14話 三竦みの宣戦布告
爆炎が鎮まり、硝煙の匂いが王都のメインストリートを包み込む中、ディードリッヒ帝国の白銀の魔導帆船は、いよいよ出航の刻を迎えていた。
港のタラップの前に、三人の男女が対峙している。
一人は、返り血で軍服を汚しながらも、その瞳に野獣のような守護欲を滾らせているゼノス。
一人は、煤ひとつ被らない優雅な動作で、銀髪を風になびかせるカイル。
そして中央には、足に包帯を巻き、ゼノスの肩を支えに立ちながらも、手帳にペンを走らせるアイリスがいた。
「……以上ですわ、カイル殿下。今しがたの暗殺未遂に使用された魔導爆弾。あれ、貴国の『帝国魔導工廠』の刻印がありましたわね? 厳重な抗議と共に、今回の通商条約の関税引き下げ期間を五年から十年に延長させていただきます。……異論はございませんわね?」
アイリスは、死線を越えた直後とは思えないほど冷静に、事務的な「追撃」を放った。
カイルは、自分の国がテロの片棒を担がされた(証拠を捏造されたか、横流しされた)という事実に苦笑しつつ、彼女の徹底した合理性に、改めて心酔したような眼差しを向けた。
「……完敗だ、アイリス。君という女性は、絶体絶命の危機すらも、私から有利な条件を引き出すための『材料』にするんだね。……いいだろう、その条件を飲もう。帝国としても、今回の不始末は調査し、首謀者の首を君の執務室に届けてあげるよ」
カイルは一歩、アイリスに歩み寄った。
その瞬間、ゼノスがアイリスを庇うように前に出、大剣の鞘でカイルの胸元を押し止める。
「……おい、銀髪。別れの挨拶ならそこまでだ。……それ以上近づくなら、国交断絶覚悟でその鼻柱を叩き折ってやるぞ」
ゼノスの殺気は本物だった。彼は先ほどの乱戦で、カイルがアイリスを抱き寄せ、「連れ去ろうとした」事実を片時も忘れていなかった。
「おやおや、恐ろしい番犬だ。……だが、ゼノス・ヴァン・グレイシャー。君に一つ忠告しておこう。……君がどれほど鋭い牙を持っていようと、彼女は君の腕の中に収まるような小さな器ではないんだ」
カイルはゼノスの剣先を指で軽くいなし、アイリスの瞳を見つめた。
「アイリス。……今日は引き下がるとしよう。だが、これは終わりではない。……次は、外交官としてではなく、君を妻として迎えるための『正式な婚姻届』を携えて戻ってくる。……君の隣に相応しいのは、ただ吠えるだけの犬ではない。世界を君の足元に跪かせることができる、私のような支配者だ」
「……殿下。冗談は、そのくらいになさってくださいませ。……婚姻などという非効率な契約、私の人生計画には一分も入っておりませんわ。……もし必要になったとしても、それは純粋な『政略的メリット』がある時だけです」
「ははっ、それでいい。……そのメリットを、私が力尽くで作ってあげよう」
カイルは最後に、アイリスの指先に、周囲が目を見開くほど長く、深い口づけを落とした。
そして、ゼノスを嘲笑うような冷ややかな笑みを残し、優雅な足取りでタラップを上がっていった。
帆船がゆっくりと港を離れ、海へと滑り出す。
アイリスは、遠ざかる船影を見送りながら、深いため息をついた。
「……全く、非効率ですわね。関税の交渉だけで済む話を、どうしてあんなに複雑にするのかしら。……ゼノス、そんなに顔を真っ赤にしてどうなさいましたの?」
「……どうなさいましたの、じゃねぇ! あの野郎、アイリスに何を……っ、くそっ! おい、アイリス! 貴様、あいつの言ったことを真に受けてるんじゃないだろうな!?」
ゼノスは、アイリスの両肩をがっしりと掴み、彼女を揺さぶった。
「結婚だと!? 帝国だと!? ふざけるな! 貴様は俺が守るって決めたんだ! あんな、何を考えてるか分からねぇ蛇みたいな男に、貴様を渡せるか!」
「……ゼノス、揺らさないでください。怪我に響きますわ。……それに、私は誰の所有物でもありません。……私は、私の意志で、この国を掌握すると決めたのです。……それをお忘れなく」
アイリスはゼノスの手を払い、キッとして彼を睨んだ。
だが、その頬は、夕暮れの陽光のせいだけではなく、微かに紅潮していた。
「……あ、ああ……すまん。……だが、俺は本気だ。……あいつが軍隊を引き連れて来ようが、魔法で国を焼き尽くそうが、俺が貴様の前から一歩も引かねぇ。……番犬だろうが何だろうが、貴様の隣に居続けるのは俺だ」
ゼノスの言葉は、荒削りだが、揺るぎない「誓い」だった。
アイリスは、彼の熱い眼差しから逃げるように顔を背け、手帳を胸に抱きしめた。
「……勝手になさい。……それよりも、ゼノス。今回のテロで破壊されたメインストリートの修繕費用。……これは、保守派貴族の全財産を没収して充てますわ。……手続きが山積みです。……今夜も、寝かせませんわよ?」
「……ああ、分かってるよ! 貴様が倒れるまで付き合ってやる!」
二人は、夕闇に包まれ始めた王宮へと歩き出した。
背後に感じる、海を越えて届く皇太子の執着。
隣で自分を支える、不器用な騎士の純情。
アイリスは、自分の計算式が、もはや予測不可能な「恋」という不確定要素によって、激しく狂い始めていることに気づいていた。
だが、彼女はそれを不快とは思わなかった。
「……非効率なのも、たまには悪くないわね」
氷の女宰相の唇から、小さな、しかし柔らかな独り言が零れ落ちた。
こうして、隣国の皇太子との外交戦は幕を閉じた。
だが、これはアイリスを中心とした、大陸を揺るがす「逆ハーレム」の伝説の、ほんの序章に過ぎなかった。




