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「地味なドレスはいらない」と婚約破棄された私、翌日には隣国の王立歌劇団にスカウトされました

作者: AI之助
掲載日:2026/09/18

「ヴィオラ、貴様との婚約を破棄し、我が劇団からの追放を言い渡す!」


 宮廷劇場の楽屋。その中央で、次期公爵であり第一専属劇団の劇団長でもあるエドワルドの声が響き渡った。

 彼の傍らには、派手な刺繍とレースを身にまとった新人女優、セシリアが寄り添っている。彼女は勝ち誇った笑みを浮かべ、上目遣いでエドワルドの腕に体を寄せていた。


 今夜は、国王をはじめ王室高官や主要貴族が一堂に会する新作歌劇の初日公演だ。開演まで、残された時間は二時間しかなかった。


 最高責任者であり婚約者でもある人物から、本番直前にこんな宣告を受けるとは。だが、私の心は動揺しなかった。代わりに浮かんだのは、「なぜこの男は、本番二時間前に現場を壊すような真似をするのか」という冷めた疑問だった。


「急なお申し出ですね。理由をお聞きしても?」


 私が静かに尋ねると、エドワルドは鼻で笑った。


「わからないのか? 無能め。理由は三つある。第一に、お前の作る衣装は地味で華がない。セシリアのような主役に相応しいのは、宝石を惜しみなく散りばめた華やかなドレスだ。お前の仕立てた布切れなど、見ているだけで気が滅入る」


「そうですわ、ヴィオラ様」


 セシリアが甲高い声で追従する。


「第二に、お前は裏でコソコソ針を動かしているだけで、何も生み出していない。劇団の功績にただ乗りしているだけの寄生虫だ。そして第三に――地味で愛想のないお前は、次期公爵夫人としても、我が王立劇団の顔としても失格だ」


 エドワルドの罵声は楽屋の外まで聞こえていたが、廊下に集まった劇団員やスタッフは口を閉ざし、誰も助けに入ろうとはしなかった。公爵家の権力を背景に劇場内で絶対的な力を持つエドワルドに逆らえば、ただでは済まない。それを誰もが知っていた。


 私は幼い頃からこの宮廷劇場に人生を捧げてきた。私の家系は代々、王室の舞台を支える仕立て職人の家柄で、私自身も幼少期から針と糸を持ち、舞台衣装の縫製に打ち込んできた。エドワルドとの婚約も、公爵家の権力と我が家の衣装技術を結びつけ、王立劇団の繁栄を確かなものにするための政略的な取り決めだった。


 私にとってエドワルドは婚約者であると同時に、雇い主であり、この劇場の絶対的な支配者だった。彼の命令に誰も逆らえない。私がどれだけ裏方として努力を重ね、夜を徹して衣装を仕立てても、彼の一言ですべてが否定される。そういう構図だった。


「……私の衣装には、舞台で機能するための理由があります。装飾を抑えているのは――」


 私が説明しようとすると、セシリアが遮り、手を叩いて笑った。


「言い訳はおやめなさいな、ヴィオラ様! 貴女が夜な夜な衣装部屋にこもって縫っていた、あの地味なドレスなら、もうゴミ捨て場に放り込ませていただきましたわ! あんな古臭い衣装、舞台に上げる価値もありませんもの。今夜は、私が懇意にしている一流の仕立て屋に頼んで作らせた、本物の宝石をちりばめたドレスを着ますの」


「セシリアの言う通りだ」


 エドワルドは満足げに頷き、ポケットから書類を取り出すと、目の前で破り捨てた。


「お前のような女が作った服など、我が劇団には要らん。お前がうろついているだけで劇場の空気が悪くなる。契約は破棄だ。今すぐ出て行け!」


 セシリアが頼んだという仕立て屋は、社交界で表面的な派手さだけを売りにし、縫製の技術も構造の理解もない商売人だということを、私は知っていた。そして、彼女が捨てさせた「地味なドレス」に、どれほどの計算と処置が施されていたかも。


 だが、目の前の二人の身勝手な態度、私という人間とその技術への軽視を前に、胸の中の情熱は急速に冷えていった。怒りや悲しみを通り越して、深い呆れと諦めが広がっていく。どれだけ尽くしても、この男には理解されないのだと。


