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(十八)

   (十八)


「手柄を立てて、王にお許しを頂きます。だからきっと、私の妻になって下さい」

 思えば、この言葉から始まったのかも知れない。

 ティラスは頬を染め、母の庭であたしにそう囁いた。

 けれども、どうやって? ティラスは誉れ高い騎士ではあったが、王の娘を妻にできる家格ではなかった。

 だから彼がエンジェリック・ブルーを持ち帰った時、ある意味で一番驚いたのはあたしかも知れない。

 オーロラに似た不可思議な輝きで心を奪う宝石は、国庫を潤す資源として申し分なかった。王は大いに喜んで、そのままなら望み通り娘を彼に遣っただろう。

 ティラスは五十二個の宝石を献上した際、王の隣にいたあたしを手招いた。にっこりと笑って、石のひとつを手の平に載せる。

 それは仄かに温もりを持つようで、逆にひやりと体温を奪って行くふうでもあった。手の中で転がる薄青い輝きに、あたしもまた心を捉われていたのだと思う。

 冷水を浴びせられたように夢から覚めたのは、ティラスが石を持ち帰って七日目の事だ。

 その間に祝いの宴が連夜のように行われ、王は五つの石を選んで他国への進物としていた。

 これは恐らく、後々を視野に入れた行動だ。他国の王室や貴族達の間でエンジェリック・ブルーが評判になれば、それは瞬く間に莫大な価値を持つ事になる。

 その計算は、後に自らの頚を絞めた。エンジェリック・ブルーは最初に手に入れた五十二個を最後に、幻の宝石となったからだ。あたしが、ティラス達を殺した為に。

「マチルダ様」

 宴に向かう足を、暗い声が呼び止める。

 あたしは首を傾げ、ふわりと広がるドレスの裾を気にしながらそこに屈んだ。回廊に立ち並ぶ柱の陰に、フィニアンが跪いていたからだ。彼はティラスの片腕で、だから顔を見知っていた。

「どうかした?」

「お話したい事が」

「もう宴が始まるわ。そこで聞くのでは駄目?」

 一応そう返したが、駄目だと言うのは解っていた。

 あたしの知る限り、フィニアンと言う男は冗談の通じない、でも優しい人だった。

 だからただ事ではないと、その眼を見て直感した。暗い、翳った眼。そわそわと落ち着きなくさ迷わせ、その癖何も見ていない。

 伴っていた侍女達を先に宴へ向かわせて、あたしは人けのない庭にフィニアンと降りた。

 それが、全ての運命を変えると知らずに。

 夏だった。

 息苦しい程の昼間の熱気が少し褪め、どこか寂しく、夢とも現とも付かない夏の夜の事だった。

 その夜あたし達二人は城を抜け出し、ある屋敷に忍び込んだ。ティラスの家だ。

 フィニアンは何かに怯えながら、勝手知ったる様子でどんどんと奥へ進む。使用人の眼を避け、足を止めたのは地下へ続く扉の前。油で満たしたランプを手に持ち、軋む階段をゆっくりと降りる。

 その時になって、自分が本当には何も解っていなかったのだと思い知った。嘘だと思った訳ではない。でも、それでも実感なんて、ひと欠片もなかったのだ。

「……だぁれ?」

 闇の中から声がする。

 フィニアンがランプを掲げると、不安定に揺れる灯火に少女の姿が浮び上った。

 思わず口を覆った手の下で、息を詰める。悲鳴は喉に貼り付いて、出て来なかった。

 彼女は、両足の腱を絶たれているようだった。投げ出した足に深々とした傷があり、固まり掛けた血がこびり付いている。

 流れ出た血の為に横たえた体がべったりと血に染まっていた。けれどもそれは足ではなく、腹の傷からの出血だろう。

 肩で切り揃えたはずの髪が血で赤黒く固まって、もう元の色も解らない。

「だぁれ?」

 もう一度問う。幼さを残す声だ。実際、子供にしか見えなかった。

 その子供は、生け捕りの獣を入れる檻にいた。

 恐ろしい事だと、王の庭でフィニアンは言った。実際その告白は恐ろしく、けれどもあたしは、本当には解らずにいたのだ。

 理解できる訳がない。城の奥で絹にくるまれ、ずっと守られていたあたしに。絶望は、ただの言葉でしかなかったのに。

 ティラスを始めとした十三人が行ったのは、虐殺だった。

 何十人もの人間を殺し、腹の中からあの美しい石を奪った。血と肉の欠片をせせらぎに洗い落とし、王の前に差し出したのだ。見返りに誉れを得る為に。

 その誉れは何の為?

