(二十一)
(二十一)
内側に毛皮を貼った長靴を履いて、厚い外套の上に矢を収めた矢筒と弓を背負う。
真夜中、あたしは腰まで積もった雪の中に立ち、深いため息をついた。
甘かった。
言うなれば、ルイスは悪餓鬼だったのだ。裏をかくのが、やたらと巧い。
「一人で夜の山下りるなんて、無茶しますよね」
すぐ傍で、ルイスが言う。彼はあたしの腕を取り、逆の腕をアルに任せた。二人で息を合せ、雪の中から一気に引き抜く。
白状すると、雪の中に立っているのではなく、埋まっていたのだ。積もった雪はやわらかく、足を踏み出すとたちまちに腰まで埋まってしまった。
ルイスとアルが平然と雪の上に立っているのが不思議だったが、疑問はすぐに解けた。彼等は靴の裏に広い板のような物を結わい付け、体重を分散しているのだ。
「ずるいわ」
「だから、最初から連れてって下さいって頼んだのに」
白い息で文句を言っている間に、アルが黙々とあたしの靴に板を付けてくれていた。首を傾げる。
「ねえ、二人だけなの? 他の人は?」
「いませんよ。ノアがよかったですか? でもあいつ、子持ちだからな。誘ったら、ロビンにどやされる」
そう言うとアルと二人、声を潜めて笑い合った。ロビンと言うのがノアの妻らしい。
では本当に、彼等だけなのか。
「勝手に出て来たのね。あたしの手助けなんかして、デイトンに叱られるわよ」
「ですね。だけど、一人で行かせるほうがもっと悪い」
口の減らない男だ。
上着に入り込んだ雪を払っていると、ルイスは埋まった拍子にあたしが落としたランタンを拾い、火を吹き消した。呆気に取られる。明かりがなくて、どうやって道を探すのだろう。
「大丈夫」
驚いているあたしに、アルが上を指し示した。
見上げると、夜空に月が掛かっている。満月には足りなかったが、降り注ぐ月影が一面の雪に映り込んで幻想的に輝いていた。
「……美しいわね」
「その上、足元にも困らない。わざと月のある夜を選んだのかと思ってたのに」
意地の悪い事を言って、面白がるようにルイスが笑った。
道すがら聞くと、夜の山中で火は目立つのだと言う。その為に彼等はあたしを見失わずに済んだのだが、里の者が不在に気付けば後を追う目印にもなり得た。
ルイスとアルの同行は不本意だったが、どうやらこれは、ひとりでは麓までも辿り着けそうにないと悟る。
二人のお陰か夜明け前には山を降りたが、そこで直面したのはアルが馬に乗れないと言う事実だ。あれだけ身軽なら乗れるだろうに、扱えないらしい。
男二人よりは馬の負担も減るだろうと、あたしが乗せる事になった。馬には気の毒だが、潰すつもりで駆ければ夜には王都に着けるはずだと考えていた。
ルイスとアルが調達したのは中々の駿馬で、実際には陽が落ちる頃には王都が目視できる距離まで近付いていた。
このまま行けば城下を囲んだ塀の門に辿り着くが、その道から逸れ、あたしは町の外にある教会へ向かった。ルイスの馬が慌てて後を追って来る。
二人には布を被せて容姿を隠させ、押し入るような勢いで巨大な教会に入り込む。するとあたしの顔を知る司祭が、真っ青になって悲鳴を上げた。
「マチルダ殿下!」
手近の椅子を蹴り、司祭にぶつける。
「神に仕える者らしく、慎ましやかに口を閉ざしておいで」
後に続くルイスが震えながら体を折り曲げ、「姫様かっこいい!」と絶賛した。
ここは古くから、アイディームの王家が支援していた協会だ。秘密の通路が通じている。その為に立ち寄ったが、ついでにルイスとアルの身なりも整えたかった。
怯える神職者達に準備を言い付け、インクに浸した櫛で銀色の髪を梳かす。人払いした静かな部屋で、彼等は黒髪に変身した。更にその上から布を巻けば、まず銀髪とは知れないだろう。後の問題は、この緋い眼だ。
ふと思い付いて、司祭を呼ぶ。
「告解の仮面を」
すぐに白い仮面が運ばれて来る。顔に当てて紐を結ぶと、目元を隠して鼻の部分が鳥のくちばしのようになった。
これは身分を秘して神に告白し、許しを請う時に使われる。だが、眼の色も隠してくれるだろう。
準備はできたが、まだ時刻が早い。城に忍び込むのは、もっと夜が更けてからにしたかった。
余裕ができてしまうと、どうしても確かめたい事があった。教会に二人を残し、こっそりと城下へ向かう。
行ってみるとフィルの食堂は変わらずにあり、ほっと肩の力を抜く。焼き払うのは止められたと聞いていたが、全く無事かどうかは解らなかったからだ。あたしのせいで店が潰れてしまっては、申し訳ないどころではない。
そのままそっと立ち去ろうとすると、背後から肩を掴まれた。フィルだ。
「何をしてんだよ!」
潜めた声で叱り付けられる。確かにこんなにあっさり見付かっていて、あたしは本当に大丈夫だろうか。
物陰に引き込まれて、ひそひそと話す。
「あの時は悪かった。オフクロが……」
「仕方ないわ。お母様も心配しての事だろうから」
「弟は?」
一緒にいたコーディーを、そう説明していたのを思い出す。
「元気よ」
「そっか。あの、置いてった荷物な、言われた通り金は屋根直すのに使わせてもらった」
頷いて見せた。それは構わなかったが、荷物と言われて胸が痛む。あれはワイルダーが用意してくれた物だった。
「大丈夫だったのか? 大事な物とか、入ってただろ?」
首を傾げて、フィルを見上げる。何だろう。お金と着替え以外に、何か入っていただろうか。
解らずに次の言葉を待っていると、フィルは仕方なさそうにボソボソと口にした。
聞いて、なるほどと納得する。それは言いにくかっただろう。男と言うのは、時に面倒だ。
そしてふと、疑問が浮かぶ。
ワイルダーは、そんなに気の利く男だったか?