「……左様ですか。分かりました。すぐに荷物をまとめます」


「フン、なんだその言い草は。少しは泣いて許しを乞うたらどうだ? 次期公爵夫人の座と、最高峰の劇団での地位を失うのだぞ」


 エドワルドは自尊心を満たされたように唇を歪めた。


「いいえ。今この瞬間をもって、婚約破棄と劇団からの追放を謹んでお受けいたします」


 私は背筋を正し、静かに頭を下げた。


 叫びもせず、取り乱すこともない私の態度に、エドワルドとセシリアは拍子抜けしたような、不機嫌な顔をした。


「ちっ、かわい気のない女だ。本当にお前は機械のようだな。だから誰にも愛されないのだ」


 エドワルドは私の足元に置かれていた使い古しの道具箱を、爪先で乱暴に蹴った。

 蓋が開き、中から長年使ってきた銀の裁ちばさみや、魔法糸のボビン、丁寧に手入れした針入れが床に転がり出た。


「あ……」


 私がしゃがんで拾おうとすると、セシリアが意地の悪い笑みを浮かべ、ヒールで裁ちばさみの刃を踏みつけた。金属の擦れる嫌な音が響く。


「あら嫌だ、ごめんなさいませ。地味すぎて足元が見えませんでしたわ。でも、追放される職人の道具なんて、壊れていても関係ありませんわね。道具も持ち主と同じで、ゴミ箱がお似合いですこと」


 セシリアはヒールで刃を擦りながら笑った。楽屋の入り口で見ていた若手スタッフの何人かが息を飲んだが、エドワルドの視線を受けるとすぐに目を逸らし、黙り込んだ。誰も手を差し伸べてはくれなかった。


 私は無言のまま、踏みにじられたはさみを拾い、布で丁寧に拭った。刃先がわずかに歪んでいる。長年連れ添った道具を傷つけられることが、職人にとってどれほどの屈辱か、この二人は知ろうともしない。


「未練がましいぞ! 拾ったらさっさと出て行け! 二度とこの劇場に立ち入ることは許さん。戻ってきたら、近衛兵に突き出すからな」


 エドワルドは腕を組み、見下すような目で私を見た。


「お前のような無能が社交界で生きていけると思うなよ。公爵家の名を騙ることも禁止する。明日からは路地裏で己の無力を噛み締めるがいい」


「ええ、失礼いたします」


 私は道具箱を抱え、静かに立ち上がった。そしてドアに手をかけたところで、一度だけ振り返った。


「……ただ、エドワルド様。セシリア様。今夜の舞台の『動き』には、くれぐれもお気をつけくださいね」


 それが、私が彼らに残した最後の言葉だった。


「ハッ! 負け惜しみを! 踊りもできない裏方風情が、主役に意見するとはな! さっさと失せろ!」


 罵声を背に受けながら、私は一人、静まり返った劇場の裏通路を歩き去った。


 劇場を出た私は、冷たい夕空の下で小さく息を吐いた。


 二人は知らなかった。いや、知ろうともしなかったのだ。私が夜な夜な衣装部屋にこもり、指先を傷だらけにしながら仕立てていたものが、単なる「地味な布切れ」ではなかったということを。


 宮廷劇場の舞台は過酷だ。何十本もの魔導照明が頭上から照射され、舞台上の温度はかなりの高熱になる。さらに今夜の演目は、激しい舞踏とアクロバティックな跳躍が続く高難度の歌劇だった。


 私が仕立てていたドレスには、いくつかの技術が組み込まれていた。

 一つ目は、王室秘伝の魔法糸を使った補強縫製。激しい舞踏や舞台仕掛けの摩耗に耐え、演者がどれだけ動いても縫い目を保つための構造だ。

 二つ目は、人体の骨格と筋肉の動きを踏まえた重量分散の設計。重い布地でも演者の腰や肩に負担をかけず、軽やかに動けるようにするための工夫だ。

 三つ目は、夜な夜な施していた防熱・防劣化の処理。照明の熱と光から生地を守り、繊維の劣化を防ぐための加工だった。


 これらはすべて、王室総務庁と私個人が直接結んだ「特命衣装技師契約」に基づく技術で、私以外には再現できないものだった。セシリアが捨てたあのドレスこそ、激しい旋回と跳躍に耐えられる唯一の衣装だった。


 一方、彼女が持ち込んだ「宝石を貼り付けただけのドレス」はどうか。補強のない縫い目は重みに耐えられず、防熱処理のない生地は照明の熱ですぐに劣化し、強度を失う。


 私は劇場を離れると、その足で王室総務庁へ向かった。

 窓口で「特命衣装技師契約の即時解除通知書」を提出する。長年私の技術を評価してくれていた老官僚は、書類を見て目を見開いた。


「ヴィオラ殿、これは一体……。公爵家との契約を破棄されるというのですか」


「ええ。エドワルド劇団長より解雇と追放を言い渡されました。それに伴い、私が担っていた技術提供と保守管理をすべて停止いたします」


「なんと……。彼らは、自分たちが何を手放したのか分かっているのか……」


 官僚は頭を抱えたが、私の意志の固さを感じ取り、書類を受理した。これで王立劇場に対する私の技術的な保護はすべて失われた。


 初日公演の開演時刻が近づいていた。

 私は一般客に紛れて変装し、客席の最上階、最も暗い立ち見席に入った。自分が手がけてきた劇場の行く末を、見届けておきたかったからだ。


 場内は満員だった。中央の貴賓席には国王をはじめ国の重鎮たちが並んでいる。エドワルドは開演前の挨拶で、自身の見識と新しい主役セシリアの魅力を得意げに語っていた。


 ベルが鳴り、幕が上がった。


 舞台中央に躍り出たのはセシリアだった。彼女のドレスは一見すると華やかだった。数百個のダイヤモンドとルビーが縫い付けられ、照明を反射して輝いている。観客席から歓声が上がった。エドワルドは舞台袖で満足そうに頷いている。


