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月下美人

作者: 甘津ぱい
掲載日:2026/06/14

ベル・サマセットという令嬢は面長で細い目に細くちんまりとした鼻、顎が少し張っている。

唇だけは艶めく薄紅の一輪の薔薇のようで⋯まあかなり魅力的ではあるが。

サマセット伯爵家の令嬢で我家の遠縁の娘であるらしい。

母の従姉妹で親友でもあるという彼女の母親とともに紹介された。

「バーバラ小母様と呼んでね。まあ⋯お父様そっくりにお育ちになって!将来が楽しみな素晴らしい美少年だわ!」と叫び、母に窘められた彼女の母親は可愛らしい感じのそこそこ美人で⋯ではベルは父親似なのだろうか。申し訳ないが激しく名前負けした令嬢だな、と思った。

少し話もしたがまぁ彼女の印象と言えばそれだけだった。

それが学園の中等部に入学した頃の我家の夕食会での話で、高等部に上がってそのベル・サマセットが外部入学して来た時も変わってないなと思っただけだった。

バートン伯爵家それが我家。

父はルーファス・バートン伯爵。文句のつけようがない人格者で美丈夫。社交界での女性人気ダントツのナンバーワンだ。

もっとも父は母を溺愛していて他の女性には目もくれない、勿体ない話である。

母はグレイス・バートン。バートン家の長女で父は入り婿である。

母もかなり美しい女性だとは思うが、あの誰もが見惚れる父の愛を独占出来ている所は尊敬に値する。

だって男女の愛は移ろいやすいものだろ⋯特に男は。

だって世の中には可愛いい女の子がいっぱいで目移りするよね⋯特に男は。

僕の名前はクロード・バートン。

バートン伯爵家の長男で嫡男だ。

嫡男は人気が高いらしく幼い頃から縁談が引きも切らなかった。

だが母が「〝まあいいか〟くらいの気持ちでお相手を決めてはダメ、後々苦労するわ。この方だ!と心が動く方が現れるのを待ちなさい」と言ったので女の子を紹介される度に目移りする僕の良い言い訳にもなってなかなか婚約が決まらないままこの年を迎えてしまった。