一度教会に戻り、どこに行っていたのかと責められながら手を繋ぐ。
「いい? 絶対に離さないでね。離れてしまったら、あたしにも助ける手段がないの」
両手の先、それぞれの男に言い含める。ルイスとアルは頷いたが、こっちは不安で仕方ない。
コーディーの時のように繋いだ手を紐で結んでしまいたいのに、彼等がそれを許さなかった。手を結ばれていては、咄嗟に動く事ができないと。
「だから、通路の中では手を離せないって言ってるのに……」
何が咄嗟なのだろう。二人が腰に吊るした長剣が、たまにガリガリと壁を掻く。狭い通路を殆ど横歩きのようにして進みながら、ぶつぶつと文句を言った。すると二人が仮面の顔を見合せて、クスリと笑う。
「笑い事じゃないわよ」
「だって、おかしいでしょ。ずっと山奥にいたオレらが、姫様と手なんかつないで城に行こうって言うんだから」
「おまけに、髪まで黒くてお揃いだ」
抑えた声で、アルが笑う。
「喜んで貰えたなら、よかったわ。本当は、黒髪の評判はすごく悪いの」
「そうですか?」
「ええ、死をついばむ鴉のようだとも言われたわね」
言ったのは、さっきの司祭だった気がする。
誰も否定する人間はいなかった。実際、あたしが人を殺した後だったからだ。
先頭を行くルイスに合図して、角を曲がる。下に伸びる階段を降り、通路の出口から外の様子を窺った。どうやら、見張りはいないらしい。
窓のない廊下に出る。隙間なく石を組んだその場所は、地下牢に近い。あたしが十年を過ごした地下牢は、確かに秘密の通路に通じていない唯一の場所だ。しかし、その傍まではこうして忍び寄る事ができる。
足音に注意して、格子に手を掛けた。
「グレン」
思いの他に声が響いて、心臓が一瞬ひやりとした。
四角い地下牢には、隅に木と板を組み合せた寝台がある。その上からはみ出した足が、大儀そうに床に降りた。ゆっくりと上体を起し、年嵩の従兄弟は怪訝そうに顔を歪める。
「逃げたと聞いたぞ」
「戻ったの」
「魔女の思う事は分からんな」
「そう? 単純よ。この国と、民を守るの」
囚われた男は、ふんと鼻で笑った。
立ち上がったかと思うと、さっと駆けて鉄格子を掴む。気圧されてしまった。グレンの左手は格子と一緒にあたしの手を捕まえて、逃げる事もできない。
ルイスとアルが素早く剣を抜き、格子の間から突くようにグレンを狙う。
「小賢しい言葉で、今度は我を惑わすか?」
「手伝って欲しいの」
賭けだったが、その価値はあった。グレンは強い。相手が何者であろうと、必ず戦力になるはずだ。
「生憎だな」
「グレン。事が終れば、あたしを殺してもいいわ。でも、聞いて。今止めないと、この国は跡形もなくなるかも知れないの」
確信はない。だがそれが、あたしが全身で読み取った感触だ。グレンは驚いたように眼を開き、そして頷いた。
「そうなるだろう」
「なら……」
胸の中に希望が芽生えたが、グレンは首を横に振った。そして利き手である右の腕を持ち上げて示す。息を飲んだ。
「剣が握れぬなら、用はなかろう?」
巻かれた布が、血を吸って赤い。その右手からは、三本の指が切り取られていた。
「ハルディンマゴの者がおるらしい。王家の通路を通るまじないだと言って、持って行きおった」
「それは、男? 二人ではなかった? 全身に黒衣を纏った」
肯定するグレンを見て、あたしは絶望的な気分になる。あれがハルディンマゴの民なら、それは死の商人と呼ばれる者達だ。彼等の生業は他国からの依頼を受け、人の命やそれに等しい情報を遣り取りする事。魔術師の国と呼ばれる裏で、国家を支えている仕事だ。
この城に施された秘密の通路は、かの国の魔術師が作った。彼等なら、魔術を破る方法を知っていて不思議はない。
唇を噛む。それでなくても、黒衣の男達は手強い。秘密の通路まで使えるとあっては尚更に厄介だ。
でも、気付く。それはこちらの強みにもなりはしないか?
上着の下に忍ばせた短剣をベルトから引き抜き、自分の手に当てるとグレンに問う。
「指でいいのね?」