榛
校門が見えるところまで来ると、ぼくはの足は来た道をまた、たどりはじめた。
途中でたちどまり、交通指導員さんのいない道を進む。
こっちの道に、小さいけど目立たない公園がある。マンションの間にあって、会社に行くとか、学校に行くとか、目的があって急いでいる人からは気づかれない。
ぼくは木の影になって見えにくくなっているベンチに座る。冷たくて、そして後ろめたい。
「ちょっと失礼しても良いかね?君の隣。」
ぼくはひざで手にぎりしめてうつむく。
頷いたようにも見えるかもしれなかったなと考える。
ランドセルがベンチの背もたれに支えて、肩のベルトが僕の両脇を抱えて押さえつけてベンチに固定してるみたいだ。
「君の…どうやら探しているものは見つからないようだね。」
「探してる?ぼくの…」
落とし物でもして探しに戻ったとでも思ったのかな?この紳士は。
その人は絵に描いたようの紳士で、ぼくとか他の子の親より少し年上で、通勤の人が着ているスーツより運転手つきの車に乗って会社に行くような人が着ているそれだった。腕時計も大きくて英語みたいな文字がかいてあって、時刻のところに宝石みたいのが埋まっている。
その紳士は首をかしげて僕をのぞき見るように見ている。
メガネには少し色が入っていて、ちょっと見ただけでは表情がわからない。
「ありそうな場所は?
色やかたちはわかるのかい?」
「いえ、あの…」
「ふーむ…
すぐに必要なわけでもなさそうだ。」
ぼくはなんて答えたらいいのかわからない。学校に連絡しようとする大人かもしれない。
なんて言おうか、立ち上がって家まで走ろうか…
「怖いんです。校門がガシャんって。閉じ込められるみたいに…」
「うん。だが、見方を変えると外敵から身を守る仕組みでもある。」
なんでぼくはこの人にその話をしたのだろう。
「中にいても、敵はいるよ。」
「確かに。どんな組織でも内側に敵は存在する。
君に武器はないのかね?」
「え⁉︎別にそんなことをしたいわけじゃ…」
「極端だな、君。
君自身を表すことが出来るもののことだよ。」
「ぼく自身を表す、もの?」
うん、と言うようにその紳士は頷く。
「そんなの、なにもないです。」
「ふうむ。」
その声にはすこし、怪訝さが含まれている。
「ぼくには、そんなもの、ありっこないし。」
ぼくはちょっと苛立っている。知らない人に聞かれる話じゃない。
その紳士は両手を握り、親指だけ伸ばして顎をのせて、正面を見ている。
「少し失礼するよ。」
ポケットから、いやポケットに入れるには少し大きすぎる袋を取り出し、何度か折りたたまれた袋のくちを開けて、紙ナプキンに包まれたドーナツを食べ始めた。
「いや、実にうまい。
このハシバミのチョコクリームがたまらん。
ナッツの皮の渋みが程よい。」
ぼくはこの紳士が女の人ばっかりの行列に並んでドーナツを一つだけ買っている様子を想像していた。
うん。でもきっと、如才なく待ち時間をすごしてスマートに注文するんだろう。
「そのハシバミ、鳥がついばんでいる様子が思い浮かぶ名の通り、少しクセがあるかおりの木の実で、」
紳士は残りのドーナツを食べてしまうと、
「いや、君に勧めずに食べてしまって失礼。
大人気ないが、
君もお母さんに、知らない人からもらって食べてはいけないよ、と言われているだろう?」
紳士のにこやかな瞳が、薄い色メガネのすきまから伺える。
ぼくはなんとなくの頷きを返す。
「ハシバミはヘーゼルナッツと言うんだ。
私は君くらいの頃にはじめてそれを食べたんだ。
アーモンドチョコの隣に並んだヘーゼルナッツのチョコの箱に手をのばしたんだ。
お菓子の箱は素晴らしい。中身の魅力を最大限に引き出した表面や断面のイラストや写真、凝縮された言葉は、見る者の感情を刺激する。
箱の裏側にはヘーゼルナッツはハシバミという木の実であると書いてあってね。
君は「ハシバミ色の瞳」なんて聞いたことあるだろうか?美しい薄い、いや光が透けたような茶色なんだ。」
紳士の話は続く。
「つまり、
私はその小さな木の実の名前や風味にやられてしまったのさ。
だが、そのチョコ菓子はそれっきり店に並ぶことがなかったんだ。
私はがっかりしていたが…その十数年後に再開したんた。
贈り物のチョコレートを口にした瞬間、私の舌はその木の実との出会いを、私の脳を歓喜で溢れさせた。
香ばしくローストされたナッツの風味をチョコレートとあわさり、さらにお互いを引き立てる。長く封印されていた記憶が蘇ったよう、まさに体を電流が走ったんだ。
ジャンドゥーヤ。そのハシバミのチョコクリームの名前さ!ジャンドゥーヤ!」
紳士は大袈裟に両手を広げて讃えるように言った。映画やドラマなら違和感もないだろうが、ここは朝の公園で、思えばぼくと紳士は違和感ありまくりの存在だよな。
「いや失敬…」
ぼくは黙っている。
「ドーナツや菓子一つでも人の心は満たされる。
また、そのひとつは食べるのは一瞬だがつくられるまでの背景は長く、人の努力の賜物でもある。
その菓子を好む者も好まぬ者もいる。
また、好まれるも好まれないもなく、人に知られずひっそり存在するものもある。」
ぼくには少しわかりにくい話しだ。
「君は何者かね?」
それはぼくが聞きたいことだと、ぼくは思う。
「名や所属ではなく、君を現す言葉は。」
なにか言いたかったぼくは、
「ぼくは、校門まで来たら、帰って来ちゃった子供です。」
と言った。他になにも言えなかった。変なことを言ったと思った。
「うん。素晴らしい!なんという素直さだ!」
紳士は誇らしげにぼくを優しく見た。薄いメガネの色を通り越して、優しい暖かさが伝わって来た。
「それを見つけるも見つけないも、
その価値を認めるも認めないも、
君がここに君として存在する時点で
すでに「それ」を所有しているし、所有する権限がある。
君次第なんだよ。」
思えば、ベンチはもう冷たくなく、ランドセルの固定ははずれていた。むしろ暖かく背中にあると感じる。
ピイィという音に、ぼくは頭を上げると鳥の鳴き声ではなく、ぼくがさっき押した歩行者ボタンで信号が青になった音だった。
「今日のおやつはドーナツがいいな!」
小走りで信号を渡る。
ランドセルのなかでカタンと教科書と筆箱が鳴った。