今度の誕生日でもう18歳だ。

社交界や学園での男友達にはもう大抵、婚約者がいる。

お陰で周りの僕の評判が酷い。容姿が父にそっくりなのも災いし“遊び好きな色男の女誑し”女の子を口説いた事も無いし付き合った事も無い、まだ童貞チェリーなのに⋯。


「疲れない⋯?」ベルに聞かれた。「え、何が?」

「クロードは見てるこっちが疲れるくらい女子に甘いからさ。誰でもお姫様なんだな⋯」

「女性は常に優しく扱うもんだろ」

ベルは呆れたような顔で言う。

「だから誤解されるんだ。さっきの令嬢も婚約者がいるのにあなたを見て赤くなってた」

「何で?か弱い女の子なのに重そうな教材運んでたから半分手伝っただけじゃないか」言い返すとベルが僕と自分が抱えた数冊の本を交互に見てから言った。

「じゃこれは?半分手伝う気にならないのか?」

僕は思わず吹き出した。「何でだよ、お前がか弱い女子に見えた事なんかねーわ!」

「⋯殺すぞ」鋭い目で僕を睨みながら言うのが可笑しくて更に笑った。

ベルは本当に良い奴だ。目付きも口も悪くて、おまけに愛想も悪いが案外優しくて面倒見がいい。

さっぱりしてて付き合い安い最高の友達だ。

なんせ母親同士も親友なのだ、高等部に入って来て同じクラスになってからずっと親友扱いしている。

彼女の家は領地が遠方で両親もあまり王都に出て来ないようでタウンハウスを所有していない。学園の女子寮暮らしだ。

だからたまに我家に夕食を食べに来たりしてうちの弟達とも仲が良く両親にも可愛がられている。

「クロードもういい加減に婚約者決めろよ。もうベルでいいじゃん」

可愛いワンコ系の生意気盛りの下の弟トビアスが言った。

「馬鹿いうな。僕は面食いなんだ」と言うと

「⋯ふーん。でも彼女いいと思うけど⋯綺麗だよ。クールビューティ系で」

上の弟のオーランドが珍しく口を開いた。

「クールビューティはお前だ⋯!」

オーランドは母に良く似た上品な美貌の秀才だ。無口で愛想が悪い。

だが冷たい美貌の眼鏡越しに睨まれるのが堪らないと令嬢が騒いでいるのは知っていた。

「とにかくベルは無い無い」

「ふーん」言いながらトビアスはキャンディを口に放り込む。

オーランドは無言で、読んでいた本にまた目を戻した。

何だよ、結局興味無いくせにさ⋯

でも婚約かあ⋯まあそろそろ決めないと本当にヤバいかも知れない。

もう彼女でいいかなあ⋯今は彼女しか思い付かない。でも絶対彼女じゃないと⋯とまでは思わないんだよなあ。


「ペネロープ・ブレア?」

「うん⋯彼女どう思う?同じ女子目線でさ」

翌日学園でベルに相談してみたら胡散臭そうな目で睨まれた。

ここは学園の温室、ベルは園芸クラブに入っている植物好きだ。

クラブ員は少なく忙しいらしい、放課後は大抵温室にいる。

「あなたは女性を身分と顔で選ぶのか?」

何だよそれ⋯「彼女美人なだけじゃなく、優しくて良い子だよ」少し上目線になって言った。

温室内のテーブルセットの椅子に向かい合って二人で掛けていたのにベルが急に立ち上がってスプレーボトルで鉢植えに薬剤?的な何かを散布し始めたからだ。

