6話 堅物騎士団長との衝突
バルトロ財務次官の連行という、衝撃的な初登庁から数日。
アイリス・フォン・ベルシュタインの名前は、王宮内に恐怖と共に広まっていた。
「氷の女宰相」「令嬢の皮を被った魔物」――彼女に付けられた渾名は、どれも彼女の冷徹な有能さを物語っている。
アイリスは、自分の執務室で、次なる改革の対象である「軍事予算」の帳簿を睨んでいた。
アステリア王国の軍事費は、国家予算の三割を占める。だが、その中身は不透明で、無駄な支出が多い。特に、近衛騎士団の装備購入費は、他の騎士団に比べて異常に高額だった。
「……なるほど。新型の魔導鎧を一領、一千万ゴルで購入、ですか。……市場価格の五倍ですわね。これ、絶対に裏がありますわ」
アイリスがペンで帳簿にバツ印をつけていると、突然、執務室の扉が爆発したかのような音を立てて開いた。
「おい! アイリス・フォン・ベルシュタイン! 貴様、何様のつもりだ!」
怒鳴り込んできたのは、身長二メートル近い大男。
燃えるような赤髪を短く刈り上げ、全身から威圧感を放っている。
近衛騎士団長、ゼノス・ヴァン・グレイシャー。
この国の最強の騎士であり、エリオット王子の数少ない理解者でもあった男だ。
「あら、ゼノス騎士団長。……ご自身の執務室の扉と勘違いされたのですか? 随分と乱暴な入室ですわね」
アイリスは顔を上げず、淡々と帳簿にペンを走らせる。
「とぼけるな! 貴様が提出した、軍事予算の削減案! あれは何だ! 近衛騎士団の装備購入費を八割カット!? 現場を知らん小娘が、数字だけで国を守れると思っているのか!」
ゼノスは、アイリスの机に両手を突き、顔を近づけて吠えた。
その咆哮に、他の官僚たちは震え上がって物陰に隠れる。だが、アイリスは眼鏡の位置を直すことすらしなかった。
「現場、ですか。……ゼノス騎士団長。あなたは、ご自身の騎士団が、一領一千万ゴルの魔導鎧を、何領購入しているかご存知?」
「……あ? そんなもの、俺が把握する仕事じゃない! 事務方がやっていることだ!」
「事務方、ですか。……では、その事務方が、一領につき五百万ゴルを、特定の業者からキックバック(・・)として受け取っていることも、ご存知ないのですか?」
アイリスが冷徹に告げた瞬間、ゼノスの動きが止まった。
「……何だと?」
「こちらをご覧ください。私が調べた、近衛騎士団の装備購入契約書と、その裏で行われた金の動きです。……この、グレイシャー商会。……ゼノス騎士団長、あなたの実家が経営している商会ではありませんか?」
アイリスが突き出した書類を見て、ゼノスは顔を青くした。
「そ、それは……俺は、知らん……! 実家の親父が、勝手にやったことだ!」
「知らん、で済む問題ではありませんわ。……国の予算が、あなたの実家の利益のために流用されている。……これ、エリオット殿下の横領と同じ構図ですわね」
「貴様……っ! 俺を、あの無能な王子と一緒にするな!」
ゼノスが怒りで拳を握りしめる。
その殺気に、アイリスは静かに短剣に手をかけた。
「ゼノス騎士団長。……あなたは、誇り高き騎士ですわね? ならば、不正に塗れた鎧を着て、陛下を守れると? 国民を守れると? ……私は、数字だけで国を守れるとは思っていません。……ですが、不正を垂れ流す軍隊が、国を守れるとも思っていませんわ」
アイリスの瞳が、ゼノスの瞳を真っ直ぐに見つめる。
その瞳には、彼への侮蔑ではなく、同じ国を守る者としての、鋭い「問いかけ」が宿っていた。
「……ッ!」
ゼノスは、アイリスの言葉に、何も言い返せなかった。
彼は、現場の騎士としては優秀だが、政治や経済には疎い。実家の商会が、自分の地位を利用して不正を行っていることに、気づいていなかったのだ。
「……軍事予算の削減は、行いますわ。……ただし。削った予算は、騎士団の装備ではなく、騎士たちの給与や、退役後の補償、そして戦死した騎士の遺族への支援に充てます。……これなら、現場を知るあなたも、不満はありませんわね?」
アイリスの提案に、ゼノスは目を丸くした。
「……給与、だと? 俺たちの?」
「ええ。命懸けで国を守る騎士たちが、実家の利権のために薄給で働かされている。……これこそが、非効率の極みですわ。……ゼノス騎士団長。……あなた、実家を切り捨てる覚悟、できていらっしゃいますわね?」
アイリスの言葉に、ゼノスは深く、溜息をついた。
そして、握りしめていた拳をゆっくりと開き、アイリスの前で膝をついた。
「……アイリス・フォン・ベルシュタイン。……貴様の言う通りだ。……俺は、現場しか見ていなかった。……実家の不正、俺が責任を持って処理する。……予算案、貴様の言う通りに進めてくれ」
「……話が早くて助かりますわ。……ゼノス騎士団長。……これで、少しは効率的な軍隊になりそうですわね」
アイリスは扇をゆっくりと閉じ、優雅に、あまりにも優雅に微笑んだ。
その微笑みに、ゼノスは、かつてない高鳴りを感じていた。
彼女は、ただの令嬢ではない。
この国の病巣を切り裂く、最も鋭い「メス」であり。
そして、自分たち騎士の誇りを、本当の意味で理解してくれる、「戦友」になれるかもしれない。




