(十九)
(十九)
もう立っている人間がいなくなると、部屋の中に足を踏み入れた。弓を捨て、剣を拾う。もがいている男達の胸に、とどめの剣を刺す為だ。
ティラスはすでに死んでいた。
どうしてあたしに殺されるのか、理解してはいなかっただろう。
肉を裂いた剣先が骨に当たる感触に、腕と一緒に頭が麻痺して行くようだ。他を殺してフィニアンの前に立った時には、酷く冷酷な気分に染まっていた。
あたしも、王族のひとりなのだと実感する。冷たく、残酷で、眉ひとつ動かさず命を取れる人間なのだ。
だから解る。
父は、真実を知ってもあの石を諦めはしないだろう。
血と怨嗟にまみれていても、父に取っては国を潤す宝石としか映らないに違いない。
だが、民はどうなるのだろう。
呪われた石で養われ、知らずの内に魂を穢された人間は。その誇りは。
目の前で、フィニアンが自ら頚を掻き切った。ドレスの胸元までを返り血が染める。剣を投げると手近の椅子に腰掛けて、片手でテーブルに頬杖を突いた。
肘を載せた少し先に、杯がひとつ残っている。それを手に取り、中のワインをくるくるともてあそんだ。
飲んでもよかったが、結局そうはできなかった。この国がこの先どうなるか、見届けるのが自分の役目かも知れない。
炎の中で果てた少女に思いを馳せると、何故だかそう思ったのだ。
*
当時、あたしは二十歳だった。
あんな事をしたのは、できたのは、だからこそだったかも知れないと思う。
見落とす程には若くなく、諦める程は長けてなかった。
デイトンとこの話をした時、彼は深い皺の刻まれた顔に悲痛なものを滲ませて呟いた。
夏の事だった。
狩りの季節で、男達は出払っていた。誰も守って遣れなかったと、今もばっくりと開いたままの傷口を垣間見せた。
過去は変えられず、耐える他ない。けれども、これからを考えても問題は多かった。
エンジェリック・ブルーは、世の中に出てしまった。そうしたのは父だったが、ひとつだけ褒められる事があるとしたら、最初に贈った五つの他は石を国外に出さなかったと言う事だ。
アイディームは製鉄の国である為に、商人としての側面も持つ。確かに五十個近い石を売れば、国庫は一時的に潤いはする。だが、それで終わりだ。
供給できないもので販路を得ても、続かないのでは意味がない。それよりも、安直に財を得てしまう事を父は警戒しただろう。
苦労なく富めば、国の根幹である製鉄まで廃退してしまう恐れがあった。それを補う宝石は、たった五十程しか手元にないのだ。その遣り方では、未来がない。
最後には国力の低下でそれも意味を失ったが、石は国内に残っていた。どれ程美しい宝石であろうと、手に入らないものは廃れて行く。じっと息を潜めてそれを待つ他なかった。
「リシェイドに動きが」
その知らせを持って来たのは、数日振りに顔を見せたバッカスだ。
「揺れた、と言うほうが正しいかも知れない。大揺れだ」
「それじゃ解らないわ。どんなふうに揺れたのよ」
あたしは腕組みしたまま、呆れ顔でバッカスを見た。よくもまあ、これで王城に潜入なんかできたものだ。
氷壁の里に来て、二か月が過ぎようとしていた。季節はすっかり冬になり、外に出ればたちまちに頬がぱきぱきと凍る。
行く当てもないからすっかり腰を落ち着けてしまい、何だかここに馴染んでしまった。
「姫様は俺に厳しいな」
バッカスがぼやくと、ノアが笑う。あたしの横ではデイトンも静かに笑んで、先を促した。
「それで」
「ハーディー将軍が本国の命令を蹴って、アイディームに留まっているそうです」
部屋の中から笑顔が消える。
バッカスは枯れ草色の頭を掻いた。
「それもエンジェリック・ブルーではなく、姫様の捜索をさせている様で」
「何故?」
「そこまでは」
デイトンの問いに、バッカスは肩を竦める。
あたしは首を傾げた。
「それが大揺れ?」
少なくとも、あたしには予測の内だった。