「あなたがそう思うなら良いんじゃないの、美しい公爵令嬢だし間違いないでしょ」屈み込んで鉢植えに目をやりながら言う。

「⋯やな言い方するな」ベルは少し黙った、そしてこちらを振り向いて言った。「すまないそんな気は無かったんだ。でも彼女大丈夫なの?父上は宰相で王家とも親戚だし、学園一の美女なんだし、あなたが相手にされるの?」

「う⋯ん。実は昔⋯キスした事ある⋯」テレながら言った。

ちょうどベルと初めて会ったのと同じ頃、母に連れられて行った王宮の婦人ばかりのお茶会で会ったのだ。

彼女も母親に連れて来られたのだろう。

退屈そうにしていたので散歩に誘ったのだ。

王宮の庭には丁度庭師が居てねだると何輪かを摘んでくれた。

彼女にプレゼントすると「ありがとう⋯私の王子様」

と言って頬にキスしてくれた。

「僕は調子に乗って冗談のつもりでここにも⋯ってねだったら」と唇を指さした。

「⋯してくれたのか」僕は黙って頷く。

「そう⋯」また鉢植えを見始めた。「⋯じゃ私にグダグダ言ってないで直接求婚してみれば⋯?てか小父様にブレア家に話を持って行ってもらう⋯のか」

葉っぱを指で摘みながら言う。

「いや、本決まりにする前に直接ペネロープ嬢に打診してみるよ」

僕が言うと、また振り向いて薄く笑った。

「何だ、最初からその気なんじゃないか⋯」

「うるさいよ。」と笑って「ところで何だその草?」と聞いた。

さっきからベルがずっと気にしている植木鉢の植物は厚めで濃い緑の葉が何枚も垂れ下がって居るだけの華やかさなどまるで無いただの草に見えた。

「これは月下美人って言うんだ。ここ見て⋯」指差した所を見ると薄紅でイガイガしたちょっと虫みたいな物がぶら下がっている。

「たぶんもうすぐ咲く。綺麗だよ⋯」その葉っぱの方をを見ながら背中で言った。

「ふーん⋯」ちなみに葉っぱだと思ったものは茎なのだと後で知った。


ペネロープ・ブレア公爵令嬢は同じ学園に通っている。

僕が通う王立学園は4年制だ。僕が今3年で1つ年下の彼女は2年の教室にいる。

同じクラスに弟のオーランドも居るので少し気恥ずかしいが昼休みに呼び出してみた。

学園のレストランで向かい合ってから小声で聞いてみた。

「昔、王宮の庭を二人で散歩したの覚えてる?」

ペネロープ嬢は笑った「⋯ええ。クロード」

「じゃ⋯さ。今、何かある?あの、例えば縁談が進んでるとか⋯好きな人が居るとか⋯さ」

ペネロープ嬢は飲んでいたジュースのストローを離して上目遣いで言った。

「それって⋯わたくしがいいえと言えばあなたはどうなさるの?」

美しい瞳と濡れた唇に目が吸い付けられる。

「こ⋯交際を考えてくれないか、その⋯婚約前提で」

俯いて少し間を置いてから「⋯では、帰りにわたくしやしきまで送って頂けるかしら?」

少し考えてから大きく頷いた。オーランドに事情を話して帰りの馬車を譲って貰おう⋯適当に辻馬車でも拾って1人で帰って貰うのだ。放課後はいつもオーランドの図書館通いを待ってやっている、お互い様だ。