 他の者は解らない。けれどティラスが欲しがった栄誉は、あたしのせいではなかっただろうか。

 眩暈と吐き気によろめいて、その場に膝から崩れ落ちた。震える声で、フィニアンに問う。

「この子は? どうして、こんな所にいるの」

 暗い声は、淡々と答える。

「この者達に会ったのは、墓場でした。そうと知らず土から顔を出した石を見付け、持ち帰ろうとしたところを見咎められたのです」

 その石は骨のようなものだから、置いて行けと。それは人の体でできたものだから、持ち帰ってはならないと。

 言われて、ティラスは何を思っただろう。

「争いになり、故意か事故か……もう解りはしませんが、殺してしまった。誰かがその腹に手を入れて、臓腑を引きずり出しました」

 切り刻んで、石を探した。

 後はもう、解らない。殺して殺して殺して、集めた石は何個だろう。幾つかは墓を暴いて拾い上げたが、正確な数は誰も知らない。

 とにかく沢山の老人を殺し、女を殺し、子供を殺した。不思議な事に老人以外、男はついぞ見掛けなかった。

 子供がひとり、腹を裂いても生きていた。

 村の場所くらいは解るだろうと、情報を引き出す為に連れ帰ったのだ。

「言わなかったの」

 フィニアンの話に口を挟んで、少女はひっそりと微笑んだ。

「里の場所は、ぜったい、教えてやらないの」

「……そう。偉いわね」

 あたしは檻の傍に寄り、格子の間から血に固まった頭を撫でる。この小さな頭で、何をどう理解したのだろう。

「あなた達は、きっと誇り高いのね。だから、子供でも勇気があるんだわ」

「氷壁の民はね、神様に言えないことをしてはいけないの。だから……」

 知らずに涙が溢れたが、自分が何を感じていたか、もう何も思い出せない。

 喜怒哀楽のどれでもなく、ただ憎しみだっただろうか。

「ころしてくれる?」

 幼い声で、少女は頼んだ。

「いいわ」

 あたしは、ティラスの事を考えて言った。

「あなた達の秘密を知る人間は、皆必ず殺してあげる」

「白い髪とあかい目は、氷壁の民のしるしなの。だから、のこしちゃいけないの」

 だらりと血の中に落とした手を、ゆるゆると持ち上げてフィニアンに伸ばす。手元のランプに照らされて、彼は悲痛に眼を閉じた。そして、ゆっくりと頷く。

 二人の間には、あたしに見えない何かが通じ合っていたのだと思う。

 フィニアンは檻に近付き、硝子のランプを叩き付けた。油が溢れ、炎が広がる。

「何をするの!」

 生きているのに。少女を外に出そうとするあたしを止めて、彼は必死に訴えた。

「あれはもう、手を尽くしても死ぬでしょう。せめて、望む通りに死なせたい」

 言われて、愕然とした。

 少女が殺して欲しいと言ったのは、自分の事を指していたのだ。

 あたしにはそれさえ解らなかった。

 この騒ぎが伝わる前に、急いで馬を駆って城に戻る。ティラスと彼が率いる小隊は、宴の主役だ。必ず城内にいるだろう。

 宴の席に戻ると、向こうが先にあたしを見付けた。

「マチルダ。どこにいるかと探しましたよ」

「ねえ、ティラス。あなたがしてくれた約束を、覚えている?」

 巧く笑えているか、自信はなかった。だがティラスは疑う事なく、ぱっと顔を輝かせる。

「もちろん」

「そう、よかった。父にお願いする前に、英雄とそのお仲間の皆様は、あたしの為に特別なお話を聞かせて下さるかしら」

「喜んで」

 答え、あたしの手に唇を落とす顔は、希望に溢れたただの男にしか見えなかった。

 程なく小隊の全員が集められ、あたしが用意させた小部屋に入った。小部屋と言っても、二十人は席に着く事ができるだろう。

 テーブルの上にはワインを注いだ杯が十四、用意してある。

「まずは、あなた方の活躍を讃えます」

 ワインを手に取り、高く掲げる。それに倣い、兵士達は掲げた杯に口を付けた。

 それを確かめ、あたしとフィニアンはグラスを置く。飲んではいない。それは毒で満たした杯だから。

 杯の砕ける音が次々に響く。毒を飲んだ者が取り落とした杯だ。燭台が倒れ、テーブルクロスを焦がしながら蝋燭の火が大きく燃えた。

 少なくとも半数は毒に倒れていたが、全てではない。フィニアンが剣を抜き、仲間のはずの残った兵士に切り掛かる。

 だが、相手が多過ぎた。ひとりで倒すのは無理だろう。

 あたしは唇を噛み、秘密の通路に飛び込んだ。武器を備えた場所に走り、黒く塗った弓を取って駆け戻る。

 通路は常人の眼には見えない。それは、内側にいる者の姿も見えないと言う事だ。

 あたしは通路の出口近くで踏み止まり、最後のひとりが倒れるまで弓を引いた。

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