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(三)

   (三)


 それは、奇跡の宝石と呼ばれた。

 または憐れみの涙、とも。

 発見されたのは十年前で、現存するのはその時に発見隊が持ち帰った五十二個。以来、新たな石の発見はない。

 まるで石の中にオーロラを閉じ込めたかのような、幾重にも重なる不思議な輝き。薄暗く橙を帯びた灯火の中でも、自ら発光するかのように薄青い光をとろりと含む。

 そして付けられたのが、エンジェリック・ブルー。

 まるで天使の落した憐れみの涙が凝ったようだと、そう名付けられた。

 今となっては、皮肉でしかない。名に反して、呪われた宝石となったのだから。

 王はアイディームの国土からこの石が採れた事を喜んで、発見から七日の内に幾つかを友好国の長に贈った。

 そして七日目に、あたしが事件を起した。

 発見したのは騎士であるティラスと、彼の率いる小隊の兵士。

 あたしが殺した、十三人だ。

 そんな状況では、考えなくても解るはずだ。あの石の為に、ティラス達を殺したと。

 にっこりと笑い、あたしはヴィンセントを見る。

「そうね、あなたの言う通り。当たりよ。誰にも石の事を教えるつもりはないわ」

「でしょうね。この為に罪を犯し、十年もの沈黙を守った貴方だ。簡単に口を割るはずがない」

「よく知ってるわね。なら、秘密は秘密のままに」

「私にも立場があるんですよ、マチルダ」

「知らないわ」

「アイディームを落としたのは、この石のためだ」

 大きく荒げた訳ではなかったが、鞭で打つような声だった。

 あたしは反射的に、背筋を伸ばしてびくりと震えた。

 石の為?

 この十年が、あたしには解らない。

 あたしの知らない十年で、石がそこまでの価値を持ってしまったと言うのか。

 一国を滅ぼしてしまう程?

 男を、血に狂わせてしまう程?

「下らない」

 言った声が、我ながらぞっとする程冷たかった。

「……マチルダ?」

「好きになさい。ご推察の通り、石の発見者を殺したのはあたしよ。ひとり残らず殺したわ。あの人達は自分の功を守ろうと、誰にも鉱脈の場所を教えなかったの。だから今、石の場所を知ってるのはあたしだけ。でも、残念ね。あれはあたしのものなの。誰にもあげない。あなたにもよ、ヴィンセント」

 言うだけ言うと、あたしは席を立つ。

 眉を顰めたクライヴが、剣の柄に手を掛けながらさっと主に駆け寄った。

「諦めて」

 テーブルの小箱を、突き放すように手で払う。と、勢い余って箱から石が転がり出た。青い輝きが床に落ち、硬い音を立てる。コーネリアスが、ぎくりと一瞬息を詰めた。

 どれだけの価値があるのだろう。彼の反応についそう考え、忌々しくなる。

 けれどもヴィンセントは、石を一瞥さえもしていない。代りに、じっとこちらを見詰めていた。この胸の内を覗こうとでも言うふうに。

 それが何だか、恐かった。

 王の執務室から勝手に出て、廊下を歩く。

 すると揃いの鎧を身に着けた兵士が二人、慌てて後ろを追い掛けて来た。そりゃそうか。捕虜を勝手に出歩かせては、拙いはずだ。

 けれども叱責される事も、強引に止められる事もなかった。どうやら、ヴィンセントがあたしを賓客扱いにしたせいらしい。将軍が篤く保護しているものを、一兵卒が勝手にどうこうもできないのだろう。

 そんな事を考えながらずんずんと歩いていると、庭に出た。芝生が太陽の光を一杯に浴び、爽やかな匂いを辺り一面に漂わせている。

 懐かしい、と言いたい所だが、残念ながらそれは無理だ。

 よく見れば、庭の手入れはしばらくされてないらしい。隅では立ち枯れた木がそのままに放置されていたし、伸び放題の芝生には雑草が小さな花を咲かせている。それはそれで可憐だが、王城の庭には相応しくない。

 簡単に言えば、荒れ果てている。

 あたしが知っている頃は、隅々まで手入れの行き届いた美しい城だった。落葉の一枚さえ許さずに整えられた庭を、季節ごとに咲き乱れる花が絶えず絢爛に飾っていたのだ。

 けれども、これはどう?

 雑草の他に花らしい花はなく、カサカサとうら寂しく枯れた枝葉が風に揺れる。昨日今日でこうはならない。まるで、滅んで久しい廃墟の庭だ。

 あたしは石の回廊から芝生の上に足を降ろすと、庭を囲む石垣に駆け寄った。絡み合った蔦を掻き分け、背丈よりもずっと高く積み上げた石に触れる。横に移動しながら、扉を探した。別の庭に入る為の、小さな木戸があるはずだ。