もっとも僕もその間は温室に通ってベルと馬鹿話をして時間を潰しているんだが⋯そうだ、ベルにも今日は行かないって伝えなきゃ⋯いや約束してる訳じゃないし⋯いい⋯のか?


ペネロープ嬢も迎えを返したらしい、帰りの馬車に二人きりで向かい合った。

「オーランド様は?」彼女が聞く。え?なぜ?あいつ関係無いだろ⋯

「なぜ?今、僕は君を送って行ってるんだけど⋯」

まずい⋯少し嫌味っぽかったか。

「⋯いえ。いつも御一緒に帰られるから⋯だけですわ」

「そう⋯だね。すまない変な言い方して」

出来るだけ優しげな笑顔と声を心掛けよう。

「ところで⋯昼に言った事、考えて貰えた?急がせる気は無いけど断られるなら早い方が助かるんだけど⋯」

おい!下手くそか!?女子口説いた事無いとコレだよ⋯内心で自分に突っ込みを入れた。

沈黙が訪れる。長い沈黙。⋯我慢出来なくなってまた話し掛けようとした時。

「⋯お受けしてもよろしいわ」小声で彼女が言った。

「でもわたくしももう自由にしていて良い年齢を過ぎましたわ。正式に申し込んて頂けるのなら⋯」

ゴクッ⋯自分が唾を飲み込む音が頭蓋に響いた。

ヤバい⋯そこまでの覚悟がまだ無かった事に今気付く。しかしこちらから言い出しておいて今更逃げ出せないだろ⋯!

「⋯承知しました。⋯帰って父に婚姻の申し込みを願います。でもその前に⋯ひとつお願いがあります」

俯いていた顔を上げた彼女にもう一度聞いた。

「王宮の庭を覚えてらっしゃると⋯?」

「⋯ええ」「あの時の接吻くちづけも⋯」彼女は黙ってまた俯いた。

「今、またもう一度口吻けても⋯?」そう言うと驚いた顔でまた僕を見た。

そこに強引に顔を近付ける。昼休みに見たあの濡れた唇、あれに触れれば決心が付く筈だ。僕は彼女に惹かれたのだ、大丈夫⋯!もっと好きにさせて欲しい。

彼女は逃げなかった。

唇が重なった⋯彼女が目を瞑った。更に深く重ねて舌先を押し入れてみた。

何とも形容出来ないフニャっとしたようなムニュとしたような感触で⋯ああ本当の接吻くちづけってこれで合っているのか?

聞いていた程甘くも気持ち良くも無いが⋯?

ああ、経験が無いってこうゆう事?


書斎で父が僕をじっと見た後机に両肘をつけて組んだ指で額を押さえながら俯いた。

「⋯本気なのか?」「⋯はい」

組んだ指を額からずらし再び僕を見詰めて言った。

「私が君の母上に求婚する為に君の御祖父様にお会いした時は心臓が壊れるかと思う程緊張して気分も高揚したものだが⋯君はその、いつもより沈んで…憂鬱そうにすら見えるんだが⋯」

「⋯⋯父上の気の所為かと⋯」

父は鋭いが今更後には引けない。

キスまでしてしまい、もっと後に引けなくなった。

「お願いします。彼女にはもう直接求婚して了承も得ていますので⋯」

父は溜息を吐いて言った。「分かった。求婚状は用意しておこう⋯母上にも相談しなさい。母上の許しが出たら先方に送ろう」

母上か⋯父上だけで済めば楽だったのに、やはりそう上手くは行かないもんだな「⋯はい」渋々言ったのがバレたんだな、父上が眉を顰めた。

母上も父上と同じ事を言う

「随分憂鬱そうだ事…」

返事をせずにいたら聞かれた。「その方が可愛い?」

「……美しい方です」

「姿形を伺っているのではないわ。その方が愛しくて抱き締めたいって…可愛く感じる?」

「……」

母上も溜息をついた、気がした。ずっと俯いているので母の顔が判らない。

「そうでは無いけど約束はしたのね…?」

「…はい。求婚したら了承頂き正式な物にして欲しいと」

「……お馬鹿さんね」「はい?」

顔を上げると結構怖い顔で睨んでいた。急いでまた俯く。

「仕方ないわ。どうぞお好きに…あなたの人生ですもの…あなたが責任を取ればよろしいわ」

それきり黙ってしまった。

これは…許しが出た…のだろうか?

