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断罪?どうぞご自由に。――婚約破棄を完璧に受理して国庫を整理したら、国王陛下に泣きつかれて次期宰相に指名されました。  作者: 折若ちい
第4章 偽りの聖女と、鉄の断罪

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21話 黄金の相場師、ルキウスの転向

王都アステリアの片隅に佇む、鉄格子の嵌められた最高級宿舎。そこは「国賓」という名の軟禁場所であり、帝国の若き相場師、ルキウスが絶望の淵で数字の海に溺れている監獄でもあった。


室内には、帝国製の演算魔導具が虚しく駆動音を響かせている。端末に映し出されているのは、ディードリッヒ帝国の短期国債が、正体不明の巨大な買い圧力によって市場から「消失」していく異常事態だ。


「……ありえない。誰だ、一体誰がこれほどのキャッシュを動かしているんだ……。アステリアのような小国に、帝国の負債を丸ごと飲み込むような胃袋があるはずがない!」


ルキウスは、乱れた金髪を掻きむしり、血走った目で画面を凝視した。

 彼はカイル皇太子にその才を見出され、弱冠二十歳で帝国の金融戦略を任された天才だ。人の欲望を数値化し、恐怖を売買することで、数々の小国を無血開城させてきた。だが、今回ばかりは勝手が違った。


彼が仕掛けた空売りは、まるで見透かされていたかのように、完璧なタイミングでの「買い支え」によって粉砕された。彼が流した偽情報は、より精緻な「真実のデータ」によって上書きされた。


「……完敗だ。私は、化け物と戦っていたのか?」


その時、重厚なオーク材の扉が、音もなく開かれた。

 現れたのは、藍色のドレスを身に纏い、一束の書類を脇に抱えたアイリス・フォン・ベルシュタインだった。彼女は護衛のゼノスすら伴わず、たった一人で、獲物の檻へと足を踏み入れた。


「……ルキウス様。……随分と、顔色がよろしくありませんわね。帝国の数字スープがお口に合いませんでしたか?」


アイリスの声は、冷たく、しかし透き通るような静謐さを湛えていた。彼女は室内の演算魔導具を一瞥すると、ふっと憐れむような笑みを浮かべた。


「アイリス・フォン・ベルシュタイン……。私を、処刑しに来たのか? 敗軍の将として、晒し者にでもするつもりか!」


「処刑? ……いえ。そんな非効率なことはいたしません。……私は、あなたを『買い(・・)』に来ましたの」


アイリスは、ルキウスの目の前にある机に、ドサリと書類の束を置いた。

 そこには、ルキウスが帝国の隠し口座で行っていた、カイル皇太子にも秘匿していた「個人資産の運用記録」が克明に記されていた。


「なっ……なぜ、これを!? これは帝国最深部の暗号で保護されていたはずだ!」


「暗号とは、解かれるために存在するもの。……そして数字とは、隠せば隠すほどその『不自然な空白』で存在を主張するものですわ。……ルキウス様。あなたはカイル殿下に忠誠を誓いつつも、万が一の際、自分だけが生き残るための『脱出口』を用意していた。……実に合理的で、素晴らしい判断ですわ」


アイリスは、ルキウスの至近距離まで歩み寄り、その瞳を覗き込んだ。


「……ルキウス様。今の帝国は、カイル殿下の個人的な『征服欲』という燃料で走る暴走特急です。……彼は間もなく、自国が発行した国債の利払いができなくなる。……つまり、あなたが必死に守ろうとしているその帝国は、一ヶ月後には『巨大な債務の塊』に成り下がります。……その時、あなたの才能はどうなりますか? 泥舟と共に沈むのは、あまりにも『期待値』が低いとは思いませんか?」