 ふと、石に這わせた手の上に影が射す。真上に顔を上げると、秋の陽光に眼が眩んだ。

 細めた視界の中で、黒い人影がチラリと動いた。後ろにくっついた兵士達には、梢が邪魔で見えない位置だ。逆光の影はさっと右に手を振ると、石垣のあちらに姿を消した。

 右。

 視線を下ろし、そちらに進む。と、程なく指先の感触がザラリと変った。石でなく、乾いた木の感触だ。

 扉を見付けた。そう思った瞬間に、分厚く重なる蔦の下で木戸が開く。

 唐突に、ばっくり開いた空間からこちらに向かって腕が伸びた。大きな手の平はあたしの手首を素早く掴むと、あっと言う間に木戸の中に引き摺り込む。

 すぐに慌てた兵士達が体当たりでもするようにドンドンと激しく戸を叩いたが、しばらくは開かないだろう。内開きの扉だ。閉じると同時に手近の鍬をドアに噛ませ、つっかえ棒の代りにしていた。

 そして手首を掴んだまま、男はあたしを見下ろした。あたしも、その男を見る。

「何をしているの、バッカス」

「お逃がし致します、姫様」

 その言葉に、はっと息を飲む。

 胸を突かれた。

 牢獄の中で、一度言われた言葉だった。けれども、それは失敗した。あたしも拒否した。それで終ったと思っていた。

 だがバッカスは、諦めた訳ではなかったのだ。

 あたしは、眉を顰めた。

 不愉快でそうしたのではない。

 我が身を恥じ、そして同時に誇りに思った。

 全てを懸けた。この身の全てを。あたしが許される事はないけれど、引き換えに稀有の民を得た。

 風のように現れたこの男は、庇おうと言う。

 国が敗れ、自分さえどうなるか解らない。そんな時に、王族でありながら罪人のこの身を。

 けれどもその情けに縋るには、あたしの罪は重過ぎた。

 零れそうになる涙を堪え、どうにか笑う。

「できないわ」

「姫様!」

「バッカス、あなたは逃げなさい。死んでは駄目」

 枯れ草色の眼が、憂えげに見下ろす。

「姫様も、死んではなりません」

「いいえ。あたしのような人間が、生きようとしてはいけないの」

 この言葉に、男は微かに肩を震わせた。恐れるように、初めて何かを悟ったように。

 そして呆然と、バッカスは呟く。

「……それは……間違えておいでだ」

 間違う。何を?

 明らかだ。あたしは許されない。

「こんな所で秘密の逢瀬とは。隅に置けませんね、マチルダ」

 わずかに笑いを含んだ声が、頭上から降る。

 上から?

 見上げようとしたが、それより先に声の主が目前に落ちる。本当に目の前だ。鼻先が背中に触れるかと思って、思わず反射的に後ろへと下がる。

 抜き払われた剣先を避け、飛び退いたバッカスが直前まで立っていた位置。そこに、抜刀したヴィンセントがいる。

 背後の木戸は、まだ開かない。となると、石垣を越えて来たのだろう。

 驚いて、声も出ない。

 冷たく輝く金色の髪に、恐いような薄青い瞳。間違いなくヴィンセントだ。

 ……だが、誰だこれは。

 青銅の剣を無造作に構え、獲物を前に舌なめずりでもしかねない好戦的な表情。そして笑う。浮かべているのは、今まで見た中で一番解り易い笑顔だった。

 この状況と言うのが、理解に苦しむが。

「我が軍が幾重にも守るこの城内から、貴方を逃がそうとするとはよい臣下をお持ちですね」

「そうかしら。王の血筋は、国と共に滅ぶもの。それを解さず、よい臣下と言えるかしら」

「お厳しい」

「救われたいとは思っていないの」

 あたしの言葉に、バッカスはさっと顔を曇らせた。傷付いたように。

 わずかに翳った、枯れ草色の瞳が見詰める。

「必ず、お迎えに参ります」

 言い残し、悪い足を巧く庇って身を翻す。

 茂みに飛び込み逃れようとする男を、もう一人の剣を持った男が追う。あたしは更にその背を追って、ぶつかる勢いで飛び付いた。

 まさか、背後から襲われるとは思ってもいなかったのだろう。ヴィンセントは思いの他にあっさりと倒れた。

「マチルダ!」

 地面からがばりと顔を上げ、信じられないものを見る眼であたしを責める。

 ヴィンセントに縋り付いて、こちらも一緒に地面に倒れた。今だって、がっちりと胴に腕を回したままだ。下手に離すと、まだバッカスを追って行き兼ねない。

「この地の民を虐げるつもり?」

「抜き身の剣で脅す程度、国境を越えてから散々やった。今更、そんな事を仰るとは」

 二人の体を離そうと、ヴィンセントはあたしの肩に手を掛ける。負けじと薄青い眼を見返して、思い切り不機嫌に言って遣った。

「あたしの前で、と言うのが問題よ。許さないわ」

 はっとしたように、肩の上でヴィンセントの手が強張った。

 布越しの感触でそれを感じ、あたしは却って戸惑ってしまう。さすがに、気分を害しただろうか。まあ、それこそ今更だろうが。

 秋の陽光に、上等の錦より美しく煌く。ヴィンセントは金に輝く髪の下で、眩しそうに眼を細めた。そしてその白い手は肩から頬に移動して、油の抜けた肌を包む。

 壊れものでも愛でるように触れられて、あたしはやはり戸惑う事しかできなかった。

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