 だが、私の目は誤魔化せない。

 頭上から照射される魔導照明の熱が、防熱処理のない繊細なシルクを少しずつ焼き、繊維の強度を奪っていくのが見えるようだった。大量の宝石の重みも、無計画に縫われただけの縫い目に負荷をかけている。


 そして――物語が第一幕のクライマックス、主役が激しく旋回しながら跳躍する最大の見せ場に差し掛かった。


 セシリアが体を大きく捻り、舞台中央で旋回した、その瞬間。


 ――ビリッ。


 静まり返った場内に、断裂音が響いた。


 セシリアの顔から血の気が引く。補強のない縫い目が、遠心力と宝石の重みに耐えきれず弾けたのだ。照明熱で脆くなっていた生地も一気に裂けた。


「きゃあっ!?」


 セシリアが悲鳴を上げる。だが旋回の勢いは止まらない。二度目の旋回で、胸元から腰にかけての生地が縦に裂け、重みでドレス全体がずり落ちた。


 下着同然の姿になったセシリアは、舞台の床に転がり、みっともなく倒れ込んだ。散らばった宝石が、舞台上をカタカタと転がっていく。


 観客席から悲鳴とどよめきが上がった。


「な、なんだこれは!? おい、幕を降ろせ! すぐに降ろすんだ!」


 舞台袖からエドワルドが叫んだ。だが、突然の事態にスタッフたちはパニックに陥り、幕の操作を間違え、照明がついたまま失態を晒し続けることになった。


 彼らが誇っていた「華やかなドレス」は、王室と観客の前で、無残な姿へと変わり果てたのだ。


 顔を真っ赤にしたエドワルドは、転がるセシリアを怒鳴りつけながら、なんとか事態を収めようと舞台に飛び出した。


「申し訳ございません、国王陛下! これは演出上の事故……いや、前の技師ヴィオラの嫌がらせに違いありません! あの女が悪いドレスを仕込み、我が劇団を陥れようと――」


 エドワルドは、追放した私にすべての責任をなすりつけようとした。自分は被害者であり、これは追放した女の陰謀だと言えば、公爵家の権力で押し切れると考えたのだろう。


 だが、その瞬間。

 貴賓席から国王が静かに立ち上がった。


「黙れ、エドワルド」


 国王の声が劇場に響き渡り、騒然としていた場内が一瞬で静まった。


「陛下! お聞きください、あのヴィオラという女が――」


「見苦しいぞ、愚か者め」


 国王は冷ややかな視線でエドワルドを見た。


「お前は何も知らんのだな。宮廷劇場の衣装技師契約は、我が王室が伝統ある技術保持者であるヴィオラ個人と直接結んでいた特命契約だ。彼女の縫製技術、防熱処理、重量計算があってこそ、我が国の歌劇は世界に誇る美しさを保っていたのだ」


 エドワルドが凍りつく。「え……特命……契約……?」


「今日、開演前にヴィオラ殿から契約解除の通知が届いた時、余は胸騒ぎを覚えた。彼女を追い出し、ろくな技術もない者に衣装を作らせたのはお前だな? 我が国の誇りである初日公演をこのような醜態で汚し、あまつさえ自らの無能を棚に上げて彼女に責任を擦り付けるとは」


 国王の言葉に、エドワルドの顔から血の気が引いていった。

 彼が「コソコソ布を切っているだけの無能」と見下していた相手こそ、王室が直々に認めた唯一の技術者であり、劇団を支えてきた要だったという事実に、彼はこの瞬間初めて気づいたのだ。


「我が国の恥晒しめ」


 国王の低い声が、静まり返った劇場に響いた。


「これほどの非礼と無能、到底許し難い。直ちにこの劇団の王室公認を取り消す。同時に、今夜の公演中止に伴う全観客への補償、および王室の尊厳を傷つけた罪として、公爵家には巨額の賠償金を科す」


