表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/24

(二)

   (二)


 アイディームの場合、一個小隊は十三人で構成される。

 兵士三人で一組とするが、それを四つ合せたものに小隊長を加えて十三人。

 これが十年前のあの夜に、あたしが奪った命の数だ。

「マチルダ?」

 気遣うふうな、男の声。

 不思議だ。

 北の民は雪のように白い。厳しい寒風に鍛えられた肌は、一片の赤みさえ持たずに冷たげだ。なのに、頬に触れた手の平からは温かな体温が伝わって来る。

 それが何だか、妙な気がした。

 どこか作り物めいた皮膚の下にも、真っ赤な血が脈打っているのかと。

「総督」

 呼ぶと、ヴィンセントは何かと問うように髪を揺らし、わずかに頭を傾ける。

「このお手は、問題です」

「……失礼」

 わざと堅苦しく指摘すると、やっとその事に気付いた様子であたしの頬から手を引いた。

 彼は先に立ち上がり、腕を差し出す。回廊の途中でうずくまってしまったあたしを、引き起す為だ。

「気分が優れないのなら、話を伺うのはまたにしましょう」

「……ええ、ごめんなさい。ずっと地下にいたのに、急に太陽を浴びたものだから少し眩暈が」

 ヴィンセントは頷くと、兵士を残して立ち去った。

 あたしの言い訳を、信じた訳ではないだろう。なのにこうもあっさり引き下がる事が、その余裕を示していた。

 虜囚の、しかも女など、いつどうなるか解らない。向こうにすれば、どうとでもできると言う事だ。

 それにしてもあんなふうに水を向けておいて、何もなかった顔で立ち去るなんてどうかしている。

 あたしが石畳の床にへたへたと崩れてしまったのは、ヴィンセントのせいだ。彼が、あの夜の話題に触れた為に。

 十年前の夜、十三人の男を殺した。

 あたしが、自分の意思で。

 後悔はない。

 だが今も、その罪には胸を潰されそうになる。

 優れた兵士達だった。

 小隊を率いていたのはティラスと言う騎士で、よく知った男だった。年が近く、父のお気に入りで、あたしの護衛に付く機会も多かった。

 けれども、殺さなくてはならなかった。

 その理由を知る者は、あたしの他には誰もない。知っていたのは、あの夜に死んだ者達だけだ。

 それどころか、あたしが十三人の兵士を殺した事実さえ、父は葬ったはずだ。

 娘を守った訳ではない。あたしの凶行を葬る事で、王家の威光を守ろうとした。

 そして同時に、あの石を守ろうと。

 あの事件の一端は、エンジェリック・ブルーに繋がっていた。それだけは誰の眼にも明らかだ。

 だからこそ、あの夜の事が噂になどなるはずはない。そんな事、父が許さない。

 そうして血に塗れてしまったと言うのに、父や兄はどこまでもあの宝石を惜しんだ。殺人を葬り去ったのは、あたしではなく石の為だ。

 なのにそれを、ヴィンセントは知っていた。

 どうやって知ったのか。その噂は、どこまで広がっているのか。そしてどこまで正しいのか。

 あたしは、確かめなくてはならなかった。

 けれども、何の皮肉だろう。国が滅んで父や兄から解放されたと思ったら、代りに現れたのがあんな男とは。

 ヴィンセントは苦手だ。他ならぬあの眼が。

 あの人の薄青い瞳は、何よりも美しく、何よりも呪われたあの石に似ていた。

 まるで責められているようで、見詰められると気がふれてしまいそう。

 無意識の内に、あたしは自分の頬を撫でた。ヴィンセントが触れた場所だ。

 彼から移った温もりが、そこにまだ残っているみたいに感じられた。


   *


 リシェイドは、大陸の端にある。

 アイディームから見て北の国境を接する隣国。万年雪と、溶ける事のない凍土の国だ。

 その向こうには凍て付いた外海があるばかりで、故にリシェイドを以って北限と言われる。

 国境を接する隣国ではあったが、こちらとあちらでは所有する国土面積からして全く違う。リシェイドは気の遠くなるような大国で、対するアイディームは驚く程に小さかった。その為に、象と蟻に例えられる事さえある。

 元々、リシェイドは好戦的な国だ。確かに広いが、その殆どが氷に閉ざされた厳しい環境にあるからだ。故に彼等は近隣国から領地を奪い、そこで利益を得て本国の民を養う。

 戦を生きる糧としているのだ。

 かの国から送り込まれた北限の獅子。ヴィンセントはアイディームに入るにあたり、二個師団と、その司令官でもあるふたつの牙を伴っていた。

 牙とは、北限の獅子が持つ腹心の部下だ。ひとりの名はコーネリアス。もうひとりをワイルダーと言う。

 今は室内にその片割れ、コーネリアスが同席していた。

 しかしこの男については師団長と言うより、参謀とでも呼ぶべきだろう。長く垂らした灰色の髪は戦闘には向かないだろうし、何よりこちらを観察する翡翠の瞳は理知的だ。さっき兵士に伴われて入室する際、中から返された返事はこの男の声だった。

