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(十五)

   (十五)


 最終的に、父の威光が及ばなくなってしまったのだろう。王の秘密が漏れると言うのは、そう言う事だ。

 だが事情を聞く内に、それも仕方のない事だったと思う。王はエンジェリック・ブルーの捜索に全ての労力と財を注ぎ、他事には一切の興味を示さなかった。それは民の生活であり、製鉄の保護でもあっただろう。

 ついには、鉄鉱石の輸入さえもやめてしまったのだ。鍛冶屋の並ぶ町外れの光景を思い出す。それは騒音と言う他ない、鎚を振るう音がまるでなかった。

 原料がなければ鉄は打てない。鉄がなければ、何も国外に輸出できない。そうしてやがて決定的に、財政が破綻したのだ。

 この占領が父の芝居ではないかと、実は心の端でまだ少し疑ったところがあった。それは完全に消え去ったが、それでよかったと思う。民を苦しめるだけの王なら、必要ない。

「好きなの持って行けよ」

 フィルはあたし達を食堂の二階に案内し、物置みたいな部屋に通した。昔の服を探す為だ。

 コーディーとあたしは同じ黒髪だったから、弟と言うのは中々説得力があったらしい。弟の為に目立たない服が必要だと言うと、なら昔の服がどこかにあるとフィルが提案してくれた。

「店があるから戻るけど、適当に探してくれ」

「ねえ、お父さんは?」

 食堂は、父親とフィルの二人で遣っていたはずだ。他人がいきなり家捜しなんかしていたら、驚くだろう。

「ああ、死んだよ。隣にオフクロいるけど、ほとんど寝てるから気にするな」

「……解った。ありがとう」

 トントンと階段を降りる背中を見送り、仮初めの弟を残した部屋に戻る。

「合いそう?」

「あっ、入らないでください!」

 戸口から覗き込むと、服ではなくて木箱を持ってきびきびと働くコーディーの姿が眼に入る。どうやら、片付けを始めてしまったらしい。

 まず整理しないと、何がどこにあるか解らない。コーディーはそう主張したが、多分、気になって仕方がないのだろう。

 手伝おうと思ったら、彼は頑としてそれを許さなかった。やれやれと入り口に腰を下ろし、雑然と広がった荷物達が次々に片付けられて行くのを眺める。

 しばらくすると、慌てた足音が階段を駆け上がって来た。コーディーがはっと驚いて、急いであたしを背中に隠す。

「お前ら、何したんだ!」

 ドカドカと入って来たのは家主のフィルで、あたしを庇う後ろ姿は明らかに力を抜いた。しかし乱入した本人はドアを閉めると、緊張した様子で声を潜める。

「客の話じゃ、リシェイドの軍が人を探してるんだと」

「あら」

 身に覚えのある話に、あたしは隣と顔を見合す。

「で、探してるのが黒髪の二人連れ。特に黒髪で、グレーの眼をした三十女を探してるそうだ」

「やだ。仕事速いわねえ」

「マ……、アン!」

 コーディーが危なっかしく戒めたが、フィルはすでに頭を抱えて屈み込んでいた。

「やっぱお前らかよー!」

 そうとは知らず、手配犯を家に上げてしまった食堂の主人。心中察して余りある。

 他人事のように気の毒になってしまったが、正直、こんな状況は想定していなかった。

 あたしを逃がすなら手配するのは致命的だし、密かに捕らえるにも邪魔でしかない。敵か味方か解らなくなってしまったが、どちらにしろワイルダーが止めるはずだと思っていたのだ。

「困ったわね。外歩けなくなっちゃった」

「悠長な事を……」

「いいか、絶対ここから出るなよ。窓にも近付くな。いいな?」

 焦ったように言いながら部屋を横切り、硝子のない窓にカーテンを引いた。

「フィル」

 振り返って、彼は驚いたように眼を開いた。呼んだあたしが、眉を顰めていたせいだろう。

 確かに、ここに留まるしか道はない。放り出されても、軍に突き出されても、結果は同じだ。だが、あたし達をここに置くと言う意味が、本当に解っているのだろうか。

「それと知って匿えば、言い訳は通らないわよ」

「じゃ、聞いてない事にする」

 それで通用するのだろうか。あたしとコーディーは揃って首を傾げたが、その間にフィルはさっさと部屋を出て行ってしまった。ドアを閉じる直前に、「大人しくしてろ!」と念を押すのを忘れずに。