2〜3日何となく鬱々としていたら学園の廊下でペネロープ嬢に声をかけられた。

俯きがちに言う「昨夜…父から聞きました。求婚状をありがとうございます。お受け下さいと伝えましたが…よろしかったかしら?」

何だろう…冷汗が出た。背中から冷たい何かに抱きつかれたような……

「も、勿論です。これから…あの、よろしくお願いいたします…」

「…はい」

二人ともお互いを見ないで俯いていた。

「…では」と離れて行く彼女を見送った…彼女の足元を。

駄目だ。許嫁が出来たと云うのに何故こんなに落ち込んでるんだ…

これがマリッジブルーなのか?いや何かニュアンスが違う気がする。

そうだ…ベルだ、ベルに相談してみよう。ここの所何となく温室から足が遠退いていたな。悩み事はいつだって何だって彼女に打ち明ければ気が晴れてたじゃないか……うん、そうしよう。


放課後を待って温室に向かう。

ベルは今日もまたあの虫の生えた草の鉢の前に居た。

「ベル」声をかけても今日は振り向かない。

いつもは温室の扉を開ければすぐに僕を見つけて笑ってくれるのに…。

と思っていたら急に振り向いた。

「御婚約おめでとう」笑って言った。

「…誰に聞いたの?」まだ誰にも言っていない筈だしベルには僕から報告したかったのに…。

「ん?弟君、オーランドから…」

「何で?」思わずベルを睨んでしまった。「何で…っておめでたい話だからじゃない?…オーランドに聞いてよ」困ったように笑う。

話の腰を折られるとはこう云う事だ、この憂鬱を打ち明けたかったのに…。

言い出せなくなってベルと一緒に草を覗いた。

「あれ?虫がデカくなってる」

「虫って何よ?!まさか蕾の事?虫に見えるの?」

ベルは細い目を目一杯見開いた。

「い…いや、もう虫に見えない。先が白っぽいもんな。白い花なのか?」そう言うとベルが溜息をついた。何だか最近やたら溜息をつかれてる気がする。

「今夜咲く…私夜が来たら見に来るの」

「何で?明日見ればいいじゃないか」

だってそうだろう何故夜に温室?

「馬鹿ね。明日じゃ駄目だよ、朝にはもう萎れてるから…そうゆう花なの。夕食後くらいに咲いて明け方萎む…」眉を下げてまた笑う。

「へー…そうなのか。あ、でも夕食後って寮には鍵が掛かるだろ?」

ベルは鍵をぶら下げながら言った。「これは温室の鍵、私がいつも持ってる、そして寮は…抜け道を知ってる…」ムフフと笑った。

今日はやたらよく笑うな…そんなにこの草の花が咲くのが嬉しいのか。

「抜け道って何だよ、どっか開いてるのか?」

「教える訳無いじゃない。出れるって事は入れるって事なんだよ」

鍵を持った手を背に隠しながら言う。「僕が女子寮に忍び込むとでも…?」

不機嫌そうに言うとまた笑った。

「ははっ、そりゃそうだ。美しい許嫁がいる人に女子寮なんて用はないよね…」

何となくムカついたので言った…。「僕も来る!」

「は?」

「何でお前だけがそんな楽しそうな事するんだよ。僕も混ぜろ!」


バートン邸で夕食を終えてから部屋へ戻る振りで堂々と正門から出た。

親にさえバレなければこの年にもなればご令息の夜遊びくらい門番は見ない振りをしてくれる。

まあ記録簿に記載はするだろうけど…。

辻馬車を拾う。

学園にはどうやって入り込んだかというと、僕は監督生(プリフェクト)を担っているから下校前に一番チョロい指導教官を上手く丸め込んて裏門の鍵を借りて返す振りして別のを置いておいた。一晩くらいバレないだろう。

そして温室に辿り着いた。当たり前だが真っ暗だ。

いや…微かな灯りっぽい物がある。扉を軽くノックしてみる。

暫くするとカチッと音がして小さく開いた。

そこに忍び込む。

ベルがいた。

でもベルじゃないみたいだ…

制服じゃないからか?白いワンピースだ。

割とタイトな仕立てで身体のラインが良くわかる。

何となくドキッとした。何だろう…これは夜の冒険のせいじゃない気がする。

「こっち…」誰も居ないからそんなヒソヒソ必要ない筈なのに…

お互いヒソヒソしてた。

初夏だから寒く無いのにラグが2枚用意してある。何故?