 あたしを室内に残し、兵士が去る。

 高い天井。それを支える、美しく配された柱。滑らかに磨かれた様々な石で、緻密な幾何学模様を描く床。一方の壁には大きな書架が作り付けられており、書名の箔押しされた本の背中がびっしりと並んでいる。

 王の部屋だ。

 ここはかつて、王の為の執務室だった。

 テラスに通じる硝子戸から、ヴィンセントが姿を見せる。傍に赤髪の護衛、クライヴが控えているのが見えた。

「気分はどうです?」

「ありがとう、大丈夫よ。昨夜は久しぶりにまともなベッドで眠れたから」

 それは何より、と。ヴィンセントは唇だけでわずかに笑む。

 昨日、牢を出されてから、あたしはまるで賓客の扱いを受けた。無論、見張りの兵士は付いていたが。

 城内で最も上等なゲストルームに案内され、バスタブ一杯の熱いお湯まで与えられた。入浴の後に袖を通したのは、絹の寝間着だ。

 おまけに、クローゼットには美しく繊細な錦と、うっとりするようなビロードをたっぷりと使ったドレスがあった。胸元はすっきりと大きく開き、袖はあたしの手よりも長い。しかし肩まで入ったスリットの為に、それはきっと歩くたび優雅に揺れるだろう。

 今朝、ヴィンセントからの呼び出しに、けれどもあたしはそのドレスを着なかった。

「お気に召さなかった様ですね。ドレスの方は」

「お湯は有難く使わせて貰ったわ。もう、夢心地」

「コーディーが困り果てていましたよ。女性は美しいドレスを好むのに、一向に袖を通して下さらないと」

 言いながらヴィンセントはあたしに椅子を勧め、自分もテーブルを挟んだ向かい側に腰掛ける。

 コーディーと言うのは、今朝あたしの身支度を手伝うつもりで遣って来た若い侍従だ。顎までの黒髪と、明るい茶の眼を覚えている。まだ十代の子供だ。それに強情を張るのは気が引けたが、仕方ない。

「それはきっと、十年も地下牢に閉じ込められた事のない女性の話ね」

 言いながら、あたしは服から飛び出る手を隠して擦り切れた袖を引っ張った。

「口の減らない人だなぁ」

「若いから、知らないのも無理はないわね。有名だったのよ、あたし。誰も手を付けられなくて、結婚できなかったの」

 横で、コーネリアスがくすくすと笑う。彼はあたしと年が近いようだから、風の噂くらいは聞いた事があるかも知れない。

 十年前、あたしは二十歳だった。町娘でも貴族でも、とっくに婚姻を結んでいて当然の年だ。王の娘なら、尚更。早々にどこかの国へ嫁がすか、有力な重臣に降嫁させるか。とにかく、十五を過ぎて遊ばせて置くのはあり得ない。

 でも、あたしはそうだった。

 少し困ったようにあたしとコーネリアスを見比べて、ヴィンセントは息を吐く。

「それがどうして、ドレスを着ない理由になるんでしょうね」

「さあね。まあ、いいわ。本題に入りましょ? あたしが考える通りなら、その事にも追々触れる事になるだろうから」

 そう告げると、少し細めたアイスブルーの瞳があたしを見詰めた。

 視線をそのままに、片手を上げる。合図を受け、灰色の髪をさらりと揺らしてコーネリアスが席を立った。壁際のチェストから小箱を取り出し、テーブルに置く。

 ヴィンセントはそれを手の中で転がして、しばし遊んだ。でもその顔は、何かを迷うかのように見えなくもない。

「私にもまた、考えている事があります。この考えが正しければ、恐らく貴方は命を賭してその秘密を守るでしょう。違いますか、マチルダ?」

「その考えとやらによるわね」

 あたしはテーブルに頬杖を突き、真正面の男を見ながらクスリと笑う。

 この男が間違う事はあり得ないと、そう思ったからだ。

 かの国で、北限の獅子と讃えられるヴィンセント・L・ハーディー。破格の若さで将軍職を与えられた彼が、尋常な男の訳がない。

 だとしたら、答えの得られない質問を投げ掛けようとしている。その不毛さを承知の上で。

 ヴィンセントの白い指先が、小箱を開ける。磨き込まれたテーブルの上を滑らせて、あたしの前にその中身を示した。

「この石の鉱脈を、教えて頂く」

 箱の中では真綿に包まれ、エンジェリック・ブルーが幻のような儚さで美しく輝いていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