「ひ、陛下!? お待ちください! 賠償金など……我が家の財政が……!」


 エドワルドが膝から崩れ落ち、床に頭をこすりつけた。だが国王は一顧だにせず、背を向けて去った。


 王室からの出資を打ち切られ、莫大な賠償金を科された公爵家は、一夜にして破産の危機に瀕した。公爵当主(エドワルドの父)は激怒し、家名を汚したエドワルドをその場で廃嫡した。次期公爵としての未来は完全に潰えた。


 社交界で影響力を持つ貴族たちも、次々と公爵家を見限った。

「無能な息子のせいで巻き込まれたくない」と、これまでエドワルドを持ち上げていた劇団員やスタッフも、給料の未払いを恐れて道具を持って逃げ出した。セシリアもまた、「王室の舞台を台無しにした女」として社交界から白眼視され、どこの劇団からも居場所を失った。


 エドワルドが私を追い詰めるために使った「無能」「追放」「泥を塗った」という言葉のすべてが、何倍もの重みとなって、彼自身とセシリアの首を絞めることになった。


 事態が急速に収束していく中、私はすでに手配していた馬車に乗り、一人国境を越えていた。


 私が最後に残した「動きにお気をつけください」という言葉は、嫌がらせでも脅しでもなかった。職人としての、最後の警告だった。もし彼らが少しでも舞台技術に関心を持ち、私の言葉に耳を傾けて衣装を点検していれば、あの惨事は防げたはずだ。


 だが彼らは自尊心と偏見からその警告を「負け惜しみ」と切り捨て、確かめようともしなかった。彼らの誤算は、衣装が単なる表面的な装飾ではなく、舞台芸術を成立させるための緻密な計算と技術の結晶であることを理解していなかった点にある。


 そして、私にはすでに新しい道が開けていた。

 王室総務庁に契約解除を出した直後、私の技術を評価してくれていた隣国の帝国王立歌劇団の支配人から、密かに招聘の打診を受けていたのだ。


「ヴィオラ様の仕立てる衣装は、見た目の美しさはもちろん、何より演者が踊りやすく、舞台の上で最も輝いて見える」


 帝国の支配人は、私を丁重に迎え入れてくれた。提示された報酬は前の劇場の三倍。私専用の仕立て部屋と、熱心な弟子たちも用意されていた。


 数ヶ月後。

 帝国王立歌劇団の仕立て部屋で、私は新作歌劇のための衣装に針を通していた。


 窓から差し込む光の中、弟子たちが賑やかに布地を運んでいる。

「ヴィオラ先生! この肩の補強縫製、これで角度は合っていますでしょうか?」

「ええ、大丈夫よ。これなら明日の激しいダンスでも、動きを邪魔しないわ」


 私の技術を正当に評価し、尊重してくれる仲間たち。地味だと笑われることも、裏方だからと蔑まれることもない。誇りを持って仕事に向き合える、穏やかな日々がここにはあった。


 そんなある日の夕方。

 楽屋口の通用門に、浮浪者のような男が立っていると、ガードマンから報告があった。


 様子を見に行くと、そこにいたのは、擦り切れた服を着て、痩せこけた顔のエドワルドだった。廃嫡され、借金取りから逃げ回るうちに、かつての面影は消えていた。セシリアにも去られ、路頭に迷った末に、私の噂を聞きつけてここまで来たらしい。


 私の姿を見ると、エドワルドは地面に膝をつき、額を擦り付けた。


「ヴィオラ! ヴィオラ、頼む! 戻ってきてくれ!」


 エドワルドは声を上げて泣いた。


「お前のあの補強縫製と防熱処理がなければ、うちの劇団はもう立ち行かないんだ! 誰も衣装を作れない! セシリアとは完全に縁を切った! 俺が悪かった、お前が正しかったんだ! 戻ってきてくれさえすれば、今度こそお前を大事にするから!」


 地面に頭をこすりつけ、必死に許しを乞う元婚約者。

 かつて私を見下し、道具を踏みにじり、誇りをあざ笑った男のこの姿を、私はただ冷めた目で見ていた。


 怒りも、憐れみも湧いてこなかった。彼のために使う感情は、もう私の中に残っていない。


「お断りいたします」


 私は静かに、はっきりと告げた。


「私はもう、この帝国王立歌劇団の専属技師です。ここには、私の技術を必要とし、高め合える仲間がいます」


「そんな……頼む、ヴィオラ! 助けてくれ! このままじゃ俺は……!」


 縋りつこうと伸ばされた手をかわし、私はゆっくりと背を向けた。


「あなた方が捨てた私の技術の価値を、今さら知ったところで――もう遅いですよ」


 背後で崩れ落ち、泣き叫ぶエドワルドの声を残し、私は振り返ることなく、光に満ちた舞台裏へと歩みを進めた。


 手にした道具箱の中で、あの日研ぎ直した銀の裁ちばさみが、夕日を受けて静かに光っていた。


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