「こうするんだよ」

1枚は床に敷いて1枚は植木鉢の方だけ浮かせてランタンに被せた。

なるほど…鉢は良く見えるが他はほぼ闇に沈んだ。

ラグに並んで座ってお互いの顔を見合わせ悪戯っぽく笑った。

鉢の蕾はもうかなり膨らんでいた。本当に純白な花弁が覗いていた。

「へー、もうかなり綺麗だな…」言ってベルを向いて、たじろいだ。

至近距離に彼女の顔があったからだ。

ヤバい、ドキドキする。血迷うな自分!これはベル、ベルなんだぞっ!顔を逸らすとベルが肩に頭を乗せた。優しく少し甘い香りがする、彼女の髪の香りだろうか。視線だけでベルを見る。闇にほの白く浮かぶワンピース、その肩から胸のライン。目が離せなくなる。つい自分の肩にある顔を覗き込んでしまっていた。

綺麗だった。オーランドのセリフが頭に響く

「彼女綺麗だよ。クールビューティー系で…」ああ本当だ。

彼女綺麗だったんだ…綺麗な女だったんだ……。

微かに開いた薔薇の唇…。もう駄目だった。

無言で彼女の唇を求めていきなり深く口付ける、余りの甘さに震えた。

止まらなくなって何度も唇を求め次第に首筋から鎖骨へ、やがて胸へと唇と手が伸びてやがて我慢出来なくなって背のボタンを引き千切るように外した。

白いワンピースに負けないほどの白くなめらかな肌を夢中で求めた……幾度も求めた。


「……ロード…クロード」揺すられてフッと浮上した…。

軽く眠っていたのだろうか。

「見て…クロード」指差す先にあるのは世にも美しい純白の花。

うっすら光沢を帯びた白が闇に浮かぶ様は言葉に出来ないほどの幽玄 

……暫し言葉を失い見惚れて居ると頭から次々と衣服が降って来た。

ベルを見ると自分もワンピースを頭から被りながら僕に残った最後のシャツを投げた。

そして「夏とは言えこの時間は少し冷える。いつまでもその姿じゃ風邪を引く」と優しく笑った。

ハッとして急いで衣服を身に着けていると背中からベルが抱きついて来て「空が白むまで傍にいてもいい?」と聞いた。

振り向いて僕はベルを強く抱きしめ、また口付けた。

ああベルの唇は何故こんなにも甘いのか…。

抱きしめても抱きしめても抱きしめ足りない気がする。

白い花がどんどん萎れ空が白み始めた頃本当にベルは抱きしめる僕を引き上げるようにして一緒に立ち上がり僕の胸に両手を当て押して体を離した。

暫く僕をじっと見つめてから綺麗に笑い「はい、解散」と言ってラグを畳みランタンを持って歩き出した。

立ち竦む僕に「はい、さっさと出る!温室に鍵かけるんだから」と笑って言った。

ベルを追って温室を後にする。

ワンピースの色は白じゃなく淡いブルーグレーだったのがわかった。

もうすぐ陽が昇る。「ベル…」

「ありがと、クロード。幸せに…なってね」と言って佇む僕に背を向けて遠くなりやがて校舎の蔭にその姿を消した。

邸に帰り身支度をして急いで再び学園へ向かったがその日、とうとう最後までベルは姿を現さなかった。

放課後の温室も誰の姿も無いまま佇まんでいた。


「君の学園での成績はいつもトップクラスだそうだね」

寒くも無く屋外でも無いのにフォーマルグローブをはめた手で口髭の端を整えながらブレア公爵は聞いた。

「はい…まあ、弟ほどではありません。彼は毎回主席ですから……」

「ふ…む」……沈黙。

バートン邸の晩餐にブレア公爵一家を招いていた。初の両家顔合わせの場だった。

今はサロンで公爵と父はブランデー。他は皆紅茶を飲んでいる、僕とペネロープ譲、お互いの父母、僕の弟二人、ペネロープ嬢の妹が一人。

「実を言うと私はペネロープに婿を取って跡を継がせたかったのだが…まあ本人が嫁ぎたいと言うものは仕方がない。妹の方に婿を取らせるしかあるまいと諦めたのだが……」

「…はい。申し訳ございません」肩を竦め俯く。

「ふ……む」……沈黙。

会話が続かないのはやはり僕のせいだろうか……

ペネロープ嬢とその母上ははすまし顔、妹は明らかにふくれっ面だ。

父は威厳を崩してはいないが僕の受け答えに呆れていそうだ。

母は目が笑っていない笑顔をずっと貫いている。

オーランドは我関せずオーラを放ちトビアスは退屈して欠伸をかみ殺している。

僕は孤立無援だった。

ベルとの事があってから彼女の事しか考えられなくなってペネロープ嬢に何の魅力も感じられなくなってしまった。

本当に本当に申し訳無い思いでいっぱいなのだが…この恐ろしい宰相閣下を説き伏せ是が非でも彼女をモノにしたい意欲がまるで湧いて来ない……僕なんか地獄に落ちればいいんだろうか……。

僕はベルにも振られたっぽい。あの日から一度も学園に来ないのだ。温室も毎日通っていたが、つい先日下級生らしき男の子が水遣りをしており、「サマセット先輩はクラブをお辞めになりました。今何処に居られるか?さあ、存じません」と言われ肩を落とした。

禄に会話も弾まずブレア公爵一家は帰って行った。

肩を落とし溜息をつく僕に母がとうとうブチ切れた。

「いったいどうゆうつもりでいらっしゃるのかすこし…お聞かせ頂けるかしら?」

やはり肩を落とし俯く僕を鋭く睨みつける。

「お父様、わたくし、オーランド、トビアスをいったいどうゆうつもりでこの茶番に巻き込んだのか⋯とお聞きしておりますのよ…!」

涙が出てきた。

「申し訳ありません!やっと…やっと今になって母上のお言葉が理解出来ました…!」

「……何ですって?」蹲る僕を魔王のように上から見下ろす。

「…い、愛しくて、抱き締めたくて…抱き締めたくて堪らなくて、可愛くって!可愛いくて仕方ない女性が……ペネロープ嬢では無い事に…気が付きました!……い、今更、気付き…まし……た」

