表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/24

(十)

   (十)


 愚かな男だと思った。

 グレンは恐らく、ヴィンセントの命を狙っているのだと考えていたからだ。

 けれども殺しに来たのがあたしなら、それは悪くない計略だった。

 この侵略があの石を目的とするのなら、その正体を知る唯一の人間が消えればどう?

 意味がなくなりはしないだろうか。

 あたしの死と共に、エンジェリック・ブルーを今度こそ葬る事はできないだろうか。

「クライヴ!」

 鋭い声が、その名を呼ぶ事で端的に命じた。

 視界一杯に赤い色が広がって、それは目の前に背を向けて立つ。あたしと、剣を振るうグレンとの間に割って入ったのだ。全身の血が、一瞬の内に冷えるのを感じる。これではまるで、あたしを守っているようではないか。

 それとほぼ同時に背後から引かれ、あたしはヴィンセントの胸にぶつかった。

 剣の交わる音がする。

 駄目だ。

 グレンの鉄剣、それも鋼と打ち合せているクライヴの剣は、明らかに青銅。交わるごとに刃毀れし、今にも折れそうに悲鳴を上げる。これではもたない。

 人には何かしら取り柄と言うものがあるらしく、グレンの太刀筋は見事と言う他にない。クライヴは護衛だ。それも北限の獅子を守る為の。だから勿論、剣の腕は確かだ。しかし二十年も野にあって、否応なく磨かれたグレンの剣は、ただただ強い。

 あたしを自分の陰に押し遣って、ヴィンセントもまた剣を抜いて備えた。

 カシュ、と。

 異質の音が妙に静かに耳を打つ。

 剣の交わる音がぱたりと止んで、剣先が石の床を打って響く。クライヴの剣だ。しかし彼はまだ、手にしっかりと剣の柄を握っている。それは剣刃の中程から、すぱりと二つに分たれていた。

 折られたのですらない。さっきの音は、鋼の剣がそのしなやかな鋭利さで青銅を二つに切り分けた音だった。

 護衛の喉を捉えて空を裂く切っ先を、一足飛びに駆け付けたヴィンセントの剣が払う。守るべき相手に庇われて、クライヴは悔しげな歯噛みを隠さずに二人から飛び離れた。

 クライヴは若い。恐らくヴィンセントよりも年下だろう。経験の浅い護衛には、強さだけが存在意義だ。その矜持が一瞬で打ち砕かれたのが、痛い程に解った。

 あたしもまた、唇を噛む。明らかにヴィンセントの分が悪い。彼の剣はクライヴと同じく青銅だ。折られるのならまだしも、グレンはこれを切り取ってしまう。そうなれば激しく打ち合えないだけでなく、剣刃を力で押し合う鍔迫り合いさえ避けなくてはならなかった。

 これは実力がどうと言う話ではない。武器の格が違い過ぎるのだ。

 敵に劣らぬ武器が必要だ。

 例えば、鋼の。

 思った時には、体が動いていた。はっとしたように、クライヴの手がこちらに伸びる。止める為だ。それをよけ、二本の剣が閃く横を身を低くして擦り抜ける。そしてあたしは廊下の端、グレンが現れた影の中に飛び込んだ。

