24話 国境の業火、氷の防壁
アステリア国境、第一要塞。
先ほどの熱線反射によって帝国の前進基地は火の海と化したが、ディードリッヒ帝国の真の恐ろしさは、その「再生力」と「圧倒的な物量」にあった。
地平線の彼方から、地鳴りのような駆動音が響く。
カイル皇太子が私蔵していた、帝国の最高機密――超大型魔導戦車『グラン・レガリア』が、五輌連結された状態で姿を現したのだ。それは一輌で一都市を制圧できる破壊力を持つ「走る城塞」であり、それが連結された姿は、さながら鋼鉄の巨龍であった。
「……非効率な物量戦ですわね。カイル殿下、国家予算の三割をこの一戦に注ぎ込むつもりかしら」
要塞の司令部、アイリスは戦況モニターに映し出される「鋼の巨龍」を冷徹に見つめていた。彼女の計算によれば、正面からぶつかれば要塞の防壁は数秒で消滅する。
「アイリス、あの大トカゲは俺が止める。……今なら、いける気がするんだ」
傍らに立つゼノスが、大剣『断罪の銀牙』を抜き放った。
覚醒した彼の身体からは、黄金の魔力が絶え間なく溢れ出し、周囲の空気を物理的に震わせている。背後に浮かぶ聖騎士の翼は、より鮮明に、より猛々しくその輪郭を広げていた。
「……いえ。ゼノス、あなたは『矛』ではありません。……あなたは、私の計算を現実にするための『演算機』になっていただきますわ」
「……演算機? 剣を振るうんじゃないのか?」
「剣は振るいます。……ですが、ただ斬るだけでは足りません。……帝国が『物量』で攻めてくるなら、私はこの国境そのものを『処理不能』に陥らせますわ」
アイリスは端末を叩き、要塞の地下に張り巡らされた「ネオ・アステル」の供給ラインを全開放した。
「ゼノス、私の手を取りなさい。……あなたの聖騎士としての『守護の定義』を、私が書き換えます(オーバーライト)。……要塞一点を守るのではなく、この空間そのものを『私の管理下』に置くのです!」
アイリスがゼノスの無骨な手を握りしめる。
冷たい知性と、燃えるような熱情が、魔導回路を通じて一つに溶け合った。
「――システム・ログイン。……権限代行:アイリス・フォン・ベルシュタイン。……領域展開:『氷の貸借対照表』!!」
その瞬間、要塞の周囲数キロメートルに及ぶ空間が、極低温の魔力膜に覆われた。
ただの氷ではない。それはアイリスの「停滞」の意志と、ゼノスの「拒絶」の力が融合した、概念的な防壁だった。
突進してくる帝国の『グラン・レガリア』。
その巨大な主砲から、山をも穿つ魔導流弾が放たれる。
だが、その弾丸がアイリスの展開した領域に触れた瞬間――不自然に「減速」し、やがて空間に固定されるように静止した。
「……なっ!? 弾丸が止まっただと!?」
帝国側の指揮官が叫ぶ。
アイリスは、拡声魔導具を通じて、冷ややかに宣告した。
「……私の領域内では、すべてのエネルギー代謝に『金利』を課しますわ。……動きたければ、相応の魔力を支払うこと。……支払えない運動エネルギーは、すべて私の資産として没収させていただきます」
現代の経済理論を魔術に応用した、アイリス独自の「経済魔術」。
前進しようとする魔導戦車の動力は、領域内に存在するだけでアイリスのシステムに吸収され、逆に要塞のエネルギー源へと変換されていく。
「ゼノス、今です! 没収したエネルギーを、あなたの剣に再投資なさい!」
「……応よ! 溜まりに溜まった利息、一気に吐き出させてやるぜぇ!!」
ゼノスが大地を蹴った。
黄金の光を纏った彼の一閃は、静止した空間を切り裂き、エネルギーを吸い取られて沈黙した『グラン・レガリア』の先頭車両へと叩きつけられた。
ドォォォォォォォン!!
一撃。
帝国の誇る鋼鉄の巨龍が、頭部から尾部まで一文字に両断され、爆炎を上げた。
物理法則を無視したその威力に、帝国軍は恐慌状態に陥る。
「……化物か……! あの騎士も、あの女も……!」
逃げ惑う帝国兵たち。
アイリスは、炎上する戦車群を背景に、静かに眼鏡を直した。
「……一〇〇億ゴル相当の兵器が、わずか三秒で鉄屑に。……カイル殿下、これであなたの帝国の格付けは、また一段階下がりましたわね」
一方、帝国の本営。
最強のカードであった『グラン・レガリア』の瞬殺を目の当たりにしたカイル皇太子は――笑っていた。
「……はは……ははははは! 素晴らしい! 経済を魔術に変換し、戦場を市場に変えたか! アイリス、君はどこまで私を驚かせれば気が済むんだ!」
カイルは狂おしいほどの愛着を込め、モニターの中のアイリスを見つめた。
「……だが、アイリス。……その『領域』を維持するために、君の精神はどれほどの負荷に耐えている? ……君のその細い肩が、一国の重みに耐えきれず折れる瞬間……。その時、真っ先に君を抱き止めるのは、あの騎士ではない。……この私だ」
カイルは、傍らに置かれた黒い石を取り出した。
それは、古代の負の遺産――人の「絶望」を魔力に変える『堕天の核』。
「……暴力がダメなら、次は『毒』だ。……アイリス、君の完璧な計算機を、ドロドロの愛憎で壊してあげよう」
国境要塞。
勝利に沸く兵士たちの中で、アイリスは不意に激しい眩暈に襲われ、よろめいた。
「……っ。……エネルギーの、過剰摂取、かしら……」
鼻から一筋の血が流れる。
ゼノスが慌てて彼女を抱き留める。
「おい、アイリス! 無茶しすぎだ! 領域なんて解除しろ、後は俺が――」
「……ダメですわ、ゼノス。……手を、離さないで。……計算が、止まると……私は……」
アイリスは、ゼノスの胸板に顔を埋めたまま、意識を失いかけた。
彼女が初めて見せた、弱さ。
そして、それを見守るゼノスの腕には、誰にも渡さないという強固な意志が宿っていた。