一瞬にして空気が凍り静寂の中に僕の情け無い嗚咽だけが響き渡った。

「ベルだろ?」

籐椅子に腰かけ本から目を上げこちらを向くオーランドの言葉だった。

「な…んで」

「ガキでもわかるよ。実際トビアスだってわかってたじゃないか…クロード、あんた生き生きすんだよ。ベルが傍に居る時だけさ」

再び静まり返る中、父が言った。

「今更遅い。ベルは諦めて今の婚姻を進めなさい…お前が始めた事の責任は取るべきだ。お前が黙っていればベルもペネロープ嬢も傷つかずに済む。」

父の言葉は正しい。全て自分のせいなのは誰よりも自覚している。責任を取って自分だけが傷付けばいい⋯そう思い、頷きかけて黙る。

傷付けば……傷付く…って僕は……!また今更、気が付いた…

あぁ僕は本当に……。

床に這いつくばって父に許しを乞うた。

「父上。僕は…僕はもう既にベルを……傷付けました。

取り返しは……つきません。彼女はもう、彼女の貴族令嬢としての尊厳を……」

僕の言葉に母が顔色を変えた。

「あ…なた。まさか、まさかベルを……ベルと……?」

父が僕の首根を掴んで引摺りあげた。右顎と右頬に纏めて強烈な拳が炸裂する。

痛みより熱さを感じながら1メートル以上は吹っ飛んだ。…と思う。

ギリギリ意識は保てているが脳みそがぐゎんぐゎん言っている。

「ああバーバラ……!わたくしの息子が…何てこと……」気丈な母が泣き崩れる。

「……避妊…したの?」オーランドが聞いた。「あ、あなたまで…何て質問を」

母の言葉に「大事な事だろ?」オーランドは早口で重ねた。

座り込んで頬を押さえ俯いた僕は首を振った。

父が片手で顔を覆い椅子に座り込んだ。母は泣き止み呆然としている。トビアスだけが意味が分からずキョロキョロするがさすがに空気を読んで黙っていた。

「すまない……グレイス私が息子の育て方を間違えた。大事な君を泣かせるなんて……」

「ルーファス…あなたのせいじゃない…馬鹿息子を生んだのはわたくしだわ。ごめんなさい…」

ヒシと抱き合う父と母。それどころでは無いのは分かっているし自分のせいなのも分かっているが、頼むからここでキスシーンに移行するのだけは許して欲しいと思った。

情緒をどこに置いていいのかわからなくなる…本当に地獄に落ちてもいいから……。

「よし…!わかった。不肖の兄の尻拭いを僕が引受けるよ」

オーランドが本を置いて立ち上がった。

父と母が驚いて弟を見る。……良かった。最悪のシーンだけは防げた。

「尻拭い…ってあなた、何をするつもりなの?」母の問いに片目を瞑った、普段の伊達眼鏡は外している。

「とりあえず母上は馬鹿兄貴をベルの所へ連れて行って下さい。バーバラ小母様に聞けば行方はわかるでしょ、ここんとこ学園休んでるからたぶん領地の可能性が高いと思う。…そんで」僕をチラッと見てから父に向き直る。

「父上は明日朝一番に早馬でブレア公爵に連絡してアポを取って下さい出来れば明日中に会えるように、そして僕を連れて公爵家を訪ねて下さい」父は頷く「それしか無いが…婚約解消…いや破棄か⋯公爵家だ賠償金が途轍もなかろうな…」

それを聞いて身を縮める僕の耳にオーランドの声が響いた。

「その為に僕をお連れ下さいとお願いしています。僕がペネロープを引き受けます。兄より優秀な僕を婿に差し出して下さい。長女に婿取りが出来て宰相閣下も大喜びなさいますよ…きっと」僕は耳が痛い…痛いが…こいつ、こんなに良く喋る奴だったっけ?今、人生で一番喋ってるんじゃないか…?

僕、殴られたせいでネジが一本飛んでったかも…下らない事しか考えられない…!!

驚いて弟を見詰める父が言った。「お前はそれでいいのか…それに…御令嬢が承知なさるのか?」オーランドは皮肉げに笑った。「あれ?父上、気が付かれませんでしたか?バートンここに居る間中ずっとチラチラ、チラチラ僕に秋波を送り続けてたじゃ無いですかあの女、あれ結構クセ者ですよ。僕もアレと対決するのはやぶさかではないですから大丈夫です」

いつも完璧な美丈夫の父の口があんぐり開いて二の句が継げない。母もトビアスの肩を抱いたままオーランドを見つめて固まっていた。


「まあ⋯グレイス!あなたいったい、こんな所までどうしたの!?」母と僕が目の前に現れた時のバーバラ小母様の第一声である。それからハッと気付いたように僕を見て「ベル…?もしかしてベルを迎えに来て下さったの…?」と少し涙ぐみ

「ベルは草原にいるわ」と教えて下さった。

文の遣り取りなど待ってはいられない、と見切り発車であの後サマセット伯爵領まで馬車を飛ばした。

情け無い事にこの年になって母の付き添い付きである。

だがああも、とことん家族に恥をさらした自分に文句を言う資格もない。

丸一日と少しの旅程であった。

バーバラ小母様の言葉に場所も確かめず飛び出そうとしてまた恥を曝した僕だったが⋯

ベルだ……

恋しかったベルが風が吹き渡る緑の草原の中に髪とスカートを靡かせながら立っていた。

背景は放牧された牛や羊そして点在する赤い風車(ムーラン・ルージュ)

そこに一輪の白い花……あの夜から僕の彼女のイメージは凛と立つ白い花。

一夜にして僕を虜にした…。

「ベル!」うしろから叫ぶように声をかけた。

驚愕の表情で振り向いたあと一、二歩後退り声を震わせた。

「クロード……?なぜここに…」

「君を迎えに来た…」僕は愛しさに涙ぐみそうになっている。

「……もしかして責任を感じてらっしゃるの?…だったら有難迷惑だからさっさと愛する御令嬢の元へお戻りになって」

固い表情で淡々と言う彼女。罪悪感が加速する。

「……済まなかった。…僕の愛する令嬢は君なんだベル!今まで気づかなかった僕を許して」

「何を…仰っていらっしゃるの?わたくしの事は女ではないと何度…も……女…では無いと…」

「済まない…君は女性だ!僕の最愛の女性なんだ!!」

駆け寄って手を取った。振りほどこうとするのを更に引き寄せて腕の中に囲う。胸を叩いて抵抗するが意地でも離さない。

「……う……っうっわーっ……」堪えきれずに漏らす嗚咽を頭ごと抱え込んできつく抱き締めた。

もう、絶対離さない……!