「……信用して、いいのでしょうか」

 部屋の片付けを再開して、コーディーがぽつりと言った。

「さあね」

「さぁって……」

「でも、アイディームの民は誇り高いわ」

 アイディームは鉄鋼産業の国だ。その為に、自分達こそが国を支えていると言う自負がある。誇りある者は、自らに恥じる行いはしない。今は、それを信じる他になかった。

 けれども。

 信頼に応えるのも人間なら、信頼を裏切るのも人間なのだ。

 ふと、コーディーが顔を上げた。やっと見付け出した古着の中から、着られそうなものを選んでいる最中だ。持っていた服を投げ出して、風に揺れるカーテンの隙間から外を窺う。

 息を飲むのが見ていて解った。

「気付かれたようです」

「そう」

 驚きはしなかったが、黒いものが胸に落ちて広がった。失望と言うべきだろう。

 コーディーの隣から通りを見下ろすと、鎧を付けたリシェイドの兵士が見える。確認できる範囲では三、四人程しかいないようだ。すぐに踏み込んで来ないのは、援軍を待っている為だろうか。

 しかしそれより妙なのは、肩のショールを胸元で掻き合せた気弱げな婦人が、その兵士達と連れ立っているように見える事だ。

 と、あたし達の足の下からフィルが飛び出し、婦人に向けて怒鳴り付けた。

「何考えてんだ、オフクロ!」

 すぐに婦人が悲鳴を上げる。兵士のひとりが、フィルを殴り倒したのだ。これ以上騒がれる前に手を打ったのだろう。

 だがあたしとコーディーは、何とも言えない表情を浮かべてお互いの顔を見た。

 幼さの残る横顔が、ボソリと零す。

「これはちょっと、責められませんねぇ」

「そうねえ。お母様も、心配だったんでしょうねえ」

 フィルの母親は、隣の部屋で寝ていたはずだ。それなら、あたし達の会話が聞こえていたのかも知れない。

 息子が、悪い知り合いに騙されているとでも思ったのだろう。不安の余りにベッドを抜け出し、自ら情報をもたらす事で安全を買ったと言うところか。

 冷静に考えれば進退極まった状況だったが、何だか気が抜けてしまった。どこかのんびりとしたあたし達の会話に、誰かがクツクツと喉を鳴らす。

 はっと振り返った視界の全てに、黒い影が広がった。

 これは知ってる。

 絶望しか教えない、真の闇だ。

 まるで悪い夢でも見ているように、昨夜の光景が目前に甦る。黒い影。黒いマントに身を包み、フードを目深に被った二人の人影。

 それは、城で出会った侵入者達に違いなかった。

 その証拠にコーディーが震える手であたしを掴んで、窓のほうへとジリジリ下がる。痛い程に掴まれた腕から、恐れと警戒が伝染しそうだ。

 黒尽くめの片割れが、マントの中から長剣を抜く。それと同時に、もうひとりが何げない様子でこちらに歩いた。

 人と言うものは……これから誰かを殺すはめになるだろうと言う時に、人間はこんなにも平静でいられるのか。

 近付く男の黒いマントが足の運びにひらりと揺れて、あたし達は押されるように一歩下がった。

 刹那。その隙間に、人が上から落ちて来た。

 目の前に、突然に。どうやって? 直前に、音がした。木を裂くような、タイルをめちゃくちゃに割るような。きっと、そのどちらも正解だった。男達は、建物の屋根を破って入り込んで来たからだ。

 フィルの家には屋根裏がない。二階の天井には屋根を支える太い梁が走っていて、今は中々の穴がそこに開いて青い空を覗かせている。

 だから突然飛び込んで来た二人の男は相当の高さを落ちたはずだが、いやに軽々と着地して、間髪入れずに黒い人影に突進した。頭に巻いた揃いの布が、素早い動きに翻る。

「姫様、こちらへ」

 反射的に、ぎくりと体が強張った。

 声は背後から聞こえたからだ。だがあたしとコーディーは部屋の端に背中を着けて、これ以上は後がない。

「どうか」

 窓だ。硝子のない窓に外から取り付き、男がこちらに片手を伸べる。間近で見たその姿に、息を飲んだ。

 後にも先にも、十年前の一度だけだ。

 ただ一度あの夜に、眼にした姿がそこにある。

 仲間と同じく頭に固く布を巻き、髪を隠してしまっている。けれども眉や睫毛は色を持たず、瞳はまるで燃えるような緋色だった。

 頭に巻いた布を取れば、きっと見事な銀髪がその下に隠れているだろう。

「コーディー、行きましょう」

「しかし、その者が信用できるとは」

 戸惑いながら不安を口にする。それにあたしは薄く笑った。もしかすると、唇が引き攣っただけに見えたかも知れない。

 ある意味で彼等の出現は、黒尽くめの男達よりもあたしを緊張させた。

 緋色の瞳、青みを帯びた凍て付く銀髪。

 それは紛れもなく、氷壁の民の証だった。

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