 あたしが何をしたか、正確に理解したのはグレンだけだったはずだ。彼は受け継いだ王族の血の為に、王城の秘密を承知していた。

 飛び込んだ影の先は、細い通路だ。たっぷり布を使ったドレス程ではないが、広がったスカートの裾が左右の壁に触れて音を立てる。本当に、人ひとり通れる程度の幅しかない。

 これは人知れず城内に張り巡らされ、どこにでも行く事ができた。金貨を詰め込んだ宝物庫にも、王が眠る寝室にも。ただしこの秘密の通路が使えるのは、王の血筋の者だけだ。

 窓のない通路だが、明かりは要らない。通路の石壁は組み方に工夫があって、石と石を微妙にずらす事でそうと知れずに外の光を取り込んでいるのだ。

 あたしは急いで通路を駆ける。

 突き当たりを左に行くと、すぐに左右の幅が膨らんだ小部屋のような場所に出る。その壁には剣や弓が所狭しと、飾るように掛けられていた。

 その中から、ヴィンセントやクライヴに合いそうな剣を取る。腕の長さを考えて、ヴィンセントには少し長めのものを選んだ。

 剣を手に急いで戻ろうとしたあたしの眼に、漆黒に塗った弓が留まる。壁に掛かったそれに指先を這わせ、弓弦を弾く。と、それは脆くぶつりと切れた。

 踵を返し、元の道を駆け戻る。

「ヴィンセント!」

 通路から飛び出すなり、呼んで手の中の剣を投げた。はっとしたように、彼は鉄剣を受け止める。

 長くは待たせていないはずだが、剣を打ち振るっていればそうなるのだろう。剣先を介して睨み合う二人は、その緊張を示すようにびっしりと汗をかいていた。

 グレンの横顔が、怒声を放つ。

「お前は……どこまで祖国を裏切るつもりだ!」

 戻ったあたしを、泣きそうな顔で待ち受けたコーディーが抱き締めた。解ってしまっただろうか。顔に出したつもりはないが、グレンの叱責はさすがに痛い。

 だが、その通りだ。敵将に武器を渡す事は、背信以外の何者でもない。

 コーディーをくっつけたまま、あたしはもう一本の剣でクライヴをつつく。

「あげるわ」

 この剣で、主を守りなさい。そう言うつもりだったが、少し遅かった。

 高い音。鋼の爆ぜる音だ。鋼はしなやかで粘りのある特性故に、小さな爆発を起したように衝撃を伝えて震えながら折れる。

 取って返す白刃一閃。ヴィンセントの剣が、グレンの胴を正面から裂いた。

 背後で、男達が悲鳴めいて呻く。すでに拘束された、彼の仲間達だろう。

 剣を帯びた兵士が数人駆け寄って、膝を突いたグレンを囲む。取り落とした剣を蹴って離し、後ろ手に縄を掛けた。腹を真横に切られてはいるが、死ぬような傷ではないのだ。

「浅いわね」

「戦い慣れているらしい。咄嗟に身を引いたのでしょう」

 確かに切られる瞬間後ろに下れば、傷は浅くて済む。頭で解っても、実際それができるかどうかは別の話だが。

 あたしの声に、ヴィンセントは自ら手にした剣刃を見詰めつつ応じた。

 しばらくしてやっとこちらに向けられた顔は戸惑うふうで、少し困っていたのかも知れない。

「見事な剣です」

「そりゃあ、王の為に鍛えられた鋼だもの」

 言うと、いよいよ困り果てた顔になった。

「……裏切り者め」

 石畳に引き倒された格好で、グレンが忌々しげにあたしを見た。その傍に屈み、顔を覗き込む。

「違うわ、グレン。裏切る事ができるのは、信頼された者だけだもの。あなたは、あたしを信じたりはしてないでしょう?」

「相変わらず小賢しい。悪辣なるを隠して王に取り入ったように、今度は敵方に擦り寄っておるのか」

「久しぶりに会ったのに、他に何か言う事はないの? お互い、嫌な年の取り方しちゃったみたいね」

「一緒にするな! 我は祖国の未来を憂えればこそ、こうして立ち上がったのだ!」

「そうね」

 同意を示すと、本人だけでなく周囲の人間は全て驚いたように眼を見張った。

「あたしを消そうとした事だけは、褒めてあげる」

「マチルダ! 滅多な事を」

「だって、そうだわ」

 屈んだまま、ヴィンセントを見上げる。

「あたしが死ねば、リシェイドは目的の半分を失うもの。もう半分は製鉄だけど、これはアイディームの人間あっての技術でしょう。そうなってしまえば、占領軍が民を虐げる事はあり得ないはず」

「……いいえ。貴方がいようがいまいが、アイディームの国土はもはや我が国の財産です。そこに住まう人間を、虐げはしない」

「そう願うわ」

 固い表情で言うヴィンセントに、あたしは薄く笑って見せる。

 それは、国家としての方針だろうか。それとも、ヴィンセントだけの方針だろうか。あたしには、疑問だった。

 怪訝、と言うべきだろうか。

 床の上に視線を戻すと、グレンは不審そうに眉を歪めてこちらを見ていた。この顔は、まさか。

「あらっ?」

 あたしは口を指先で押える。予想外の事で、思わず大きな声になった。

「何を言ってる? 我の狙いは獅子の首だ。国の頭を討ち取った者が、次の玉座に着くものと決っておるからな。お前はそこにおったから、ついでだ」

 四十にもなろうかと言う男が、こんな事でよく今まで生きて来られたものだと思う。

「ほんっと馬鹿ね!」

 侮蔑ではなく、これは怒りだ。期待した自分に腹が立つ。

「ヴィンセントはね、総督なのよ。解る? 軍人なの。王じゃないの。代りがいるの。総督の首を取っても、後任の軍人が引き継ぐだけなの!」

 もっと罵りたいところだが、ぐっと堪えて立ち上がる。そして拘束されたグレンの仲間達に向かって怒鳴った。

「この人に命を預けるなんて、どうかしてるわよ!」

 反論はなかった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