バーバラ小母様は語る。

「あの子はもう…文字通りの一目惚れで……わたくしはあんな美少年はあなたには荷が重いと何度も言い聞かせたのだけど、想いは叶わなくても傍に居たい…の一点張りで王立学園高等部に入学する為だけに猛勉強を始めてしまって…」

「まぁ…あんな馬鹿息子の為に…バーバラ、あなたに謝りたくてわたくしここまで伺ったんでしてよ。馬鹿息子がお嬢様を散々傷付けて…」申し訳なさそうに目を伏せる母上。

ふっと笑って「あの子は主人に似て大層な頑固者で一度言い出したら梃子でも動かないのよ⋯今回は有り難い事にそれが功を奏したみたいで良かったけれど…たとえクロード様がおいでにならなかったとしてもあの子はもう一生誰にも嫁がず、クロード様の思い出だけを胸に秘めて生きて行ったと思うわ⋯」

「…そんな」「いいのよ。そうゆう子なの」恐縮する母上にバーバラ小母様は笑顔を返した。

「ベル、言葉遣いが少し変わった…?それに態度も…おとなしいと言うか、おしとやか…?令嬢みたいだ」

やっと少し落ち着いたベルに深い接吻くちづけを落としてから聞いた。

「……やはりクロード様は酷い方だわ」

「え……え、なぜ」狼狽える僕を一睨みして「だって女性としと見て頂けないわたくしがあなたの傍に居る方法って男として…同性の友達になるしかございませんでしたわ。わたくし、歴とした伯爵令嬢ですわ。今のわたくしが素のわたくしですわよ…」

「……あ」そうゆう……。

「いつもあなただけを見つめているわたくしに婚約したい令嬢の相談をして来たり他の令嬢には優しくされるのにわたくしには冷たくて⋯何度も心が粉々に」「済まなかった!!もう…もう二度と傷付けたりしない」

平身低頭する僕に笑って「では、良いお手本が近くにありますわよ。これからはあなたのお父様をお見習いになって…」

「は、父上?それは僕達息子が母上に甘えるのにさえ嫉妬なさる程溺愛なさっているのは知っているけど…」

どこが?見習うって。

「あれ程女性人気が高くてらっしゃるのに適度にあしらってらして、どの女性にも決して誤解させない様になさるでしょう?あなたと来たら近付く方全て片っ端から誤解させてまわってらして…」溜息をつく。

「女性に優しくなさるのも結構ですけど、その陰で傷付く者がいるのもお考えになって」

「わか……った」その通りな気がする…地に潜りたい。

わたくしあの時、本当に悲しかったですわ」

温室にオーランドがふらっと入って来て「ベル、あの馬鹿兄貴を真人間に戻してくれ。僕にはもう手に負えない」と言ったそうだ。

父上と母上はもう呆れ果てて兄貴を後悔させる為に地獄に叩き落すつもりみたいだ。馬鹿兄貴はどうでもいいけどそれじゃベルが辛いだろ?と言ったそうだ。

「でも、わたくしも自分に自信なんか無くてあなたがわたくしの言う事なんて聞く訳が無いと…あの夜月下美人の下で独り泣いてから領地ここに帰ろう。と決めました。でも、あなたが……」俯いた。僕も頷く「それで…必死でした。一度だけ、一度だけで良いから女として見て頂きたくて……そして思い出を抱いて帰ろう……と」

またベルの涙が溢れて……今度は彼女の方から抱き締めてくれた。

「信じて……もよろしい?」と聞く。

僕も涙で言葉が継げない。必死で幾度も大きく頷いた。

僕はもう決して傷つけないし、生涯かけて守ると誓った。


僕の人生にたった一輪見事に咲いた大輪のこの月下美人を。


                    完

















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