だからこそ、ぎりぎりまで逃げ出さず城に留まったのだ。王族が逃げ出せば、追っ手が掛かる。敗戦で弱り切った国を、これ以上混乱させる事もないだろうと。結局、城に留まるほうが混乱の種になりそうだったから、こうして出て来てしまったが。
釈然としないあたしに、バッカスが困ったように笑う。傷付いてくれるなよ、とでも言うふうに。
「やり方が、らしくない。姫様が贔屓にしてた食堂があるでしょう」
頷く。フィルの食堂の事だろう。
「姫様の行方を知るはずだと、店を焼き払うところまで行ったとか。噂ですが、牙が必死に止めて事なきを得たと」
「……それは、どうかしてるわね」
よくよく聞くと、他にも誰かを締め上げたとか、国中の黒髪の女を集めさせたなど。初めて聞く話をバッカスは明かした。今までは言っても仕方ないと、あたしには聞かせずにいたらしい。
「お呼びしたのは、それについてです」
言って、デイトンは体ごとこちらに向いた。
「あの石は、毒を持っている」
「毒?」
それは珍しいが、あり得ない話ではない。鉱石の中に毒性を持つものがある事は、知られた話だ。
言わんとするところが解らす戸惑っていると、察してノアが不足を補う。
「触れてどうこうと言う話ではありません。ただ、あの石をずっと傍に置くと、精神を蝕んで行く事が。極端な執着と、疑心暗鬼がその兆候です」
「数が増えれば、それだけ深く侵して行く。ですから、この里でも墓場は離れた場所に置かれているのです」
「それは、あなた達でも駄目なの?」
氷壁の民は皆、自分の中に石を持っているのに。
バッカスから眼を移して問うと、長が首を振る。
「我々に害はありはしません。だが、この里にはバッカスのような者もいる」
「例え一代でも混血すると、氷壁の特徴は失われると聞いています」
銀髪ばかりに囲まれながら枯れ草色の髪の男は、あっさりとした調子で言う。
バッカスと彼の妹は曽祖父が里の外の人間で、その髪と目の色を受け継いでいた。そう言うものらしい。
それはそれとして、あたしは伏せた顔を手で押さえた。
どうしてそれを早く言わないの!
そう罵りたくなったが、ぐっと飲み込む。例えそれを知らされていたとしても、地下牢にいたあたしにできた事は何もなかった。
父の事を考えてしまう。人が変ったように、時と共に残忍に。父の変貌は、ただ欲に迷っただけではなかったかも知れない。
その事だけが、薄く心を慰める。
だがデイトンの話は、それだけで終わらなかった。
「国内に残っているはずの石は、どこにあるのかご存知だろうか」
「……どうして? 大切な事?」
氷壁の民に取って、あの石は遺骸の一部と同じ事だ。大事なものには違いない。取り戻すつもりだろうか。
デイトンがあたしの視線を受け止め、頷く。
「リシェイドの将は、様子が違っているらしい」
「あっ」
そうか。
「……城内にあるわね、それは」
唇を噛む。
石が父の心を蝕んだなら、それは父の身近にあった。そして今のヴィンセントは、かつて父のいた位置に近い。
「王の執務室……」
呟くと、視線が集まるのを肌で感じた。床に視線を落とし、考えを巡らす。
ヴィンセントの持ち込んだ荷物で、すっかり彼の部屋になっていた。恐らく、あの執務室で過ごす時間が最も多かったのだろう。
だとしたら、石は執務室の周辺にある。それも、父の他には見付けられない場所。そうでなければ、とっくにリシェイドが石を発見しているはずだ。
「確証はないけど、探してみる価値はあると思うわ」
「バッカス」
ノアが呼び、連れ立って席を立つ。その二人を慌てて止めた。
「どうするつもり?」
「探す価値があるのなら、行きます」
「馬鹿ね。見付かる所にはないわよ」
これでは話が通らないと、彼等の奇妙な顔を見て思った。
あたしなら、大切なものは秘密の通路に隠す。父もそう考えた可能性は高い。王族なら信用できると言う訳ではないが、単純に、出入りできる人数は減る。
だから本気で残った石を探すなら、あたしはもう一度あの城に行く必要があるだろう。