は全て世襲制で、外部からの弟子は取れない。自分の血筋でない者に技術を伝えれば、即座に処刑。他国の人間は鍛冶師の家に立ち入るだけで、罪に問われる。
そうして手厚く守られたアイディームの鉄は、だからどの国に取ってもあらゆる利害の動機になるはずだ。
ふと、ヴィンセントが庭で剣を抜き払った事を思い出す。珍しい、と思ったのだ。
「あなたの剣は青銅ね。魔剣ではなさそうだけど」
「えぇ。ごく普通の剣ですよ。アイディームの兵士は鉄剣ですからね。今回の戦いで予備の剣まで折られてしまって、これは軍の備品です」
なら、本来は魔剣を帯びていたのだろう。
青銅はやわらかい。鉄剣と打ち合えば、すぐに折れてしまうのだ。
だが代りに、青銅の剣には魔剣と言うものがある。呼び名の通り、魔術で鍛えた剣の事だ。これは青銅の弱点を補う為に施されるが、高価なものになると魔術師を伴ったように不思議な力を持つ剣もあるそうだ。
だが、鉄の魔剣は存在しない。魔術師を輩出するのは遠い西方のハルディンマゴと言う国だけだが、アイディームの鍛冶場に他国の民が立ち入る事はあり得ないからだ。
だから身分のある軍人は鉄の中でも最高の鋼か、青銅の魔剣を腰に帯びる。
「戦いで、ね。まあいいわ。それで、あたしの質問には答えてくれないの?」
「貴方は賢い人ですね、マチルダ。面白い仮説でしたが、残念ながら事実ではありません。戦いは、ありました」
手摺りを離れ、ヴィンセントはテーブルの席に戻る。皿の手前に肘を突いて、軽く曲げた指先で顎を支えながらあたしを見た。
座るのを待っているらしい。仕方なく、向かい合って腰を下ろす。
「貴方の兄上とも剣を交えました。お望みなら、首を運ばせましょうか」
「いえ、結構よ」
そんな趣味はない。
「ですが仰る通り、王都に入ってからの戦闘はありません。この城に入るのは容易でした。抵抗がありませんでしたからね」
「まさか。あり得ないわ」
「最も激しい抵抗があったのは、国境でした。私の剣を折られたのも、国境での戦いです」
国境の守りは重要だ。そこを突破されたら、そのまま国境線を後ろに下げなくてはならない事だってある。国土を失うのだ。
だから国境の砦には、優れた軍人を配置する。でも、それにしたって。王都を無抵抗で明け渡すなんてあり得ない。
「私も不審でした。簡単過ぎると。ですが、あなたの話を伺って、少し納得しました」
「あたしの?」
「王は、囚われてしまったのかも知れません。この国は私達が攻め入る前に、既に滅んでいたのかも」
あたしは、それをすぐに否定できなかった。
思い当たる事があった。
手入れのされない王宮の庭。
王の眼に触れるのだ。そんな場所が、荒れているなんでどうかしている。
王に、父に、何があったの。
「あの石は美しく、途方もない価値がある。手に入れたいと願う余り、他の事に構えなくなったとしても無理はない。だがそぞろになるのが王の心なら、それは国事にも及ぶでしょう」
そうして、緩やかに滅んだと?
あたしは瞼を閉じ、胸の息を全て吐いた。そうすると、込み上げて来るものがある。慙愧とでも呼ぶべきものか。痛いような、苦しいようなそれ。
開いた眼を、風に揺れる草木に向ける。
信じないのは、信じたくないと思っていると言う事だろうか。
この滅亡は、だとしたら、あたしが招いたに他ならない。
「信じて頂けましたか?」
「さあ……。でも、どちらでもいいわね。あたしはどうせ、石の事を話すつもりがないんだから」
「……そうですか。それも、いいかも知れませんね」
石の為に戦争まで起しておいて?
ヴィンセントの言葉に驚いて、その顔を見た。けれどもそれは横顔で、彼は直前までのあたしと同じに庭へ眼を遣っている。
遠くを見るような、心の底で何かを憂えるような表情に見えた。
「あなたの王が、父と同じにならなければいいわね」
余計な事だとは、言ってから思った。
それが正鵠を射ていたと、ヴィンセントの妙に優しげな笑顔で知ったからだ。