17話 聖女の仮面を剥ぐ数字
王都中央広場に設置された巨大な魔導投影機が、夜の帳を下ろし始めた空を青白く照らし出す。そこに映し出されたのは、リリア・カステロが帝国から受け取った裏金の流出経路、そして彼女が脱獄するために結んだ「国を売る契約」の生々しい写しだった。
「……な、何よこれ! 捏造よ! 貴女が私を陥れるために作った偽物に決まってるわ!」
祭壇の上で、リリアは絶叫した。その美しかったはずの顔は恐怖と怒りで歪み、魔力増幅器の過剰な負荷によって、鼻からは一筋の血が流れている。
「偽造、ですか。……リリア様。あなたは私の仕事を過小評価しすぎですわ。……私が提示する資料には、すべて『三系統の裏付け』がございます」
アイリスは時計塔の屋上から、拡声魔導具を通じて淡々と告げた。彼女の声には感情の起伏がなく、それがかえって聴衆である民衆に「揺るぎない真実」を感じさせていた。
「第一に、この契約書に使用されているのは、ディードリッヒ帝国皇室専用の『透かし入り羊皮紙』。……これは帝国以外の人間が手にすることは不可能ですわ。……第二に、署名に使用されたインクの魔力残滓。……これはリリア様、あなたの固有魔力と完全に一致しています。……そして第三に」
アイリスは、手元の端末を操作した。
投影された映像が切り替わり、一人の男が鎖に繋がれて膝をついている姿が映し出される。
「ひ、ひぃっ……! 助けてくれ! 私はただ、リリア様に命じられて金を受け取っただけだ!」
「……っ!?」
リリアの息が止まった。映像の中にいるのは、彼女が心服させていたはずの教団の側近だった。
「彼は、あなたが『愛の力』で魅了したと信じていた部下ですわね。……残念ながら、私の用意した『自白剤』と『減刑の提示』という合理的な取引の前では、あなたの不確かなチャームなど、砂の城も同然でしたわ」
民衆の間に、どよめきが広がる。
「聖女様」と呼んでいた声は止み、代わりに「裏切り者」「売国奴」という殺気立った囁きが広場を支配し始めた。
「リリア様。……あなたが奇跡と称して行っていた『治癒』。……それも数字で説明がつきますわ。あなたが撒いていた興奮薬『マナ・ブースト』。これは一時的に痛みを消し去りますが、数日後には重い副作用を伴い、最悪の場合は廃人になります。……今、その薬を浴びた民衆の皆さんの健康を害しているのは、他ならぬあなた自身ですのよ」
「……う、嘘よ……私はみんなを救いたかっただけ……愛されたかっただけなのに……!」
「『だけ』で国を滅ぼされては、たまったものではありませんわ。……ゼノス、続きを」
アイリスが短く命じると、彼女の隣で待機していたゼノスが、獰猛な笑みを浮かべて時計塔から飛び降りた。
ドォォォォン!!
凄まじい着地音と共に、石畳が砕け散る。
ゼノスは立ち上がると、大剣を肩に担ぎ、祭壇を守っていた教団の武装集団を睨みつけた。
「おい、偽聖女の取り巻き共。……大人しく投降するか、ここで俺の錆になるか選べ。……俺としては、後者の方が手間が省けて助かるんだがなぁ!」
ゼノスから放たれる圧倒的な闘気に、武装集団は戦う前に戦意を喪失し、武器を投げ捨てて逃げ出した。
祭壇に取り残されたのは、震えるリリアただ一人。
「アイリス……っ! 貴女さえいなければ! 貴女さえ、エリオット様の婚約者でなければ、私は今頃幸せに……!」
「……まだそんな低レベルな次元で物事を考えていらっしゃるのね。……エリオット殿下の婚約者という椅子など、私にとってはただの『重責』でしかありませんでしたわ。……私が今、この場所に立っているのは、誰の婚約者だからでも、誰の娘だからでもありません。……私自身の『能力』の結果ですわ」
アイリスは、階段をゆっくりと降り、広場の中央へと歩み寄った。
民衆が割れるように道を作る。彼らの目は、もはやアイリスを「冷徹な魔女」ではなく、自分たちの生活を守る「真の統治者」として仰ぎ見ていた。
「リリア様。……あなたは『愛』という不確定要素にすべてを賭け、敗北しました。……私は『数字』という不変の真理を武器に、勝利しました。……この差は、運命ではなく、ただの『計算の精度』の問題ですわ」
アイリスはリリアの目の前まで来ると、彼女の胸元で怪しく光る紫の魔石を、躊躇いなく素手で掴み取った。
「キャァァァッ!?」
「これは証拠品として没収いたします。……それと、リリア様。……北方鉱山での脱走罪、国家転覆教唆罪、および薬物取締法違反。……死刑を望む声も多いでしょうが、私はあえて、あなたに別の刑罰を与えますわ」
アイリスの冷ややかな微笑みが、リリアの心にトドメを刺した。
「……あなたはこれから、王都の最貧困層を支援する『炊き出し施設』の厨房で、一生働いていただきます。……魔法も使えず、誰もあなたを『聖女』と呼ばない場所で、あなたが馬鹿にしていた『数字』……毎日の配給の量と、ジャガイモの皮を剥く枚数を数えながら、泥にまみれて生きなさい。……それが、私からの最後の慈悲ですわ」
「……あ、あああ……っ!」
リリアはその場に泣き崩れた。
かつて栄華を極めた偽りの聖女の、完全なる失墜。
しかし、その光景を遠くの屋根の上から見つめる影があった。
ディードリッヒ帝国の密偵、カイル皇太子の側近である。
「……見事だ、アイリス・フォン・ベルシュタイン。リリアのような壊れかけの駒を使い潰し、さらに民衆の支持を盤石にするとはな。……だが」
密偵は、懐から一枚の金貨を取り出した。
それは、カイルがアイリスに贈ったものと同じ、帝国の最新貨幣。
「……リリアの暴動で、アステリア王国の物価は急騰した。……人々が食料を求めて買い占めに走り、王国の通貨価値は下落を始めている。……アイリス、君がリリアを倒したその瞬間こそが、我が主による『経済侵略』の開始合図なのだよ」
アイリスは、連行されていくリリアの背中を見送りながら、ふと、風の中に混じる奇妙な「予兆」を感じた。
彼女の脳内計算機が、今まで経験したことのない異常な市場の動きを検知し始めていた。
「……ゼノス。勝利に浸っている時間はありませんわ。……至急、中央銀行の頭取を招集しなさい。……市場が、悲鳴を上げていますわ」
「なっ……何だって!? 今勝ったばかりだろ!?」
「いいえ。……本当の戦争は、剣を収めた後に始まるのです。……これから世界は、『血』ではなく『金』で塗り替えられることになりますわ」
アイリス・フォン・ベルシュタインの戦いは、国内の政争を越え、大陸全土を巻き込む「経済冷戦」という未知の領域へと、ついに足を踏み入れた。




