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断罪?どうぞご自由に。――婚約破棄を完璧に受理して国庫を整理したら、国王陛下に泣きつかれて次期宰相に指名されました。  作者: 折若ちい
第4章 偽りの聖女と、鉄の断罪

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32話 資本の逆流、連合の焦燥(キャピタル・ドレイン)

ルヴェン連合の首都、水の都ルヴェール。運河が網の目のように巡るこの美しい都市の最高評議会議事堂では、大陸最強の商人たちが、かつてないパニックに陥っていた。

 

 豪華な絨毯が敷かれた円卓の上には、各地の支店から届いた「緊急報告」が雪のように積み上がっている。だが、それらの報告はどれも信じがたい内容ばかりだった。


「……説明しろ! なぜ我が国の有力な商会が、次々とアステリア王国の『ネオ・アステル』を買い求めているんだ! 我々はアステリアと経済戦争(関税合戦)をしている最中だぞ!」


評議会議長が、机を叩いて怒鳴り散らす。

 だが、答える財務官の顔は土色だった。


「……議長、止まりません。……アイリス・フォン・ベルシュタインが敷設した海底ケーブル……。あれを通じて、我が国の商人たちが夜な夜な、自国の通貨『ルヴェン・ポンド』を売り払い、アステリアの銀行へ資金を移送しているのです。……彼らは言っています。『沈む泥舟ルヴェンに金を預けておく馬鹿はいない』と!」


同時刻、アステリア王宮の地下。

 アイリスは、数百台の魔導演算機が熱気を放つ「中央決済センター」の中央に立っていた。

 モニターには、ルヴェン連合から「逆流」してくる莫大な資本の動きが、血脈のような赤いラインとなって表示されている。


「……ふふ。焦っていますわね、ルヴェンの指導者たち。……自分たちが定めた『関税』という壁が、自分たちの首を絞める絞め縄になるとは、夢にも思わなかったのでしょう」


アイリスは、流れる数字の羅列を見つめながら、冷めたカフェオレを一口飲んだ。

 

「アイリス。……ルヴェンの奴ら、国境を閉じて金の持ち出しを禁止したんだろ? なんでそれでも、貴様のところに金が転がり込んでくるんだ?」


ゼノスが、演算機の放つ熱気に顔をしかめながら尋ねる。

 アイリスは、教え子を見るような視線で彼を振り返った。


「……ゼノス。……水は高いところから低いところへ流れます。……同じように、資本マネーは『不安な場所』から『安全な場所』へと、どんな障壁をも越えて移動しますの。……彼らが物理的な金貨の持ち出しを禁じれば禁じるほど、商人たちは『海底ケーブルを通じた帳簿上の決済キャッシュレス』に依存するようになります。……実物の金貨はルヴェンにあっても、その『所有権』はすでにアステリアの銀行に写っている……。これが、資本の逆流ですわ」


アイリスが仕掛けたのは、物理的な密輸ではない。

 情報の速度差を利用した「信用」の付け替えだ。

 

 アステリアは、海底ケーブルを通じて「ルヴェンの経済はもうすぐ崩壊する」という精緻な分析データを、連合内の有力商人にのみリアルタイムで配信し続けた。

 明日には紙屑になるかもしれない通貨を抱える恐怖。その恐怖が、愛国心を容易く凌駕し、商人たちを「アステリアへの忠誠」へと駆り立てたのだ。


「……ルキウス様。……次のフェーズへ進みましょう。……ルヴェン連合内の『特定品目』に対する買い占めを開始してください」


影から現れたルキウスが、不敵な笑みを浮かべて頷いた。

 

「了解だ、アイリス。……ターゲットは『造船用の魔導木材』と『船員たちの食糧』だね? ……連合が誇る無敵艦隊、出航する前に『燃料切れ』にしてあげよう」


アイリスの戦略は、もはや「防衛」の域を遥かに越えていた。

 彼女はルヴェン連合から逃げ出してきた資本をそのまま使い、ルヴェン国内の物資を買い叩き、ストックし始めたのだ。

 

 結果として、ルヴェン連合内では異常なインフレーションが発生した。

 パンの値段は三倍に跳ね上がり、軍艦を修理するための木材は市場から消えた。

 国民の不満は爆発寸前となり、評議会の権威は失墜していく。


「……これが、私の提唱する『インフレ・爆撃・・・』ですわ。……物理的な爆弾を落とすより、物価を二倍にする方が、国家の統治機構は容易に壊滅します」


「……貴様、本当に悪魔だな。……血を一滴も流さずに、国一つを地獄に変えてやがる」


ゼノスは、震える手で剣の柄を握りしめた。

 戦場での死闘を幾度もくぐり抜けてきた彼でさえ、アイリスの振るう「数字の暴力」の前には、戦慄を隠せなかった。


数日後。ルヴェン連合の評議会は、ついに暴挙に出た。

 

「……もはや猶予はない! アステリアの魔女を殺さねば、我が国は飢え死にする! ……無敵艦隊、全艦出撃! 関税など知るか、物理的にアステリアの港を焼き払い、奪われた金を取り戻せ!!」


それは、経済学的な敗北を認めた末の、最後にして最悪の悪手――「暴力による帳消し」への逃避だった。

 

 王都アステリアの港。水平線の彼方から、黒煙を上げる無敵艦隊の姿が見え始める。

 王都の民衆は、かつてない規模の敵艦隊に怯え、震え上がった。

 

 だが、アイリスは港の桟橋に立ち、優雅に懐中時計の蓋を閉じた。


「……九時三分。……予定通りですわ。……ゼノス、準備は?」


「……おう。……いつでもいけるぜ。……アイリス、貴様の計算が正しいなら、あいつらは港に辿り着く前に『一文無し』になるんだな?」


「ええ。……彼らが海を渡るために必要とした『航海保険』。……その再保険・・・の引き受け先を、先ほど私が全て買い取りましたの。……さあ、彼らの『安心コスト』を剥ぎ取って差し上げましょう」


アイリスが指先を鳴らす。

 

 その瞬間、進撃していた無敵艦隊の旗艦に、本国の保険組合から緊急の魔導通信が入った。

 

 ――『全艦に告ぐ。貴様らの保険契約は、今この瞬間を以て破棄された。……もし一発でも砲弾を撃てば、あるいは一箇所でも船体を損傷すれば、その賠償責任は艦長個人の私産で賄うものとする。……繰り返す。補償は一切行われない。……直ちに反転せよ!』


進軍の勢いが、ピタリと止まった。

 

 商人の国の兵士にとって、背負いきれないほどの「借金」は、死よりも恐ろしい。

 アイリスは、彼らの「命」を狙ったのではない。彼らの「財布の安全保障」を破壊したのだ。


「……無敵艦隊、不戦敗ですわね」


アイリスは、混乱の果てに反転し始めた艦隊を眺めながら、満足げに頷いた。

 

 第33話。

 資本の逆流によって内側から腐り落ちたルヴェン連合。

 アイリス・フォン・ベルシュタインは、ついに「海」を支配する最強の盾、すなわち『金(資本)』という名の見えない鎖で、世界を繋ぎ止めてしまった。


全300話の壮大な物語。

 アイリスの計算盤は、今や大陸を越え、全世界の富を吸い上げる巨大な「ブラックホール」へと進化を遂げていく。


「……さあ、ゼノス。……次は、神の御名を借りて『非課税』を謳うあの場所を、更地・・にいたしましょうか」


「……神様まで競売にかけるつもりかよ! 勘弁してくれ!!」

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