ルキウスは言葉を失った。

 目の前の少女は、自分の不正を糾弾しに来たのではない。自分の「エゴ」と「才能」を肯定し、より大きな利益という餌で釣りに来たのだ。


「……私に、何をさせたい」


「決まっていますわ。……帝国の内部から、国債の『格下げ(ダウンレポーティング)』を行っていただきます。……あなたが『帝国は危うい』と一言発信すれば、市場はパニックに陥り、国債価格はさらに暴落する。……そこを、私が買い叩く。……あなたが愛した帝国を、私と一緒に解体リクイデーションして差し上げましょう」


アイリスは、懐から一通の契約書を取り出した。

 

「報酬は、帝国の崩壊後に再編される『大陸中央銀行』の総裁の椅子。……そして、あなたが望んでいた『数字によって世界を支配する権利』ですわ。……カイル殿下の下では、君主の機嫌を伺う飼い犬に過ぎませんが……私の下では、あなたは『世界の共同運営者』になれます」


ルキウスの全身に、戦慄と同時に、かつて感じたことのないような高揚感が駆け抜けた。

 カイル皇太子は、彼を「便利な道具」として愛でた。だが、アイリスは彼を「対等な歯車」として評価した。その違いが、彼のプライドという名の最後の防壁を打ち砕いた。


「……はは……はははは! 狂っている! 君は、帝国を丸ごと飲み込むつもりか! 蛇が象を喰らうような、無謀な試みだ!」


「いいえ。……象を小さく切り刻んで、一欠片ずつ消化するだけのことですわ。……さあ、ルキウス様。……サインを。……あなたのその天才的な『悪意』を、私のために役立てなさい」


ルキウスは、震える手でアイリスからペンを受け取った。

 彼は、自らの母国を裏切る契約書に、恍惚とした表情でサインを刻んだ。


「……今日から、私は君の奴隷スレーブであり、共犯者だ。……アイリス。……君が見せる地獄なら、喜んで一番乗りしよう」


「奴隷など必要ありませんわ。……必要なのは、正確な『納品書』です」


アイリスは契約書を回収すると、満足げに頷いた。

 そこへ、外で待機していたゼノスが、我慢の限界といった様子で部屋に踏み込んできた。


「おい、アイリス! 長話がすぎるぞ! こんな胡散臭い野郎、さっさと地下牢へ――って、なんだ。……その、腑抜けたツラは」


ゼノスは、床に跪き、アイリスのドレスの裾に口づけを捧げようとしているルキウスを見て、顔を引き攣らせた。


「ゼノス、失礼ですわよ。……ルキウス様は、我が国の『最高経済顧問』に就任されました。……これから彼には、帝国の心臓部に致命的な『バグ』を仕込んでいただきますわ」


「……けっ。また一人、この女の毒に当てられた馬鹿が増えたってわけか」


ゼノスは吐き捨てるように言ったが、その瞳には、アイリスの陣営がさらに強固になったことへの安堵があった。

 

 アイリス・フォン・ベルシュタイン。

 彼女は今、物理的な領土を一歩も広げることなく、帝国の「頭脳」を一つ、手中に収めた。

 

 一方、ディードリッヒ帝国本国。

 カイル皇太子は、ルキウスからの定期報告が途絶えたことを知り、窓の外に広がる帝都の夜景を、氷のような瞳で見つめていた。


「……ルキウス。君まで、彼女の側に堕ちたのか。……いいだろう。……それほどまでに君を引き寄せるアイリスの引力、私もこの身で確かめたくなったよ」


カイルは、傍らに控える魔導師団長に、短く命じた。


「……経済の遊戯ゲームは、一時中断だ。……大陸横断鉄道の全線を軍用に徴用しろ。……アステリアの国境、第一要塞を『熱線魔法』で蒸発させる。……彼女が数字を数える暇もないほどの、圧倒的な暴力を見せてあげよう」


アイリスが仕掛けた「経済的王手チェックメイト」。

 それに対し、カイルは「盤面そのものを破壊する」という狂気の一手で応じた。

 

物語は、ここから「知略」と「暴力」が真正面から激突する、第一次大陸大戦へと突入していく。

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